2022年3月18日掲載
白楽の意図:英国下院議会の科学技術委員会が討議している研究再現性(reproducibility)問題に、ドロシー・ビショップ教授(Dorothy Bishop)ら5人の専門家の改善策を示した「2022年1月のTimes Higher Education」論文を読んだので、紹介しよう。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.書誌情報と著者
2.日本語の予備解説
3.論文内容
5.白楽の感想
6.コメント
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【注意】
学術論文ではなくウェブ記事なども、本ブログでは統一的な名称にするために、「論文」と書いている。
「論文を読んで」は、全文翻訳ではありません。ポイントのみの紹介で、白楽の色に染め直し、さらに、理解しやすいように白楽が写真・解説など加え、色々加工している。
研究者レベルの人で、元論文を引用するなら、自分で原著論文を読むべし。
●1.【書誌情報と著者】
★書誌情報
- 論文名:What can be done to improve research integrity?
日本語訳:研究公正を向上させるために何ができるか? - 著者:Dorothy Bishop, Tim Bates, Chris Loryman, Simon Kolstoe, Marc Taylor
- 掲載誌・巻・ページ:Times Higher Education
- 発行年月日:2022年1月20日
- 指定引用方法:
- ウェブ:https://www.timeshighereducation.com/depth/what-can-be-done-improve-research-integrity
- PDF:
★著者
各章に記載した。
●2.【日本語の予備解説】
★20xx年xx月xx日:Nature ダイジェスト |著者名不記載:あなたの実験結果、再現できますか?
実験は再現できるか?
あなたが行っている実験は、ほかの人が行っても、あるいはあなた自身が日を改めて行っても、同じ結果を得られるだろうか。学校の理科の教科書や、大学の理系科目の実験テキストに掲載されている実験は、科学の法則性を確認するためのものであり、「誰が実験しても」、「いつ実験しても」、計測機器の誤差の範囲内で同じ結果が得られるはずだ。もし、テキストとまったく違った結果になってしまったら、それは何かが間違っているはずだ。
これまで知られていない法則性や、新たな知見を得た研究結果は学術論文として発表され、ほかの多くの科学者によって検証される。科学はこのようにして実証に裏付けられて進歩する。このときに必要なことは、新しい成果はどのような実験によって得られたかということであり、論文には実験手順が明確に記されている。
近年、学術論文に記された手順どおりにほかの研究者が実験を行っても、同じ結果を得られないこともある。つまり再現性を確認できないのだ。ある記事によれば、医学生物学論文の70%以上が再現できないという(Nature ダイジェスト 2013年11月号『医学生物学論文の70%以上が、再現できない!』)。このことは、しばしばワイドショーにも取り上げられる「研究の捏造」などに結びつきかねない問題だ。科学の進歩に立ちはだかる、この「再現性の危機」を当事者はどう考えているのだろうか。
●3.【論文内容】
本論文は学術論文ではなくウェブ記事である。本ブログでは統一的な名称にするため論文と書いた。
方法論の記述はなく、いきなり、本文から入る。
ーーー論文の本文は以下から開始
●《1》はじめに
英国下院議会の科学技術委員会(UK’s House of Commons Science & Technology Committee)は研究再現性(reproducibility)の問題について長期的な調査を行なっている。
その調査に貢献した5人の研究者が、研究再現性(reproducibility)が得られないズサンな研究を排除し、科学研究の信頼を根付かせる方法について意見を述べた。
●《2》良いキャリアは動く
著者のドロシー・ビショップ(Dorothy Bishop 写真出典)は、オックスフォード大学(University of Oxford)の発達神経心理学・教授である。
―――――
最近、私は少なくとも自分の研究について話すのを求められるのと同じくらい頻繁に、科学における再現性と複製性(reproducibility and replication)について話すのを求められている。そして、初期キャリア研究者から再現性と複製性についての発言に、同じパターンがあることに気がついた。
白楽注:ビショップ教授は「reproducible」と「replicable」を併記しているが、日本語にいい加減に訳すと、両方とも「再現性」になってしまう。これでは、しかし、日本語訳がマズイ。
それで、2017年のハンス・プレサー教授(Hans・Plesser)の説明を紹介する。プレサー教授は「Reproducibility vs. Replicability: A Brief History of a Confused Terminology 」論文で、「Repeatability」も加えて次のように説明している。今回、この概念をもとに、白楽が日本語の用語を割りあてた。以下、本記事ではこの用語を使用する。
- 「Repeatability」:同じチーム、同じ実験セットで、同じ結果が得られる。 → 繰り返し性
- 「Replicability」:異なるチーム、同じ実験セットで、同じ結果が得られる。 → 複製性
- 「Reproducibility」:異なるチーム、異なる実験セットで、同じ結果が得られる。 → 再現性
ある初期キャリア研究者は次のように述べた。「私は、オープンで再現性(reproducibility)のある方法で研究を進めることは良いことだと考えている。しかし、私の上司はそのやり方を勧めませんでした」と。
別の初期キャリア研究者は、「慎重かつ透明性のある方法で研究を進めると、時間がかかり、論文出版のチャンスを逃し、研究キャリアが損なわれてしまう」と言った。
英国下院議会の科学技術委員会(UK’s House of Commons Science & Technology Committee)が最近行なった「科学の再現性(reproducibility)に関する質問」への回答を見ると、初期キャリア研究者の多くが同じことを指摘している。 → 回答:Reproducibility and research integrity – Committees – UK Parliament
彼らの考え方は、ウェルカムトラスト財団(Wellcome Trust)の研究文化に関するアンケート調査でも裏付けられている。つまり、回答者の43%は、研究の質よりも量が重要だと答えている。
そして、初期キャリア研究者の23%は、研究結果を出すようにという指導教授からの圧力を感じていた。
→ ウェルカムトラストのアンケート調査:What researchers think about the culture they work in、保存版
2021年12月、私は、「英国再現性ネットワーク(UK Reproducibility Network、UKRN)」のマーカス・ムナフォ・委員長(Marcus Munafò)とともに、英国下院議会の科学技術委員会に意見を口頭で述べる機会を得た。 → Parliamentlive.tv – Science and Technology Committee
最初に、基本的な定義を述べておく。
再現性(reproducibility)は、結果がしっかりしていて、その知見の上に知的体系を構築できると概念として非常に広く使われている。
しかし、再現性(reproducibility)と複製性(replication)は別の概念で、違いをここで示しておく。
[白楽注。ビショップ教授は、上述したハンス・プレサー教授(Hans・Plesser)の定義と真逆の定義をここでしていく」
再現性(reproducibility)は、文字通りの再現性で、同じデータセットが与えられた場合、同じ結果になるということである。
一方、複製性(replication)は、新しいサンプルで同じ実験操作を繰り返したとき、互換性のある結果が得られるということである。
文字通りの再現性(reproducibility)は、研究遂行では当然のことで、達成基準としてはかなり低い基準のように見えるかもしれない。
しかし、研究方法が漠然としている場合、データが利用できない場合、データ処理にエラーがある場合、この基準をクリアできない。これらの場合、研究不正が含まれている可能性がある。
一方、複製性(replication)がない場合は、必ずしも研究不正というわけではない。ランダムな変化を含め、異なる結果になってしまう理由はたくさんある。
しかし、研究結果の大部分が複製(replicate)できない場合、これは、研究のやり方に何か問題があったことを示していて、研究不正が含まれている可能性がある。
問題の原因は1つではないし、解決策も1つではない。
研究費助成機関や大学が採用できる比較的簡単な修正法がいくつかある。以下に3つ示す。
第一に、研究公正に関する教育研修をもっと多くすることと、研究方法と統計処理の習得を強化することだ。これら研究公正、研究方法、統計処理の分野は非常に速く進歩している。多くの上級科学者は自分自身が追いつくのに苦労しているため、部下や室員をトレーニングする余裕がない。それで、大学や機関による教育研修を強化すべきだ。
第二に、他の研究者が研究作業をチェックできる環境にする。研究データと分析コードを他の研究者が利用できるように共有化する。
第三に、雇用と解雇の基準を変更する必要がある。影響力の大きい学術誌の掲載論文数や獲得した助成金の額などで研究の質的評価をするのをやめる。再現性(reproducible)のある厳密な方法で行われた研究に報酬を与える方向に変える。
当初は評判が悪かったが、急速に発展したマーカス(Marcus)は、研究助成機関、出版社、学問分野全体の学会と交流し、日本の自動車産業と同じ手法で研究の質を向上させることに成功した。そして、製造工程の各段階での厳格な品質管理に力を注いだことで、品質と効率の代名詞になった。
[白楽注:マーカス(Marcus)が何を指しているのかわかりませんでした]
英国下院議会の科学技術委員会は、査読が問題の原因かどうかに関心を持っているので、以下、査読に関して述べる。
確かに、査読システムは大きなストレスにさらされている。しかし、私の見解では、問題は査読自体にあるのではなく、査読するタイミングにある。
「登録論文(Registered Reports)」は、研究遂行の新しいモデルで、データを収集する前に査読を要求している。このことで、査読ははるかに有益になる。
査読者は、研究で解明しようとしている問題とその際に使用する研究方法を指定するプロトコルを評価することになる。この新しいモデルはまた、研究計画と研究記録の透明性を保ち、結果の選択にバイアスがかかることを防ぐ。
なお、現在の研究助成機関と報酬システムは、依然として、一人の研究者が一人で研究することを暗黙のうちに想定している。
しかし、時代は変化していて、この想定は時代に合わない。
複数の研究機関に分散している補完的なスキルを持つ研究者たちを1つの研究グループとしてまとめ、研究させ、研究発表させる。そうすれば、再現性(reproducibility)と複製性(replication)の両方を備えた研究になる。このシステムを促進するのが良い方法だと認識すべきである。
「優れた研究を行なうこと」と「研究者として成功すること」は別の道筋だと、多くの若い研究者に思わせる現在の研究システムは、明らかに間違っている。
●《3》研究助成制度の革新
著者のティム・ベイツ(Tim Bates、Timothy Bates、写真出典)は、エジンバラ大学(University of Edinburgh)の哲学・心理学・言語科学部の教授である。
―――――
知識向上のための学術研究システムには、少なくとも80年間、劇的な欠陥があることは明らかです。
欠陥はすべての分野の至る所にあって、その代償は破壊的です。
過去10年間だけでも膨大な量の文章がその欠陥を指摘していますが、ほとんど未解決のままです。
真実だと教えられていることの多くは、実は、虚偽だったことが知られています。
広く引用されている理論、政策や法律を支える多くの分析結果は、十分にテストされていないか、一度も複製(replicated)されていません。
しかし、理論はめったに否定されない。
というのは、理論が不正確に記述されていたり、問題が指摘されると改修されるからだ。さらには、他の方法で言い逃れるため、反論できないし、「間違ってさえいない」。 → 2021年12月2日のアン・シール(Anne M Scheel)著の論文:PsyArXiv Preprints | Why most psychological research findings are not even wrong
そして、論文に記載している結果を複製(replicate)することに失敗したと批判すると、論文著者は謙虚に受け入れる場合もあるが、同じくらいの比率で、強く反撃する。
幸いなことに、研究者は、どの論文が信頼できるかを判断するのに必要なすべてのスキルを持っている。
ただ、問題は、このスキルを持っている研究者は、ほんの一握りしかいないということだ。
それで、欠陥を改善するには動機(インセンティブ)を変えることだと提案したい。 → 2021年1月29日の論文:The Theory Crisis in Psychology: How to Move Forward – Markus I. Eronen, Laura F. Bringmann, 2021
以下、迅速に達成できる3つを提案する。
第一に、「英国研究イノベーション(UKRI – UK Research and Innovation)」などの研究助成機関は、予算の10%を、現象、プロトコル、コード、分析の有効性をテストするために使用する。
[白楽注:英国研究イノベーションの説明は → 【ニュース・イギリス】UKリサーチ・イノベーションの概要発表 | JSPS海外学術動向ポータルサイト]
初めに、研究者に、複製(replicate)できる可能性が低い論文、または間違いが大きく、異なる結果をもたらすと思われる論文、を匿名でランク付けするように要請する。
悪い研究がたくさんあることは公然の秘密なので、予測市場(prediction markets)の例に従えば、そのようなランク付けは容易に可能と思われる。
第二に、複製(replication)を対象とした研究に、柔軟な研究予算(たとえば1万ポンド(約140万円))を与える。
この研究では、審査なし、オーバーヘッドなし、テストする仮説を事前登録するだけで助成金を与え、研究はオープンサイエンスで行なう。受託した助成金をプールして、より大きな共同研究を行なうこともできる。
このようにすれば、研究者は「この研究テーマは研究助成金が獲得できるか?」という従来の発想から、「この研究テーマは真実を解明する研究になるか?」という研究本来の発想に切り替えるだろう。
ここは重要です。
そして、多分、それは非常に効率的です。
わずか1万ポンド(約140万円)の研究助成金で、30万ポンド(約4200万円)の研究助成金を使用した研究成果が複製できるかどうかを検証できる。
もちろん、いくつかの研究分野はより高額な助成金が必要です。
第三に、大規模プロジェクトの資金を考えましょう。
現在の研究システムをひっくり返すことはできませんが、自信を持って研究改善に挑む必要はあります。
研究公正と研究成果を高める新しい研究システムの良い例は、英国バイオバンク(UK Biobank)です。
[白楽注:UKバイオバンク(英: UK Biobank)は、遺伝的素質やさまざまな環境曝露(栄養、生活様式、薬物療法など)が疾患に対して与える影響を調査する、イギリスの長期大規模バイオバンク研究である。2006年に開始された。(UKバイオバンク – Wikipedia)]
発見の期に熟した研究領域(現在はゲノミクス)で、以前の10倍のサンプルを作り、そのサンプルを使った研究を望むすべての研究者にサンプルを渡した。
そして、それは何千もの研究を生み出した。
その多くは共同複製(collaborative replications)なので、手抜きが行われる可能性は低い。
このようにして、ハンガリーの数理哲学者・ラカトシュ・イムレ(Lakatos Imre 1974年没)が名付けた「退行的リサーチプログラム(degenerate research programmes)」に捕らえられる可能性は低くなる。
[白楽注:仮説が正しいか間違っているかを問う代わりに、ラカトシュはあるリサーチプログラムが他のものより優れているかを問うよう人々に求めたので、特定のリサーチプログラムを選好する合理的根拠が存在する。
彼は、あるリサーチプログラムが「前進的」で対立するリサーチプログラムが「退行的」だとみなせる場合が存在することを示した。
「前進的リサーチプログラム」はそれによる驚くべき新たな事実の発見や新たな実験技術の発展、より正確な予測などを伴った成長によって特徴づけられる。
「退行的リサーチプログラム」は成長の欠如、つまり新たな事実を導くことのない防御帯の成長によって特徴づけられる。(ラカトシュ・イムレ – Wikipedia)]
そして、さらに多くのことが可能である。 → 2020年9月11日記事:What’s Wrong with Social Science and How to Fix It: Reflections After Reading 2578 Papers | Fantastic Anachronism
この努力・投資がもたらす効果は、医療技術から人間行動の新しい理解に至るまで、変革をもたらす。長期的には、これ以上重要なことはありません。
●《4》市場原理
著者のクリス・ロリーマン(Chris Loryman、写真出典)は、米国のカリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego)のイノベーション・商業化室の上級マネージャーで、以前はロンドンのいくつかの大学で知的財産と技術移転を管理していた。
―――――
研究再現性(reproducibility)は世界中で深刻な問題である。
英国の国会議員は自分たちで何ができるかを詳しく調査しているのを見て、私は心強くなりました。
しかし、彼らは、2011年と2018年の2回、同様な調査をしている。
私は、今回の新しい調査も、前2回と同様に問題の解決には効果がないのではないかと心配している。
研究再現性が得られない理由として、本物の研究不正行為が主要な原因ということはまれである。
よくある原因は、誠実な技術的エラー(honest technical errors)、機器の誤較正(equipment miscalibration)、材料の汚染と劣化(contamination or degradation of key materials)、が誤ったデータをもたらす、などである。
どれが、再現不能(unreproducible)な研究データなのかを明らかにすることは難しく、時間がかかる。
新しく報告された研究手法を学び、論文で発表された結果と一致するのを確認するには何年もかかる。
それでも、再現不能(unreproducible)やデータの不整合は、本物の(そして長い)学術的議論の対象となる。
また、大学教員の雇用は保護されていて、再現不能なデータを発表した大学教員でも、解雇するのは難しい。
ただ、大学教員には在職中ずっと、論文を出版するという絶え間ないプレッシャーがある。
では、研究の再現性(reproducibility)をどのように改善できるか?
複製研究(replication studies)をすることがしばしば提案される。しかし、複製研究は多大な費用がかかる。複製研究に数百万ポンド(数億円)を注ぎ込むより、はるかに効果的で現実的で、政治的に魅力的な代替の解決策がある。
その解決策は、大学由来のテクノロジーを新興企業に採用させることだ。
これは、なぜ機能するのか?
架空の事例で考えてみよう。
博士院生のサムはスミス教授の研究室で太陽電池エネルギーを改善するための研究に取り組んでいた。
サムは、さまざまな気候で効率を5%向上させることができるデバイスを発明した。これは、ビジネスとして魅力的な発明だ。サムは、特許出願し、この技術をビジネスにするための新しい会社を設立した。
地元の投資家が興味を持ち、サムの会社に追加の資金を提供した。これにはスミス教授との契約も必要だった。
スミス教授は、研究開発に主力の実験装置である「ホット・コールド・インキュベーター(hot and cold incubator)」の定期的なサービス経費を含む契約にした。
この実験装置は、実は実験装置の較正が間違っていることが判明した。
つまり、低温データが正しく測定されていなかったのだ。このことは投資家に通知されたが、これは投資家には重要な問題ではなかった。低温での測定は優先事項ではなかったからだ。
そして最終的に、スミス研究室は太陽エネルギー・ユニットの動作についてさまざまな温度での正確なデータを論文に発表できた。
これは、投資家と上級教員の研究室との間に直接的なつながりができ、ビジネスが絡んだ時の精査力が、研究成果を支援した一例である。
企業の研究と学術研究室の研究は大きく異なる。
企業の研究では実用的な信頼性が優先事項である。
投資家は、学術研究室で得られた研究データを別の研究室で再現性(reproduce)できるかどうか、確認することを要求する。しかし、研究公正委員会がそのような精査を要求することはほとんどない。
ビジネス化はまた、双方に都合の良い道を開くことがよくある。
学者は連携した企業の科学顧問として活動し、その過程で商慣行について学ぶことができる。これらは研究の新しい道を開くし、研究の質的向上にも役立つ。
サムの場合、実験装置のメンテナンスはスミス研究室だけでなく、その実験装置を使用している他のすべての研究室にも影響した。
スミス研究室の周辺の研究室は、「私たちの実験装置も再調整した方がいいかもしれない」と思った。
それで、さらにいくつかの実験装置が較正された。
実験装置が再調整されたというニュースは、投資家が期待するデータや基準が満たされたニュースにもなり、元学生の新興企業から迅速な資金を調達したスミス研究室に人気が集まった。
一方、研究の再現性が低いために企業が倒産したというニュースは、スキャンダル化し、非常に長い間、人々の心に残る。
もちろん、すべての研究結果が企業化に役立つわけではない。しかし、そうできる人にとっては、試すことで得るものは多く、失うものはほとんどない。
●《5》無駄の削減
著者のサイモン・コルストー(Simon Kolstoe、写真出典)は、ポーツマス大学(University of Portsmouth)の生命倫理学の準教授(reader)である。
―――――
新型コロナの大流行は、良い研究は人々の命を救うと強調した一方、悪い研究は人々の命を損なう結果につながることを示した。
2019年、イベルメクチンまたはヒドロキシクロロキンが新型コロナを治療できるという誤った主張がなされ、何人もの人々が毒物摂取レベルの症状で米国の病院に入院し、死亡した。
新型コロナ関連のさまざまな問題では、同じように、研究結果が確証されないために、間違いを招く(misleading)プレプリントが多くの国民の混乱を招いた。
適切な意思決定をするには、信頼できる科学データが不可欠であることは明らかである。
しかし、容易ではない。
優れた研究を設計・実施するという科学上の課題に加えて、複雑な経済的・社会的状況が影響する。
好むと好まざるとにかかわらず、お金が鍵であり、研究の質と量は研究費の潤沢度に依存する。
したがって、新発見を報告する動機、研究結果を歪める要素などを理解せずに、その新発見や研究データを受け入れるのは単純すぎて危険である。
新発見を報告する動機として良く知られている問題は、研究助成金の獲得、注目を集める論文の発表、そのための歪んだ激しい競争である。多くの科学者が名声を求めることに躍起になっている。
論文出版の報酬をそのようなことにリンクすると、科学研究の信頼性を高め、再現性のある結果を生み出す姿勢とは、次元の異なる欲望が目的となり、問題が生じる。
それは、資金提供、研究発表、論文ゲームに影響をもつ人々に有利になるように、科学研究を歪めることができるからだ。
この問題は、研究論文の質的なチェックをする査読の深刻な問題をさらに悪化する。
その結果、ポール・グラショウ(Paul Glasziou、写真左)とイアン・チャーマーズ(Sir Ian Chalmers、写真右)は、2009年に最初に概算し、その後、「2016年のBMJ」論文で、「研究テーマの間違い(wrong)、研究設計が不適切、研究結果を出版しない、研究結果が貧困、が原因で医学研究費の85%は無駄になっている」と指摘した。 → 2016年1月14日論文(写真出典同):Paul Glasziou and Iain Chalmers: Is 85% of health research really “wasted”? – The BMJ
「研究費の85%は無駄」という驚くべき数字は、医学分野だけで、世界中で毎年1,700億ドル(約17兆円)もの研究費が無駄になっていることを示している。
グラショウとチャーマーズの「2016年のBMJ」論文は、研究者、出版社、資金提供者に衝撃を与え、研究文化の改善と研究再現性を高める動きを駆り立てた。
研究費の無駄が認識され、対策が検討されているのは心強い。しかし、研究推進する現在の動機構造を変えない限り、研究費の無駄を解決する簡単な策はない。
簡単な策はないが、1つのアプローチを提案しよう。
それは、研究管理・運営(governance)と研究規範(ethics)をもっと有効に活用することだ。
この流れの1つの進歩例は、科学研究の名の下に行われたさまざまな虐待に対して、1964年に最初に採択された世界医師会(World Medical Association)の「ヘルシンキ宣言(Declaration of Helsinki)」が有名である。
ヘルシンキ宣言は、①治療において、インフォームドコンセントなど患者の同意を得るという重要な原則を示したが、後に、②倫理委員会の役割、③臨床試験の登録と報告を義務化することで透明性を高める、など、研究の質に関する他の重要な側面を含むように拡張された。
ただ、それがうまく実施されないと、残念ながら、これらの安全防止装置は官僚主義の氾濫につながり、それ自体が研究を遅らせたり、妨げたになり、研究費の無駄を生み出す。
したがって、課題は、研究(研究費)の無駄を検出し防止するシステムの設計である。
その検出・防止システムは、新型コロナの大流行の圧力のため、幾分、破壊された。
研究者たちは新型コロナとの戦いに多大な貢献をしてきた。
しかし、与えられた資金の規模、多くの科学者・研究機関の目標設定の急速な変化、研究管理・運営(governance)の一部の骨抜きによって、研究投資と研究者たちの努力がうまく活用されなかった。
「研究費の85%は無駄」という驚くべき数字は、新型コロナ関連の取り組みでははるかに高くなっていると懸念される。
現在、新型コロナ・パンデミックがようやく落ち着き始めたので、すべての研究資金がどこに行ったのか精査しようと計画している。
しかし、かなりの努力と資金が新型コロナ対策に対して具体的な結果を生み出せなかったと判明した場合、科学研究は、国民の信頼を著しく損なうことになるのではないかと懸念している。
●《6》透明な自己利益
著者のマーク・テイラー(Marc Taylor、写真出典)は、英国の臨床試験および関連情報を公開するデータベースであるISRCTNレジストリ(ISRCTN Registry)の議長である。
―――――
英国の生物医学は、新型コロナ(Covid-19)の対処でいくつかの素晴らしい成果を上げた。アストラゼネカ社はオックスフォード大学と協同し、わずか10か月で、世界中に使用できる安価なワクチンを発売することに成功した。
この時、英国の国民保健サービス (NHS:National Health Service)の研究ネットワークは、新型コロナの効果的な治療法を試験する大規模な臨床試験を迅速に実施したのである。
しかし、この成功で、英国は自己満足すべきではない。
どうしてか?
なぜなら、英国の研究文化の多くは、他国と同様に、依然として、病気の発生と戦う能力を制限しているからである。
世界保健機関は、重症急性呼吸器症候群(Sars)とエボラ出血熱に対する国際的な対応策の一環として、臨床試験登録システム(WHOレジストリ、WHO registry)を構築した。以下、ここでは、臨床試験登録システムを「WHOレジストリ」と呼ぶ。
私が議長を務める英国のISRCTNレジストリもWHOレジストリの創設に協力した。
WHOレジストリは、共通の基準に沿って世界中の臨床試験情報を収集し、提供している。
系統的な審査を経た臨床試験情報を統合することで、規則、ガイドライン、ライセンスのプラットフォームを提供し、長所が他の研究の短所を補うことができる。
しかし、何十年もの間、臨床試験情報をWHOレジストリに報告することが遅れていた。
[白楽注:この文書は臨床試験登録システムの話が多すぎる。白楽が途中を大きく省略した]
一部の研究は再現できない可能性がある。
研究公正に関する懸念に応えて、英国研究技術革新機構(UKRI – UK Research and Innovation)は英国研究公正委員会(UK CORI:UK Committee on Research Integrity)を設立した。 → 2021年7月15日:Promoting research integrity across the UK – UKRI
これで、再現性の危機に対処できるか?
英国研究公正委員会(UK CORI)は監視機関ではない。
再現性全体を議論するのは、別のフォーラムである。
「英国研究公正室(UK Research Integrity Office)」と「英国再現性ネットワーク(UK Reproducibility Network)」は、基準を議論し、実践的なガイダンスを発表している。 → 1‐5‐10 英国研究公正室(UKRIO:UK Research Integrity Office) | 白楽の研究者倫理
以下、白楽が省略。
●5.【白楽の感想】
《1》あれこれ
論文のタイトルが「研究公正を向上させるために何ができるか?」で、英国下院議会の科学技術委員会が「研究再現性の改善策」を模索していることから、この改善策は研究ネカトを減らす方向と同一と思った。
それで、白楽は、かなり期待してこの論文を読んだが、白楽の期待が大きすぎて、以下、幾分、欠点を指摘する感想になってしまった。
ドロシー・ビショップの「《2》良いキャリアは動く」で、ビショップの述べている意見は、標準的な意見という印象を受けた。
ただ、再現性(reproducibility)と複製性(replication)の定義を、ハンス・プレサー教授(Hans・Plesser)の定義と真逆の定義をしたけど、ビショップが間違えている気がする。
ティム・ベイツ(Tim Bates)の「《3》研究助成制度の革新」は、
わずか1万ポンド(約140万円)の研究助成金で、30万ポンド(約4200万円)の研究成果が複製できるかどうかを検証できる、と主張した。
画期的な案だと思うが、現実的ではない気もした。
ベイツ教授は心理学の分野を想定して改善策を述べていると思われる。しかし、その改善策は、他の分野(例えば、生命科学)には適用しがたいと感じた。
生命科学の研究者で、他人の研究成果を複製できるかどうかを研究したい人って、どれほどいるのだろうか?
クリス・ロリーマンの「《4》市場原理」は、うまくいった場合の話である。ビジネス化が可能な研究成果で、その分野では有効だろう。
ただ、学術研究全体を考えると、「研究再現性の改善策」になるとは思えなかった。
サイモン・コルストーの「《5》無駄の削減」は、「研究費の85%は無駄」という指摘に驚いた。この数字の高さに驚いたこともあるが、このような計算をしている論文があることに、驚いた。
ただ、コルストーも述べているが、「研究再現性の改善策」の特殊な解決策を示しているわけではない。
マーク・テイラー「《6》透明な自己利益」は、臨床試験データベースであるレジストリの話しで、「研究再現性の改善策」を提案する趣旨とズレている気がした。
全体的に、独特な視点で改善策を提示していて、各改善策はそれなりに興味深い。
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★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
●6.【コメント】
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