2024年6月30日掲載
白楽の意図:2023年の撤回論文数は10,000報を超え、急増している。しかし、その中身を深堀りすると、不始末学術誌、多数論文撤回者、中国の寄与が大きい。その3点を除けば、学術不正が急増しているわけではないと解読したクリストス・ペトロウ(Christos Petrou)の「2024年4月のScholarly Kitchen」論文を読んだので、紹介しよう。
ーーーーーーー
目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.予備情報
2.ペトロウの「2024年4月のScholarly Kitchen」論文
7.白楽の感想
9.コメント
ーーーーーーー
【注意】
学術論文ではなくウェブ記事なども、本ブログでは統一的な名称にするために、「論文」と書いている。
「論文を読んで」は、全文翻訳ではありません。
記事では、「論文」のポイントのみを紹介し、白楽の色に染め直し、さらに、理解しやすいように白楽が写真・解説を加えるなど、色々と加工している。
研究者レベルの人が本記事に興味を持ち、研究論文で引用するなら、元論文を読んで元論文を引用した方が良いと思います。ただ、白楽が加えた部分を引用するなら、本記事を引用するしかないですね。
●1.【予備情報】
2024年4月1日のXに世界の撤回論文数トップ10が示されていた。
中国は第1位で26,583報。日本は第6位で1,671報あり、イランの1,449報より多いことに白楽は驚いた。また、ロシアが第4位と多いのにも驚いた。
日本の1,671報を多いと思うか、マーマー健闘していると見るか?
Now that @RetractionWatch and @CrossrefOrg have joined forces, which is really good news, one benefit is that the Retraction Watch database is now freely available.
This analysis looks at the top ten countries who have had papers retracted.
This is not the easiest of analysis… pic.twitter.com/dYodHkZHpp
— Publishing with Integrity (@fake_journals) March 31, 2024
●2.【ペトロウの「2024年4月のScholarly Kitchen」論文】
★読んだ論文
- 論文名:Making Sense of Retractions and Tackling Research Misconduct
日本語訳:撤回を理解し、研究不正に対処する - 著者:Christos Petrou
- 掲載誌・巻・ページ:Scholarly Kitchen
- 発行年月日:2024年4月18日
- ウェブサイト:https://scholarlykitchen.sspnet.org/2024/04/18/guest-post-making-sense-of-retractions-and-tackling-research-misconduct/
- 著者の紹介:クリストス・ペトロウ(Christos Petrou、写真と経歴の出典)。
- 学歴:2006年にギリシャのアテネ農業大学(Agricultural University of Athens)で学士号(動物学)、2007年に英国のエディンバラ大学(University of Edinburgh)で修士号(遺伝学)、2012年に欧州経営大学院(INSEAD)で経営学修士を取得
- 分野:学術出版。クラリベイトのWeb of Science Groupとシュプリンガー・ネイチャー社の元分析官
- 論文出版時の所属・地位:2019年8月、日本の東京にスカラリー・インテリジェンス社(Scholarly Intelligence)を設立し、その首席分析官(Chief Analyst)
●【論文内容】
★メディア
ここ数年、欧米の多くのメディアが論文撤回やネカトを問題として取り上げている。
例えば、ネイチャー誌(Nature)、サイエンス誌(Science)、ガーディアン紙(The Guardian)、フォーブス誌(Forbes)、アイリッシュ・タイムズ紙(The Irish Times)などの主流メディアが記事を掲載している。
また、Freakonomics ポッドキャスト(Freakonomics)、そしてScholarly Kitchen(Angela Cochran や Roohi Ghosh)も。
★論文撤回の理由
論文撤回の全部がネカトという理由ではないが、かなりの割合はネカトが理由である。
2023年の撤回論文数は10,000報を超えたが、この10,000報は2020~2022年の3年間の合計数とほぼ同じだった。つまり、撤回論文数は急増している。
撤回論文数が急増している、つまり、ネカトが急増している、と世間が騒いでいる。
撤回論文数の10,000報という数字が独り歩きしているわけだ。
しかし、撤回論文数の中身を理解しないと、本当の動向を見誤る。
本論文では、論文撤回数の増加は国や研究分野を超えた普遍的は動向ではなく、主に論文工場の大規模な活動と中国発の論文数の増加が原因だと伝えたい。
★経緯
ここ10年、論文撤回数は飛躍的に増えている。
以下の図1に示すように、10,000報あたり2014年に3.5論文だったのが、2022年に11.2論文になった。この8年間で、論文撤回率は3倍に増加した。
図1. 2014年から2021年までの撤回論文数と論文撤回率
少し深く掘り下げてみよう。
図2に示すように、撤回論文が20報以上の学術誌は、2014年に2誌しかなかった。その2誌が全撤回論文数の10%を占めた程度だった。それが、2021年に突然、急増し、2022年には34誌になり、全撤回論文数の51%を占めた。
図2. 2014年から2022年までの不始末学術誌数と全撤回論文数に占める%
年間20報以上の論文を撤回した学術誌を、ここで「不始末学術誌(journal breach)」と呼ぶが、この学術誌は査読プロセスがデタラメで、論文工場と悪徳研究者の巣窟(そうくつ)になっている。
不始末学術誌はかつては稀だったが、今では全論文撤回数の半分を占めている。
不始末学術誌は、なんとしてでも論文を出版したいという研究者の動機を悪用し、論文出版の弱点を突いた論文工場者の邪悪なビジネスモデルの学術誌である。
しかし、論文撤回数の急増の原因を探ると、悪徳研究者の数が増えているわけではない。「出版か死か(Publish or Perish)」の圧力が高くなっているわけでもない。出版ガバナンスと編集の厳密さが低下しているわけでもない。
では、何が原因か?
APCモデル(著者が論文投稿料を払う方式)のオープンアクセス誌が急増したからなのか?
APCモデル(著者が論文投稿料を払う方式)は編集の厳密さを犠牲にして出版論文数を増やすと一般的に理解されている。
しかし、事実として、2022年に40報以上の撤回数があった12誌(ヒンダウィ出版社ではない)のうち8誌は完全オープンアクセス誌ではなかった。その8誌はハイブリッド誌で、Dimensions(リンク切れ)によると、撤回論文の87%は閲覧有料誌の論文だった。
上記の事実は、APCモデルの論文が増えたのが、論文撤回数の急増の原因だとは言えない。
なお、不始末学術誌の論文は、不正論文の検出と対処が容易である。
というのは、何百報もの正当論文の中に1報の不正論文を見つけるのはなかなか大変である。一方、不始末学術誌では、同じ特集号にガラクタ論文がまとめて掲載されているから、不正論文を検出するのがかなり容易である。
★多数論文撤回者
多数論文撤回者 (10報以上の論文を撤回した著者)による論文撤回も多くなった。
多数論文撤回者の論文は、2014年に89報だったのが、2022年には330報と3倍以上に増加した。しかし、割合としては全撤回論文数の約11%(平均値)と安定している(図3)。
ただ、中国人名の著者のうち、同一人物かどうか不明な著者名を多数論文撤回者から除外している。具体的に示すと、Li、Wang、Zhangという姓は、合計で中国人の約20〜25%を占めているが、このような姓の著者名を多数論文撤回者から除外している。
それで、全撤回論文数の約11%という数値、実際は、もっと多いと思われる。
図3. 2014年から2022年までの多数論文撤回者による論文撤回の割合
ただ、多数論文撤回者の重要度は国によってかなり異なる。
例えば、日本は多数論文撤回者が突出して多い国である。
論文撤回界の巨頭である藤井善隆(フジイ ヨシタカ)、上嶋浩順(ウエシマ ヒロノブ)、佐藤能啓(サトー ヨシヒロ)の3巨頭で、2011~2022年の12年間の日本の撤回論文数全体の38%を占めている。
3人とも医学領域の研究者で、うち2人は麻酔学の分野だが、共著論文はない。
★中国
中国(含・他国の中国出身研究者)は重度の研究不正問題を抱えている。中国は問題を認識していて、対処の措置を講じている。 → 2024年2月12日記事:China conducts first nationwide review of retractions and research misconduct
中国の論文撤回率は極端に高く、2020~2022年の3年間に10,000報あたり26.1報だった。
ただ、論文撤回率の世界第1位はサウジアラビアの31.6報なので、中国はトップではない。
しかし、論文撤回数の規模と増加の点で中国は重要である。
中国は、2014年に世界の出版論文数の17%を占め、撤回論文数は世界の16%(論文撤回率は4%)だったが、8年後の2022年には出版論文数の26% を占め、撤回論文数は世界の54%(論文撤回率は28%)に上昇した(図4)。
図4. 世界の出版論文数、撤回論文数に占める中国の割合
生命科学領域では、どの国も論文撤回率が高いが、中国は2020~2022年の3年間に、生化学、遺伝学、分子生物学の分野で、10,000報あたり113報という高い撤回論文率だった。つまり、生化学、遺伝学、分子生物学の分野では、中国が出版した論文の1.1%が撤回された。
撤回される論文は不正論文の氷山の一角なので、中国の不正論文はもっと多いハズだ。
中国の生命科学論文は信頼度が低い。
それで、学術誌・編集部は中国からの投稿論文を特に注意して扱うことになる。
何千報もの撤回論文があるということは、論文出版前に何万本もの投稿論文を不採択にしていると思われる。
ただ、中国の論文撤回は、生命科学領域に限られ、他の研究領域に及んでいない。
化学、エネルギー、数学、地球惑星科学、物理学・天文学、材料科学の領域では、10,000報あたり5報以下の撤回論文率だった。
★悲観することはない
不始末学術誌、多数論文撤回者、中国を除外した場合、世界の論文撤回率はどうなっているのか?
異常とは思えない。
10,000報あたりの撤回論文数は、2014年に2.8報だったが、5年後の2019年に6.7報と上昇したものの、さらに3年後の2022年には3.1報に下がった(図5)。
言い換えれば、不始末学術誌、多数論文撤回者、中国を除外すると、今日の学術論文の撤回状況は、8年前とほぼ同じである。
図5. 2014年から2022年までの世界の論文撤回率(実線)と、不始末学術誌、多数論文撤回者、中国からの論文撤回を除いた論文撤回率(点線)
同様に、研究文化が確立されている国々でも、研究不正は悪化していない。
米国、ドイツ、日本は、論文10,000報あたりの撤回論文数が5.0報を超えていない。この3国は低い論文撤回率を維持している(図6)。
さらに、不始末学術誌や多数論文撤回者を除外すると4.0を下回り、不正行為に関係のない「間違い」による論文撤回を除外すると3.0を下回った。
図6. 米国、ドイツ、日本の、2014年から2022年までのすべての論文撤回率(実線)と、不始末学術誌と多数論文撤回者による論文撤回を除いた論文撤回率(点線)
★学術誌のガバナンスとバランスの取れたインセンティブ
上記した結果は、的を絞った措置をすれば、撤回論文数を減らせることを示している。
第1に、学術誌や出版社が警戒を怠ると、不始末学術誌が頻繁に生じる。
ヒンダウィ社の不始末学術誌に対するワイリー社の説明とは対照的に、うまく機能している学術誌は論文工場の標的になる可能性は低い。 → 2023年12月12日記事:Tackling publication manipulation at scale: Hindawi’s journey and lessons for academic publishing
堅牢な学術誌ガバナンスは、論文工場による大規模な攻撃を検知し防御するのに不可欠である。
学術誌ガバナンスを堅牢にすれば、論文工場製の論文掲載を大幅に減らすことができる。
技術的な解決策も取り入れる必要はあるが、基本的に、学術誌ガバナンスが良くなければ効果的ではない。
第2に、中国の現在の学術システムは生命科学領域の研究者に対して、強い論文出版意欲を喚起している。中国はこのシステムを変更すべきである。
中国の変更が成功すれば、世界中にその恩恵がもたらされる。
例えば、中国が生化学、遺伝学、分子生物学の分野での論文撤回率を半減させた場合、世界の論文撤回率は14%低下する。
★需要と供給:テクノロジーが需要に応える
今まで、大多数の研究関連者が大義の下に団結したことは一度もなかった。研究不正への対処に対しても、大多数の研究関連者の団結は期待できない。
しかし、論文撤回への対処では、研究者、研究資金提供者、大学・研究所、一般市民、出版社、サービスプロバイダーの大多数は、利害を共有し、同じ立場に立っている。
学術上の不祥事が悪化しているかどうかはともかく、論文撤回の規模が大きいことは確かで、緊急に対処すべき問題である。
それで、多くのサービス、出版社、スタートアップ企業が、論文投稿時での不正行為、また、すでに出版されたデタラメ論文を学術記録から除去する技術的な解決方法を考案している。
例えば、モレシエ社(Morressier)は最近、「学会と出版社が研究公正を保持する」ために1650万ドル(約16億5千万円)を調達した。 → 2024年1月23日記事:Morressier announces $16.5m Series B to lead the fight for research integrity。
[参考:佐藤正惠、情報の科学と技術 71 巻 12 号,537~539(2021)、INFOPRO2021 口頭発表におけるオンライン・プレゼンテーションツールMorressier(モレシエ)使用体験記]
カクタス・コミュニケーションズ社(Cactus Communications)は問題のある論文にフラグを立てるPaperpal製品の能力を強化した。 → 2024年3月xx日記事:投稿 | LinkedIn
ワイリー社(Wiley)は人工知能を活用した論文工場検出サービス(papermill detection service)を始め、STM Research Integrity Hub社(STM Research Integrity Hub)は数十の出版社を結集し、問題原稿を検出する包括的なアプローチを提供している。
Clear Skies社(Clear Skies)は、広く議論されている論文工場の警報ツールを提供している。
なお、本論文著者である私ことクリストス・ペトロウ(Christos Petrou)は、ネットワーク分析、専門家の意見、自動論文チェック法を使って、研究不正を防ぎ、学術記録を修正する新しいスタートアップ企業のシグナルス社(Signals)創設チームの一員である。
●7.【白楽の感想】
《1》誤解
クリストス・ペトロウ(Christos Petrou)の「2024年4月のScholarly Kitchen」論文は誤解を招きかねないと感じた。
米国、ドイツ、日本は、論文10,000報あたりの撤回論文数が5.0報を超えていない。この3国は低い論文撤回率を維持している(図6)
さらに、不始末学術誌や多数論文撤回者を除外すると4.0を下回り、不正行為に関係のない「間違い」による論文撤回を除外すると3.0を下回った。
上記部分の論調は、だから、多数論文撤回者を除外すると、日本は研究不正が増加しているわけではない。憂慮することはない。と読める。
イヤイヤ、多数論文撤回者を除外してはいけないでしょう。日本の特徴として多数論文撤回者の重鎮が3人もいる。
多数論文撤回者はその3人だけではない。「撤回論文数」世界ランキングの30位以内に日本人が7人もいる。 → 「撤回論文数」世界ランキング | 白楽の研究者倫理
ペトロウの多数論文撤回者の定義は「10報以上の論文撤回をした著者」である。
一方、ランキング7人目の日本人の撤回論文数は31報もある。
ということは、日本の多数論文撤回者は、「撤回論文数」世界ランキングの7人だけでなく、もっと多数いるに違いない。
つまり、日本は、多数論文撤回者を出さない対策をもっとしっかりたて、実施しなければならない。
多数論文撤回者が多数いるという意味は、その研究者の周辺(結局は、国、所属大学、学会、共同研究者など)のネカト規則・処罰・文化が甘かったことを示している。
つまり、日本の国、所属大学、学会、共同研究者などがネカト規則・処罰・文化を格段と強化することが必要なのだ。
日本は研究不正が増加しているわけではないので、憂慮することはない、と安穏に構えていてはいけない。
不正が「増加」していなければ「よし」ではない。不正を「減らす」ことが必要なのだ。「増加」していなければ「よし」という姿勢は間違っている。
《2》ビジネスチャンス
欧米で、多くのサービス、出版社、スタートアップ企業が、論文撤回がらみのノウハウをビジネス化していることに驚いた。
白楽は、モレシエ社(Morressier)をはじめ、知らない会社ばかりである。
日本は、この手のビジネスで欧米に大きく遅れていると思った。
日本の国・大学・研究者はネカト対処に遅れているし、無関心だ。それで、ネカト対処に関する民間ビジネス、スタートアップ企業も動いていないということか。
《3》客員著者
本論文のサイト「スカラリー・キッチン(Scholarly Kitchen)」は、面白いメディアである。
学術出版、著作権、オープンアクセス、編集慣行、図書館員、書籍販売、研究資金、研究方針などを論じている。執筆はボランティアで非営利である。
常連著者(シェフChefと呼ばれている)が25人いて、客員著者も多数いる(多くて数えていないが、150人程度?)。 → Guest Authors – The Scholarly Kitchen
欧米では、「スカラリー・キッチン(Scholarly Kitchen)」以外にもボランティアで学術問題や研究不正問題を非営利記事を書く人はとても多い。
ネイチャー誌( Nature)、サイエンス誌(Science)、ガーディアン紙(The Guardian)、フォーブス誌(Forbes)、ニューヨーク・タイムズ紙(The New York Times)など、主要メディア(営利)も学術問題や研究不正問題を正面から頻繁に記事にする。内容も濃い。
日本では類似の学術問題や研究不正問題に関してボランティアで非営利記事を書く人はとても少ない(ほぼいない)。白楽のように自分のブログで書く人はとても少ない。
「note」を「研究倫理」や「学術体制」で検索しても、まともな記事はとても少ない。
日本の主要メディア(営利)も学術問題や研究不正問題をほとんど記事にしない。記事にしても内容が薄い。
英語圏(欧米?)と日本のこの違いの根本はなんなのだろう?
白楽ブログに客員著者を募集しても応募者はいないと思い、無償の客員著者を募集したことはない。
でも、ヒョットして、白楽ブログに「濃い」記事を書いてみようと思う人はいるのだろうか? いたら、連絡してほしい。
ーーーーーーー
日本の人口は、移民を受け入れなければ、試算では、2100年に現在の7~8割減の3000万人になるとの話だ。国・社会を動かす人間も7~8割減る。現状の日本は、科学技術が衰退し、かつ人間の質が劣化している。スポーツ、観光、娯楽を過度に追及する日本の現状は衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今、科学技術と教育を基幹にし、人口減少に見合う堅実・健全で成熟した良質の人間社会を再構築するよう転換すべきだ。公正・誠実(integrity)・透明・説明責任も徹底する。そういう人物を昇進させ、社会のリーダーに据える。また、人類福祉の観点から、人口過多の発展途上国から、適度な人数の移民を受け入れる。
ーーーーーーー
ブログランキング参加しています。
1日1回、押してネ。↓
ーーーーーー