ワンポイント:メディアが注目した論文に「間違い」
●【概略】
クリストファー・トールステンソン(Christopher Thorstenson、写真出典)は、米国・ロチェスター大学(University of Rochester)・院生で医師ではない。専門は心理学(色認識)だった。
2015年8月25日(28歳?)、「気持ちがブルーだと世界がブルーに見える」という論文を発表した。多くのメディアが画期的な論文と好意的に取り上げた。
しかし、発表直後から、データの異常を研究者仲間、その後、パブピアに指摘され、トールステンソンは、検討の結果、間違いを認め、2か月後の11月、論文を撤回した。
撤回監視(Retraction Watch)は、トールステンソンの対応を「善行(doing the right thing)」に認定した。
この事件は、 「The Scientist」誌の2015年「論文撤回」上位10の第4位である(2015年ランキング | 研究倫理)
米国・ロチェスター大学(University of Rochester)。写真出典
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:ロチェスター大学(2017年予定)、ロチェスター工科大学(2018年予定)
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に1987年1月1日とする
- 現在の年齢:37 歳?
- 分野:心理学
- 最初の間違い論文発表:2015年(28歳?)
- 発覚年:2015年(28歳?)
- 発覚時地位:ロチェスター大学・院生
- 発覚:パブピア
- 調査:①同じ分野の他大学・院生。②パブピア。③本人
- 不正:間違い
- 不正論文数:1報。撤回
- 時期:研究キャリアの初期
- 結末:在籍のまま
●【経歴と経過】
出典:①Faculty : Clinical & Social Sciences in Psychology : University of Rochester(保存版)
- 生年月日:不明。仮に1987年1月1日とする。
- 2009年(22歳?):米国・フロリダ州立大学(Florida State University)で学士号取得。心理学と哲学
- 2012年(25歳?):米国・アパラチア州立大学(Appalachian State University)で修士号取得。実験心理学
- 2017年(30歳?):米国・ロチェスター大学(University of Rochester)で研究博士号(PhD)取得の予定。社会心理学・性格心理学(Social & Personality Psychology)
- 2018年(31歳?):米国・ロチェスター工科大学(Rochester Institute of Technology)で研究博士号(PhD)取得の予定。色科学(Color Science)
- 2015年(28歳?):論文の間違いが発覚し、論文を撤回した
●【研究内容】
クリストファー・トールステンソンは米国・ロチェスター大学のアンドリュー・エリオッット教授(Andrew J. Elliot、写真出典)の院生だった。
2015年8月、「悲しいと色覚能力が低下する」という以下の論文を「Psychological Science誌」に発表した。
- Sadness Impairs Color Perception(保存版)
Christopher A. Thorstenson, Adam D. Pazda, Andrew J. Elliot
Psychological Science, August 25, 2015
研究内容は以下のようだ(図は原著論文から引用)。
127人の被験者をランダムに2群に分けた。
「悲しい」グループは、被験者にライオンキングのビデオで、子ライオンが親ライオンの死ぬシーンのビデオも見てもらう。このシーンは鑑賞者に「悲しい」感情を持たせることが、別の論文で証明されている。
「楽しい」グループは、被験者にコメディーのビデオを見てもらう。
ビデオを見た後、48色の色覚を試験した。
結果は図1である。
上図(図1)から、「悲しい」グループは、青色-黄色の区別がしにくい。赤色-緑色の区別は低下していない。
次いで、130人の被験者を、今度は、「悲しい」グループと「中性」グループの2群にランダム分けた。
「悲しい」グループは、ライオンキングのビデオで、「中性」グループはスクリーン・セーバ-も見てもらった。ビデオを見た後、48色の色覚を試験した。
その結果、下図(図2)のように、「悲しい」ビデオを見た被験者だけ、青色-黄色の区別がしにくかった。赤色-緑色の区別は低下していない。つまり、「悲しい」グループと「中性」グループの色覚に有意な差が生じた。
そして、結論として、「悲しいと色覚能力が低下する」、「気持ちがブルーだと世界がブルーに見える」という研究結果を発表した。
この結論は、普通に思いつくレベルのことを心理学の実験で証明し、学術論文として発表したことになる。
論文発表後すぐに、多くのメディアは、この研究結果を面白がって、好意的に取り上げた。以下は、主に2015年9月のメディア記事群(全部ではない)。
① Got The Blues? Sadness Changes How You See The Color Blue, But Not Red(保存版)
② People Who Are Sad Have A Hard Time Seeing Yellow And Blue : Shots – Health News : NPR(保存版)
③ Blue moods may be connected to our perception of the colour | Science | The Guardian(保存版)
④ Depression Literally Colors The Way We See The World(保存版)
⑤ Bad Mood Can Impair your Colour Perception on the Blue-Yellow Axis » Technology Vista(保存版)
出典:上記の①
出典:上記の③
●【不正発覚の経緯と内容】
論文は、2015年8月25日にPsychological Science誌に発表された。
2015年9月2日、論文発表後すぐに、カナダのビクトリア大学(University of Victoria)・心理学専攻の院生・コルソン・アレシェンコフ(Corson Areshenkoff、写真出典)が、自分のブログで論文内容に問題があると指摘し、問題点を詳しく解説した。
(On the importance of plotting; or — Psych. Science will publish anything | areshenk_blog)(保存版)。
特に、「悲しい」グループと「中性」グループには色覚に有意な差が生じるという以下の図(原著図2の改変図)を示し、その解析方法の問題点を指摘した(下図は同ブログから引用)。
2015年9月4日、コルソン・アレシェンコフの指摘に賛同する内容で、パブピアでも数人の研究者が論文内容を疑問視し始めた(PubPeer – Sadness Impairs Color Perception)(保存版)。
2015年11月5日、論文出版の2か月後、著者は論文撤回した。撤回理由は、データの「ねつ造・改ざん」ではなく、「間違い」だとした。指摘されたようにデータ解析が間違っていたので、その訂正を試みたが、訂正すると、論文の結論が以前の結論と異なってしまう。それで、論文を撤回したと述べている。
青色-黄色スペクトラ(blue and yellow spectrum)。写真出典
●【論文数と撤回論文】
2016年2月26日現在、パブメド(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed)で、クリストファー・トールステンソン(Christopher Thorstenson)の論文を「Christopher Thorstenson [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2016年までの15年間の論文はゼロだった。
クリストファー・トールステンソン本人のサイトでは以下の3論文がある(Faculty : Clinical & Social Sciences in Psychology : University of Rochester)(保存版)。
出版論文
•Thorstenson, C.A., (2015). Functional equivalence of the color red and enacted avoidance behavior? Replication and empirical integration, Social Psychology. doi: 10/1027/1864-9335/a000245
投稿論文
•Thorstenson, C.A., Elliot, A.J., Pazda, A.D., Perrett, D.I., & Xiao, D. (under review). Emotion-color associatins in the context of the face.
•Thorstenson, C.A., Pazda, A.D., & Elliot, A.J. (under review). Color perception is enhances for faces.
2016年2月26日現在、パブメドにも本人のサイトにも記載されていないが、以下の1論文が撤回されている。本記事の該当論文である。
- Sadness Impairs Color Perception(保存版)
Christopher A. Thorstenson, Adam D. Pazda, Andrew J. Elliot
Psychological Science, August 25, 2015
●【白楽の感想】
《1》「正しい行動(doing the right thing)」
撤回監視(Retraction Watch)ブログは、研究ネカトや「間違い」で、「正しい行動(doing the right thing)」を取ったケース・人を称えている。
この事件も、その栄誉に浴している。
批判に誠実に対応し、論文出版の2か月後に論文撤回しているからだ。
「褒める事」で研究不正を減らすこのやり方は優れている(doing the right thing Archives – Retraction Watch at Retraction Watch)(保存版)。
《2》「間違い」論文
指導教授で共著者のアンドリュー・エリオッット教授は論文の「間違い」に気が付かなかった。Psychological Science誌の査読者も論文の「間違い」に気が付かなかった。これでは、指導教授や査読者失格である。本来のシステムが機能していない。これでいいのだろうか? ペナルティなしでいいのだろうか?
当該論文は、多くのメディアが取り上げたので、論文出版後に論文内容を精査する人が現れ、かつ、間違いだとブログで指弾した。
ということは、「キジも鳴かずば撃たれまい」である。
メディアが取り上げない論文の間違いは指弾されないということだろうか? 多分、出版された論文の99.9%以上はメディアが取り上げない。
従来の方式だと、「間違い」論文は、引用されず、著者の評価は低くなる。それで淘汰されてきた。この従来の「間違い」論文への対処方式で、今後も、いいのだろうか?
「間違い」論文の割合や実害が定量的に分析されていないが、再現できない論文のかなりの割合は「間違い」論文だろう。「間違い」論文の実態を研究し、別の対処システムを構築する必要な気がする。
《3》第一指摘者の重要性
今回の事件では、論文発表後すぐに、カナダ・ビクトリア大学(University of Victoria)・心理学専攻の院生・コルソン・アレシェンコフ(Corson Areshenkoff)が、自分のブログで論文内容に問題があると指摘した。
研究ネカトや「間違い」を減らす対策として、コルソン・アレシェンコフのような第一指摘者の存在はとても重要である。どのような機関・分野であれ、研究現場に、このような第一指摘者がたくさんいる状態にしないと、研究ネカトは減らないだろう。
米国・ロチェスター大学のアンドリュー・エリオッット教授・研究室の院生・室員。右端がクリストファー・トールステンソン(Christopher Thorstenson)。出典
●【主要情報源】
① 2015年11月5日のアリソン・マクック(Alison McCook)の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:Got the blues? You can still see blue: Popular paper on sadness, color perception retracted – Retraction Watch at Retraction Watch(保存版)
② 2015年11月6日のナンシー・シュート(Nancy Shute)の「Health News : NPR」記事:Scientists Made Errors In Study On Sadness And Color Perception : Shots – Health News : NPR(保存版)
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