クリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg)(スウェーデン)

2019年11月8日掲載 

ワンポイント:【長文注意】。日本で知られていない大事件の1つ。2002年(51歳)、ルンド大学のエヴァ・ケルフヴェ教授(Eva Kärfve)とスウェーデンのレイフ・エリンダー小児科医(Leif Elinder)は、ヨーテボリ大学・教授のギルバーグの「2000年のJ Am Acad Child Adolesc Psychiatry」論文にデータねつ造・改ざん疑惑を抱いた。ところが、ヨーテボリ大学は学長ぐるみでギルバーグをかばった。また、ギルバーグは、様々な小細工を弄して研究データを隠蔽し、関係委員を恫喝し、自殺をほのめかし、激しく抵抗した。しかし結局、2人の追求者が勝利し、2004年(53歳)、裁判所が研究資料にアクセスできる裁定を下した。ところが、ギルバーグの共同研究者や妻がその膨大な研究資料をシュレッダーで全部廃棄してしまった。この蛮行に対し、裁判所は、ギルバーグを有罪(執行猶予付き)とした。また、調査を妨害したグンナー・スヴェドベリ学長も有罪(執行猶予付き)とした。有罪に不服で欧州裁判所に訴えたが、2012年4月3日(61歳)、ギルバーグは敗訴した。しかし、2019年11月7日(69歳)現在、ギルバーグはヨーテボリ大学・教授・医師として活躍し、小児・思春期精神医学の世界的権威である。国民の損害額(推定)は50億円(大雑把)。この事件は、白楽指定の重要ネカト事件である:激しい攻防戦。ネカト者が様々な小細工を弄して研究データを隠蔽、関係委員を恫喝、大学と学長はネカト者を支援。2人の追求者が裁判で研究資料にアクセスできる権利を勝ち取ったが、ネカト者側がその研究資料を全部廃棄した。裁判で、ネカト者と学長が有罪となった。それでも、小児・思春期精神医学の世界的権威。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.白楽の手紙
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】

クリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg、ORCID iD:、写真出典)は、スウェーデンのヨーテボリ大学(Gothenburg University)・教授・医師で、専門は精神医学(小児・思春期)である。小児・思春期精神医学の世界的権威である。

『アスペルガー症候群がわかる本(A Guide to Asperger Syndrome)』(2000年、日本語版は田中康雄 (監修)、森田由美 (翻訳)で2003年発行、表紙出典)(英語本の表紙出典はアマゾン)がある。

また、『自閉症の生物学(The Biology of the Autistic Syndromes)』(2000年)の著書もある(英語本の表紙出典はアマゾン)。

この事件はギルバーグ事件(Gillberg affair)と呼ばれている有名な事件である。

1997年(46歳)、ギルバーグは、スウェーデン・ヨーテボリ市に限定し、1971年生まれの子供たちを対象に長期的に発達障害に関する研究を始めた。研究は、子供たちが6〜7歳のときに始め、一部の子供を、ギルバーグが提唱する新しい疾患・注意運動制御知覚障害症(DAMP:Deficits in Attention, Motor control, and Perception)と診断し、大人になるまで続けた。

その研究成果をギルバーグは、「2000年のJ Am Acad Child Adolesc Psychiatry」論文として出版した。

2002年(51歳)、ところが、スウェーデンのルンド大学のエヴァ・ケルフヴェ・社会学教授(Eva Kärfve)とスウェーデンの小児科医・レイフ・エリンダー(Leif Elinder)は、出版されたこの論文を読んで、データに大きな矛盾点があることに気が付いた。

2人は、ギルバーグ(または共著者のラスムッセン)がデータをねつ造・改ざんしたと確信した。

ネカト調査のため、論文データの基礎となる医療記録の閲覧をギルバーグに求めたが、ヨーテボリ大学とギルバーグは患者のプライバシーを盾に拒否した。個人が特定できないように匿名にしたデータでよいとしたが、ギルバーグは、小細工を弄して、医療記録を見せなかった。

追求者は、裁判に持ち込んだ。

2004年05月04日(54歳)、裁判所は、医療記録を見せるようにと裁定した。

2004年05月09日(54歳)、ところが、驚いたことに、ギルバーグはさらに悪質な小細工を弄して、裁定後の5日間で、ギルバーグの3人の同僚が、ほぼすべての研究資料を破壊したのである。膨大なデータをシュレッダーで廃棄したのだ。

2005年06月27日(55歳)、その蛮行に、裁判所はギルバーグに有罪(執行猶予付き)を宣告した。なお、終始、ギルバーグを擁護してきたヨーテボリ大学のグンナー・スヴェドベリ学長も職権乱用で有罪とした。

ギルバーグは裁判所の結論に不服で、さらに欧州裁判所でも争った。

2012年4月3日(61歳)、しかし、ギルバーグは欧州裁判所でも敗訴した。

なお、これだけの悪質な隠蔽工作をしてきたにもかかわらず、ギルバーグは事件後も、ヨーテボリ大学・教授・医師として活躍し、2019年11月7日(69歳)現在、同職に在職している。そして、多数の人に、小児・思春期精神医学の世界的権威とみなされている。

university_of_gothenburgヨーテボリ大学(University of Gothenburg)。写真出典

  • 国:スウェーデン
  • 成長国:スウェーデン
  • 医師免許(MD)取得:xx大学
  • 研究博士号(PhD)取得:xx大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1950年4月19日
  • 現在の年齢:74 歳
  • 分野:精神医学
  • 最初の不正論文発表:1997年(46歳)
  • 不正論文発表:2000年(50歳)
  • 発覚年:2002年(51歳)
  • 発覚時地位:ヨーテボリ大学・教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は、ルンド大学の社会学教授であるエヴァ・ケルフヴェ(Eva Kärfve)とスウェーデンの小児科医であるレイフ・エリンダー(Leif Elinder)、大学に通報。大学が否定的なので裁判所で裁判
  • ステップ2(メディア):多数のメディア
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ヨーテボリ大学・調査委員会。②裁判所
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 大学の透明性:機関以外が詳細をウェブに公表(⦿)
  • 不正:ねつ造・改ざん
  • 不正論文数:1報。論文は1報だが、出版論文のほぼ全部が不開示データに基づいているので、ほぼ全論文が怪しい
  • 時期:研究キャリアの中期から
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けた(〇)
  • 処分:裁判で有罪(執行猶予付き)だが、大学から無処分
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は50億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

不明点が多い。ギルバーグは自分に都合のいい情報しか公開しない。これだけ有名人なのに教育歴が不明なのは珍しい。

  • 1950年4月19日:生まれる
  • 19xx年(xx歳):xx大学(xx)で学士号取得
  • 19xx年(xx歳):xx大学(xx)で医師免許(MD)取得
  • 19xx年(xx歳):xx大学(xx)で研究博士号(PhD)を取得
  • 1985年(35歳)頃:ヨーテボリ大学・教授
  • 2000年(50歳):後で問題となる「2000年のJ Am Acad Child Adolesc Psychiatry」論文を出版
  • 2002年(51歳):ネカト疑惑が発生
  • 2004年(54歳):裁判所に研究記録を見せるよう裁定されたが、膨大な研究記録を破棄した
  • 2005年(55歳):裁判所はギルバーグを有罪(執行猶予付き)とした
  • 2012年4月3日(61歳):欧州裁判所でも敗訴
  • 2019年11月7日(69歳)現在:ヨーテボリ大学・教授

●3.【動画】

以下は事件の動画ではない。

【動画1】
講演動画:「自閉症および臨床検査(Autism and clinical examinations) – YouTube」(英語)38分28秒。
The National Autistic Societyが2011/05/10に公開。話が上手。

【動画2】
講演動画:「クリス・ギルバーグ教授、自閉症研究会議、2015年11月(Professor Chris Gillberg, Research Autism conference, November 2015) – YouTube」(英語)55分18秒。
TheResearchAutismが2016/02/10に公開。

●4.【日本語の解説】

日本語の事件解説は見つからなかった。以下は、クリストファー・ギルバーグでヒットした日本語記事。

★2002年06月13日:厚生労働省・発達障害情報・支援センター:「医療・福祉従事者のための発達障害臨床に関する資料」

出典 → ココ、(保存版) 

今回、発達障害の研究者として世界的にも著名なスウェーデンイェーテボリ大学のクリストファー ・ ギルバーグ博士が来日されたことに伴い、発達障害児者を取り巻く現状と課題から今後の展望に至るまで、最先端の知見に基づいて執筆いただきましたのでご紹介します。発達障害児者支援の推進にお役立ていただければ幸いです。

クリストファー ・ ギルバーグ(Christopher Gillberg)教授
 1950年生まれ。児童精神医学分野の教授として研究・教育に従事。自閉症、アスペルガー症候群、ADHD、LD、トゥレット症候群、摂食障害のほか、児童・青年期の精神医学、神経発達的領域に関連する数多くの論文で研究報告をしており、これらの論文は、ICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)やDSM(精神障害の診断と統計の手引)などの国際疾病分類にも影響を与えている。これまでの研究の成果により数々の名誉ある賞を受賞。現在、GNC(Gillberg Neuropsychiatry Centre, Sweden)をはじめ、他の機関においても、多くの研究者のスーパーバイズを行う。

クリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg) https://sahlgrenska.gu.se/english/research/researchers/christopher-gillberg

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★全体像

この事件はギルバーグ事件(Gillberg affair)と呼ばれている有名な事件である。

ギルバーグはヨーテボリ大学・教授・医師で、事件当時、既に小児・思春期精神医学では有名な研究者だったが、事件後も世界的権威とされている。

妻のカリーナ・ギルバーグ(Carina Gillberg、写真出典)も同じ分野の研究者で、共著の論文を出版していた。また、研究記録を破棄し、共犯者といえる人物である。

1997年(46歳)、ギルバーグは、スウェーデンの子供10人に1人がDAMPまたは同様の神経疾患を抱えていると新聞に記述した。

そして、「2000年のJ Am Acad Child Adolesc Psychiatry」論文を出版した。

2002年(51歳)、ところが、ギルバーグの提唱する学説を裏付ける研究データにねつ造・改ざんが疑われた。

追求者は、データねつ造・改ざんの調査のため、論文データの基礎となる医療記録の閲覧をギルバーグに求めたが、ギルバーグは患者のプライバシーを盾に拒否した。個人が特定できないように匿名にしたデータでよいとしたが、ギルバーグは、小細工を弄して、医療記録を見せなかった。

追求者は、裁判に持ち込んだ。裁判所は、医療記録を見せるようにと裁定したが、ギルバーグはさらに悪質な小細工を弄して、結局、膨大なデータをシュレッダーで廃棄した。

その蛮行に、裁判所はギルバーグを有罪(執行猶予付き)とした。

ギルバーグはその後も、ヨーテボリ大学・教授・医師として活躍し、2019年11月7日現在、小児・思春期精神医学の世界的権威である。

★発覚の経緯

ダグラス・キーナン(Douglas J. Keenan)の解説を基に以下に述べる。 → 2007年7月21日のダグラス・キーナン(Douglas J. Keenan、写真出典)記者の記事:Informath >> The Gillberg affair

1996年(46歳)、ギルバーグ事件はスウェーデンのレゾ島(island of Resö)で開かれた小児・思春期精神医学の夏の会議で始まった。この会議のゲストの中に、数年間海外で研究した後、最近スウェーデンに戻った小児科医のレイフ・エリンダー(Leif Elinder)と、ヨーテボリ大学の小児・思春期精神医学のクリストファー・ギルバーグ教授がいた。

彼らは子供時代からお互いに知っていた。

この会議の後、ギルバーグ教授は、自閉症および注意運動制御知覚障害症(DAMP:Deficits in Attention, Motor control, and Perception)の研究で有名になり、注意運動制御知覚障害症(DAMP)の中心的な提唱者になった。

用語が長いので、注意運動制御知覚障害症をここでは「DAMP」と呼ぶことにする。「DAMP」は、注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention-Deficit Hyperactivity Disorder、右図出典)の1種だが、現在も、多くの研究者はDAMPを認めていない。無視する研究者が多く、強く批判する研究者もいる。

ギルバーグの研究のポイントは、スウェーデン・ヨーテボリ市に限定し、1971年生まれの子供たちを対象に長期的にDAMPに関する研究を始めたことだ。研究は、子供たちが6〜7歳のときに始め、一部の子供をDAMPと診断し、大人になるまで続けた。

子どもを成人期まで追跡することにより、DAMPが人々の生活にどのように影響するかについて結論を出すことができた。 たとえば、DAMPの子供が大人になった時、法律、薬物、対人関係などで問題を起こすことが多かったと結論付けた。

ギルバーグの研究は、小児期から成人期までDAMPの人を追跡する世界的に数少ない研究の1つだった。ギルバーグの研究データは、「DAMP(またはADHD)と診断された子供は、大人になってもその生活に悪影響が及ぶ」という学説の重要な証拠だった。

1997年03月20日(46歳)、ギルバーグは、スウェーデンの子供10人に1人がDAMPまたは同様の神経疾患を抱えていると新聞「Dagens Nyheter」記事に発表した。その最適な治療は、一般に、リタリン(Ritalin)などの精神薬を長期に服用することになる。

その記事を読んだスウェーデンのルンド大学の社会学教授であるエヴァ・ケルフヴェ(Eva Kärfve 、写真左、出典)とスウェーデンの小児科医であるレイフ・エリンダー(Leif Elinder、写真右、出典)は、スウェーデンの子どもの約10%が先天性精神病を患っていたというギルバーグの結論に非常に懐疑的だった。

彼らはまた、精神薬を長期に投与することが発達中の子供の脳に悪影響を及ぼす懸念、および薬の有効性に関する質の高い証拠が不足していることも懸念した。

ケルフヴェ教授はDAMPに関する本『Hjärnspöken: DAMP och hotet mot folkhälsan』(日本語訳:脳の幽霊:DAMPと公衆衛生への脅威)(表紙写真出典)(2000年9月10日)を出版した。つまり、ケルフヴェ教授は、DAMPについて本を出版するほどの専門家だった。

★ネカト調査請願

2000年11月01日(50歳)、ギルバーグと同僚のペダー・ラスムッセン(Peder Rasmussen、写真出典)は、ヨーテボリの子供たちの精神医学的研究について、アメリカ児童アカデミーの学術誌に論文を発表した(書誌情報は以下)。調査データの大部分は、子供たちが22歳の時、1993年に実際に収集されたものだとある。

出版された論文を読んで、ケルフヴェ教授とエリンダー医師は、「2000年のJ Am Acad Child Adolesc Psychiatry」論文のデータに大きな矛盾点があることに気が付いた。2人は、ギルバーグ(またはラスムッセン)がデータをねつ造・改ざんしたと確信した。

2002年02月19日(51歳)、ケルフヴェ教授とエリンダー医師は、ヨーテボリ大学にギルバーグのネカト調査を請願した。

ケルフヴェ教授は、また、ヨーテボリの子供に関するギルバーグの研究資料の閲覧許可を裁判所に申請した。

2002年02月27日(51歳)、ヨーテボリ大学・倫理委員会はネカト疑惑がもたれていることをギルバーグに伝えると、ギルバーグはネカトを否定した。それで、ヨーテボリ大学はケルフヴェ教授とエリンダー医師のネカト調査要求を却下した。

実のところ、倫理委員会はまともな調査をしないで却下した。というのは、倫理委員会の結論は最初から決まっていて、「ギルバーグのような著名な研究者がネカトをするわけがない」と思い込んでいた。

2002年04月13日(51歳)、エリンダー医師は、ギルバーグのネカト調査を再度ヨーテボリ大学に請願した(以下は英語版手紙の一部。全部はココ)。

2002年06月01日(52歳)、裁判所は、ヨーテボリの子供に関するギルバーグの研究資料へのケルフヴェ教授のアクセスの許可を再検討するようヨーテボリ大学に指示した。

2002年06月03日(52歳)、ヨーテボリ大学・倫理委員会はより慎重に検討した。そして、最終的に、倫理委員会は、スウェーデン研究評議会(Swedish Research Council)にネカト調査を依頼するかどうかの投票をした。

読者が予想されたように、投票結果は3対1で否決され、エリンダー医師のネカト調査の請願は再度却下された(以下はスウェーデン語版手紙の一部。全部はココ)。

ケルフヴェ教授とエリンダー医師の申し立ては明白である。

ギルバーグは、精神障害のある子供たちを専門家が診断したと述べているが、論文にはその専門家たちの名前が記載されていない。その名前を教えてくれるように要求した。ギルバーグは名前を教えたと繰り返し主張したが、実際は、具体的な名前を教えていなかった(言わなかった)。 このような行為は明らかにネカト疑惑を生む。白楽の推定だが、専門家たちは実在していないのだから、教えようがなかったと思われる。

また、ギルバーグは、精神障害と判定した人たち(専門家たち)に、神経精神医学の専門的な訓練・経験を要求していなかった。つまり、精神障害があると診断した専門家は実在しておらず、ギルバーグがいい加減に診断したのか、あるいは、素人に毛が生えたような人が診断したと思われる。

★研究資料へのアクセス要求

2002年06月25日(52歳)、ケルフヴェ教授は、研究資料へのアクセス許可とは別に、ギルバーグの不正を調査するようにヨーテボリ大学に要請した。

2002年07月09日(52歳)、エリンダー医師は、ギルバーグの研究資料へのアクセスの許可をヨーテボリ大学に要求した。

2002年08月30日(52歳)、ヨーテボリ大学はエリンダー医師の要求を拒否した。

2002年09月10日(52歳)、ヨーテボリ大学はケルフヴェ教授の研究資料へのアクセスも拒否した。

ケルフヴェ教授とエリンダー医師は、ギルバーグの研究データにネカトがあるのか・ないのかを自分たちで調査するために、ヨーテボリ大学に研究データへのアクセスを要求したのだが、子供たちを研究対象とするとき、個人情報を機密にするという約束をしたという理由で、ヨーテボリ大学はこのアクセスを却下したのである。

それで、ケルフヴェ教授とエリンダー医師は、データを匿名化するように要求した(つまり、個人情報は必要ないので、個人を特定できないように匿名にすることを要求した。この方法は個人情報を守る標準的な方法である)。しかし、それでも、ヨーテボリ大学は匿名化できませんと回答してきたのである。

2003年02月06日(52歳)、ケルフヴェ教授とエリンダー医師は、スウェーデン情報アクセス法(Swedish law of the Principle of Public Access)に基づき、データへのアクセス認可を法廷に持ち込んだ。裁判所は、データへのアクセスを許可すると決定した。

2003年02月12日(52歳)、ところが、ギルバーグとラスムッセンは、裁判所の決定に従わなかった。代わりに、ギルバーグは、外部の専門家に調査資料の精査を依頼した。

2003年02月14日(52歳)、上記の2日後(早い!)、ヨーテボリ大学は、外部の専門家として、スウェーデン研究評議会(Swedish Research Council)に研究を精査するための専門家委員会パネルを設けるよう依頼した。

2003年02月18日(52歳)、スウェーデン研究評議会(Swedish Research Council)は3人の教授で構成された専門家委員会を設置した。

2003年02月24日(52歳)、スウェーデン研究評議会とは別の話しだが、ヨーテボリ大学・倫理委員会は、2002年06月25日にケルフヴェ教授がギルバーグの不正を調査するようは要請されていたが、倫理委員会は投票で3-1になり、調査を却下した。

2003年03月07日(52歳)、一方、スウェーデン研究評議会(Swedish Research Council)の専門家委員会が調査を行なう前、次の出来事が勃発した。

ギルバーグの親しい同僚(ギルバーグと同じ学部のエリアス・エリクソンElias Eriksson)が別の教授に研究資料のいくつかを検査するように頼んだ。頼まれたのは、ヨーテボリ大学・名誉教授(専門は生理学)で、専門家委員会・委員長のオヴ・ランググレン(Ove Lundgren、写真出典)だった。 ただし、検査はランググレン個人として(つまり、専門家委員会・委員長ではなく)検査を行なうよう求めた。

バカなことに、オヴ・ランググレン名誉教授は、4時間かけて研究資料の一部を調べたが、ネカト・データは見つからなかったと伝えた。

調査資料は約10万ページもある膨大な文書・調査資料・メモ、それにビデオテープなども含まれていた。4時間程度で、ネカト疑惑を否定できるとは、到底思えないのは明白だ。

[なお、事件が終わった2006年11月21日、ランググレン名誉教授は、4時間の検査で見たファイルの中にケルフヴェ教授とエリンダー医師が申し立てたのと同じと思えるデータの矛盾があったと、事件を記事にしたダグラス・キーナン記者に語っている。(白楽注:後からではなく、最初からチャンと言えよ!)。]

2003年03月21日(52歳)、ギルバーグとラスムッセンは、専門家委員会・委員長であるランググレン名誉教授の検査の結果、「ネカト・データは見つからず、ネカト告発は否定された」とし、スウェーデン研究評議会(Swedish Research Council)が設置した専門家委員会による調査は必要ないとヨーテボリ大学・学長に手紙を書いた(以下、出典 → ココ)。

なお、専門家委員会・委員長のランググレン名誉教授は後に、ヨーテボリ大学・学長(2003年7月、前任者と代わった新しい学長・グンナー・スヴェドベリGunnar Svedberg)に以下の手紙を書いている。また、テレビのインタビューでも同じことを述べた。

私は、ギルバーグとラスムッセンに、4時間の検査では、ネカトがなかったとは決して証明できないと伝えてあります。私はこの事件で、このようなやり方で私が利用されたことは、私の職業人生の中で初めてです。(白楽注:もっとチャンと言えよ!!)。

2003年04月04日(52歳)、スウェーデン情報アクセス法(Swedish law of the Principle of Public Access)に基づき、裁判所は、2003年02月06日にケルフヴェ教授とエリンダー医師にデータへのアクセスを許可すると決定していたが、ヨーテボリ大学は控訴していた。この日、最高行政裁判所は、ヨーテボリ大学の控訴を棄却した。

2003年04月07日(52歳)、ヨーテボリ大学は裁判所の命令に従って、ケルフヴェ教授とエリンダー医師に研究資料へのアクセスを認めるしかない。しかし、汚いことに、ヨーテボリ大学はそのアクセスを名ばかりにし、実質的には研究資料の精査が不可能になるような制限を科した。

2003年04月10日(52歳)、議会オンブズマンは、ヨーテボリ大学が研究資料へのアクセスに制限を科したことは不当で、基本的な公民権を侵害する法律違反だとした。

2003年08月11日(53歳)、裁判所も、ヨーテボリ大学が規定したアクセス制限は不合理であるとし、否定した。裁判所はまた、研究資料を利用可能にする決定を再確認した。

2003年09月01日(53歳)、ところが驚いたことに、ヨーテボリ大学・代理学長のグンナー・スヴェドベリ(Gunnar Svedberg、写真出典)は、ギルバーグとラスムッセンに精神的ストレスを引き起こすので、裁判所の決定に従わないと、ケルフヴェ教授とエリンダー医師に手紙を送ったのである。

2003年09月09日(53歳)、代理学長だったグンナー・スヴェドベリは、ヨーテボリ大学・学長に正式に就任した。

2003年11月05日(53歳)、最高行政裁判所は、2003年08月11日に下級裁判所が下した研究資料を利用可能にする決定に対してギルバーグが異を唱えて控訴していた案件を棄却した。

2004年01月10日(53歳)、ヨーテボリ大学・理事長のアルネ・ヴィットロフ(Arne Wittlöf)は、スヴェドベリ学長とギルバーグ・グループと会議をし、スウェーデン研究評議会の専門家委員会に調査を依頼することについて話し合った。

しかし、ギルバーグはその調査を決して受け入れないと激しく抵抗した。

ヴィットロフ理事長は後に警察と州検察官に次のように述べている。

「私がヨーテボリ大学に勤務していたこれまでの45年間で、信じられないほど激しく感情的になった会議は、おそらくこの時が最高だったと思う。会議以前から、学長は命を恐れていると私に言っていたが、学長が私に、命を恐れていると言ったことの意味をその会議で理解しました」

つまり、この会議で、ギルバーグは調査を認めたら自殺する(または、認めた委員を殺す)と感情的に激高した言葉を発し、脅迫したものと思われる。

スヴェドベリ学長も後に、警察と州検察官に、「関係者は非常に気分が悪くなって、一部の人は長期の病気休暇を取ったり、・・・・自殺すると脅迫したり」と語った。

2004年01月22日(53歳)、ヨーテボリ大学は結局、ケルフヴェ教授とエリンダー医師が研究資料を精査すること要望を許可しなかった。

★データの破壊

研究資料へのアクセスに関する審議が数回、裁判所で行なわれ、その都度、アクセスは許可されるべきだとの判決がなされた。

2004年05月04日(54歳)、スウェーデンの裁判所は、ケルフヴェ教授とエリンダー医師が研究資料にアクセスできるとした5回目の判決、これが最終という判決をした。そして、今後、ヨーテボリ大学が提起するすべての異議は無効で、ケルフヴェ教授とエリンダー医師が研究データを精査するために研究資料を利用可能にするようにと最終的な裁定した。

2004年05月09日(54歳)、ところが、非常に驚いたことに、裁定後から5日間の間に、ギルバーグの3人の同僚、ラスムッセン(前出の論文共著者)、カリーナ・ギルバーグ(Carina Gillberg、前出のギルバーグの妻)、カースティン・ランバーグ(Kerstin Lamberg、大学事務局員)は、意図的にほぼすべての研究資料を破壊した。

研究資料は、約10万ページもある膨大な文書・調査資料・メモ、それにビデオテープなどである。1977年にヨーテボリで開始した15年に渡る研究資料である。60人の深刻な注意欠陥障害者の医療記録も含まれていた。ギルバーグ研究グループがそれまで収集し・分析した縦断研究のすべてを破壊した。ねつ造・改ざんが含まれていたとはいえ、貴重な研究資料である。

医療倫理の原則により、参加者の両親に子供に代わってインフォームドコンセントを与える前に、書面で機密性を約束した。そのため、機密の個人データおよび医療データを他人に精査させられないと屁理屈を主張した。

彼らは、研究資料を利用可能にするという裁判所の命令に従うと、研究参加者と契約した守秘義務に違反すると屁理屈を主張した。(白楽注:もちろん、言い訳です。前述したように、匿名化してもいいと言っている)

なお、ギルバーグは、英国医学誌(British Medical Journal)とのインタビューで、彼自身はデータ破壊のことを「全く知らなかった」と主張した。(白楽注:破壊は一瞬ではなく数日かかっている。信じる人はいないでしょうね)

★データの破壊のその後

2005年06月27日(55歳)、ギルバーグとヨーテボリ大学のグンナー・スヴェドベリ学長は刑事裁判所で有罪判決を受けた。学長は職権濫用である。2人は控訴した。

2006年02月08日(55歳)、2人の有罪は控訴裁判でも支持された。

2006年03月17日(55歳)、ラスムッセン、カリーナ・ギルバーグ、ランバーグの3人も、政府文書を破壊した罪で有罪判決を受けた。

2006年04月25日(56歳)、スウェーデン最高裁判所は、有罪判決に対するギルバーグの控訴を却下した。

2006年07月01日(56歳)、ヨーテボリ大学のグンナー・スヴェドベリ学長は辞任した。

2012年04月03日(61歳)、ギルバーグは欧州裁判所でも敗訴した。 → 2012年04月03日 記事(以下の写真も):Gillberg förlorade i Europadomstolen | SvD

クリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg) https://www.svd.se/gillberg-forlorade-i-europadomstolen

しかし、2019年11月7日現在、ギルバーグ(写真出典)はその後も、ヨーテボリ大学・教授・医師として活躍し、小児・思春期精神医学の世界的権威である。特に、性同一性障害に悩む若者の精神医学ではスウェーデンだけでなく世界的権威にである。
 → 2019年5月24日のスウェーデン語の新聞記事:Könsbyten “experimentell behandling”
 → 2019年10月24日の英語の記事:MercatorNet: A Swedish team takes a critical look at treatment for gender dysphoria
 → 2019年11月5日のポルトガル語の記事:EUA: Parlamentares republicanos elaboram projetos para proibir tratamento de “transição sexual” em crianças – Conexão Política

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

★パブメド(PubMed)

2019年11月7日現在、パブメド(PubMed)で、クリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg)の論文を「Christopher Gillberg [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、1992~2019年の28年間の360論文がヒットした。

「Gillberg C[Author]」で検索すると、1977~2019年の43年間の676論文がヒットした。

2019年11月7日現在、「Gillberg C[Author] AND Retracted」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。
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★撤回論文データベース

2019年11月7日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回論文データベースでクリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg)を「Gillberg」で検索すると、0論文がヒットし、0論文が撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2019年11月7日現在、「パブピア(PubPeer)」では、クリストファー・ギルバーグ(Christopher Gillberg)の論文のコメントを「Christopher Gillberg」で検索すると4論文にコメントがあった。

●7.【白楽の感想】

《1》尊大・傲慢 

ギルバーグの学説は、ねつ造・改ざんデータに基づいていると思われる。だから、データの提示を求められて、ギルバーグは必死に隠蔽工作をした。

また、悪質な小細工を弄してデータ精査を何度も拒否し、裁判所のデータ精査許可の決定に難癖をつけて何度も抵抗した。裁判所はデータ精査をさせるように5回も命じた。それで、いよいよ崖っぷちに立たされたギルバーグは、驚いたことに、研究資料のすべてをシュレッダーで廃棄するという暴挙にでた。凄まじい程のネカト調査の妨害である。傲慢・尊大である。

日本でも、ネカト調査の対象になったため、パソコンがクラッシュしたので元データがなくなった、と弁解した研究者がいたが、ギルバーグは凄まじい。

白楽は、このような悪質なネカト者を学術界そして社会は排除すべきだと思う。現実は排除されていないので、悪貨が良貨を駆逐する典型例である。

少なくとも日本は、ギルバーグを招聘、賞の授与、共同研究をしてはならない、と思う。実際はいるんですが・・・。

《2》早期発見

ネカト者はいろいろな言い訳はするにしても、ほとんどは確信犯である。悪いと知りつつも「得だから」するのである。

ギルバーグも悪いと知りつつも「得だから」したのである。だから、指摘された時、さまざまな小細工を弄して、必至に証拠隠滅をはかった。

では、ギルバーグ事件を防ぐにはどうしたらよかったか?

1つは、証拠隠滅できない研究システムを構築することだ。もう1つは、ねつ造・改ざんデータを初期の段階で直ぐに見つけ、徹底的に調査し、厳罰に処すことだ。そうすれば、事件は大きくならなかった。

ギルバーグの学説で健康被害を受けた人の数は不明だが、結構な数、いるのではないだろうか?

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日本がもっと豊かに、そして研究界はもっと公正になって欲しい(富国公正)。正直者が得する社会に!
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●9.【主要情報源】

①  ウィキペディア英語版:Christopher Gillberg – Wikipedia
② ◎2007年7月21日のダグラス・キーナン(Douglas J. Keenan)記者の記事:Informath >> The Gillberg affair
③ 2009年5月12日のオーブリー・ブルムソン(Aubrey Blumsohn)記者の記事:Scientific Misconduct Blog
④  2007年の論文「BMJ 2007;335:370」:Jonathan Gornal, BMJ. 2007 Aug 25; 335(7616): 370–373.:doi: 10.1136/bmj.39304.486146.AD:Research Ethics: Hyperactivity in children: the Gillberg affair
⑤  2012年4月3日:GILLBERG v. SWEDEN
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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