ジョン・ダーシー(John Darsee)(米)

ワンポイント:ハーバード大学の天才医学者の34年前のねつ造事件

【概略】
10FF5ジョン・ダーシー(John Darsee、写真出典)は、米国・ハーバード大学医学大学院(Harvard Medical School)・研究員で、専門は心臓内科の医師だった。上司は、著名なユージン・ブラウンワルド教授(Eugene Braunwald)である。

1981年(33歳)、ねつ造・改ざんが発覚した。

日本学術会議会長・金澤一郎が2009年7月3日に講演で述べている。

まず、「捏造」の事例をいくつかご紹介します。最初の例はジョン・ダーシーという人です。若くして非常にアクティブに、わずか3年間で100 編の論文を書いたということですが、それを元に、国から300 万ドルの研究費を得ていました。論文が多すぎることから疑惑の目を向けられ、実験データを捏造する現場を押さえられて白状したという話です。難しいのは、上司がダーシーという人を信用しきっておりまして、これ以降もずっと続けて仕事をさせたということです。1970 年代というのは、まだそういう時代だったのかもし れません。(2009年7月3日 www.scj.go.jp/ja/head/img/090703-kaityou.pdf

上記は基本的に間違っていませんが、「これ以降もずっと続けて仕事をさせた」の「ずっと」はニュアンスから判断すると10年間くらいの印象がありますが、数か月~1年程度だったと思われます。

Harvard_Medical_School,_Bostonハーバード大学医学大学院(Harvard Medical School)。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 研究博士号(PhD)取得: ない
  • 男女:男性
  • 生年月日:1948年。仮に、1948年1月1日とする。
  • 現在の年齢:69 (+1)歳
  • 分野:心臓内科
  • 最初の不正論文発表:1978年(30歳)
  • 発覚年:1981年(33歳)
  • 発覚時地位:ハーバード大学医学大学院・研究員(research fellow)
  • 発覚:同じ研究室の同僚
  • 調査:①ハーバード大学医学大学院・調査委員会。②NIH・調査委員会。~2013年12月23日。③エモリー大学医学大学院・調査委員会
  • 不正:ねつ造・改ざん
  • 不正論文数:パブメドでは14論文が撤回だが、ハーバード大学は30論文を撤回、エモリー大学は52論文を撤回している
  • 時期:研究キャリアの初期から
  • 結末:解雇または辞職、医療資格はく奪

【経歴と経過】

  • 1948年生まれる。仮に、1948年1月1日生まれとする
  • 1966 ‐1970年(18-22歳):米国・ノートルダム大学(University of Notre Dame)・学部生
  • 1974年(26歳):米国・インディアナ大学医学大学院(medical school atIndiana University)を卒業。医師免許
  • 1974‐1979年(26-31歳):エモリー大学(Emory University)関連病院のGrady Memorial Hospitalの研修医を1977年まで勤め、その後、主任研修医(chief medical resident)
  • 1979年7月(31歳):ハーバード大学(Harvard University)・ 心臓研究室(Cardiac Research Laboratory)の研究員(research fellow)。上司は、ロバート・クローナー(Robert Kloner)
  • 1981年5月21日(33歳):ねつ造が発覚
  • 1981年7月2日(33歳):ハーバード大学医学大学院・助教授就任予定が取り消される
  • 1981年?(33歳):ハーバード大学を辞職し、エリス病院(Ellis Hospital)の救急医として勤務
  • 1983年6月(35歳):エリス病院を解雇または辞職
  • 1984年(36歳):ニューヨーク州は医療資格をはく奪した

【不正発覚の経緯と内容】

1979年7月(31歳)、ダーシーはハーバード大学(Harvard University)の心臓研究室(Cardiac Research Laboratory)の研究員(research fellow)になった。

lee-jacket-1425646103心臓研究室と他の研究室全体のトップはユージン・ブラウンワルド教授(Eugene Braunwald、写真出典)だった。

Robert Klonerブラウンワルド教授は、心臓研究室の責任者をロバート・クローナー(Robert Kloner、写真出典)にした。クローナーは、4年前に医師免許を取得し、ハーバード大学医学大学院に1年前に研究員(Research and Clinical Fellowship)として着任したばかりにはだった。心臓研究室には他にもう1人の研究員と2人のテクニシャンがいた。

ダーシーはクローナーより1歳年上だった。

1981年5月、心臓研究室の同僚研究員が、ダーシーの発表予定の論文に不審を抱いた。発表予定のデータは実際には実験されていない。データねつ造ではないかと疑念を抱いて、ロバート・クローナーに相談した。

クローナーは、論文原稿に記載されている犬の心電図記録、血液量測定実験記録、心臓の組織標本などの生データを見せてくれるように、ダーシーに伝えた。

実は、ダーシーは生データを持っていなかったのである。困った。データはねつ造だったのである。

それで、仕方なしに、見せてほしいと言われた生データを作ることにした。

1981年5月21日、ダーシーは実験動物の犬を実験装置にセットし、実験を始めた。実験装置から打ち出される測定用紙のデータに、1日目、2日目と書き込み、2週間分の実験データを作ったのである。

ところが、その作業を共同研究者に見られてしまった。

共同研究者はすぐに上司のロバート・クローナーに報告した。クローナーはダーシーを呼んで事の真相を確かめた。現場を見られたダーシーは、データの不正操作を認めるしかなかった。

ブラウンワルド教授とクローナーは、ダーシーの研究ネカトを「徹底的に調査」したが、それ以上の証拠はつかめなかった。それで、5月21日のダーシーのデータ操作は、たまたまその日だけの一過性の事件とみなしたのである。また、ダーシーのデータ不正操作をハーバード大学医学大学院に報告しなかった。

ブラウンワルド教授は、ダーシーを研究室から追放することなく、この事件の数か月後に、ダーシーと共著の論文を数編を発表した。つまり、ブラウンワルド教授はダーシーを可愛がり、優秀な研究者と思い込み、ダーシーの不正を厳しく追及しなかった。

★NIHの調査委員会

丁度同じ時期、ブラウンワルド教授は、NIHの助成を受け、共同研究プロジェクト「虚血性心筋症予防の動物モデル」を複数の大学と共同で行なっていた。上記のような状況ではあったが、ブラウンワルド教授は、研究室のデータをダーシーに取りまとめさせた。

1981年9月、ブラウンワルド教授は、研究室のデータをNIHに報告した。

NIHの共同研究プロジェクト「虚血性心筋症予防の動物モデル」担当者が、各大学から集めたデータを比較すると、ハーバード大学のデータ、つまり、ブラウンワルド教授研究室のデータが他大学のデータと大きく食い違っていた。

この食い違いの説明をブラウンワルド教授に、ブラウンワルド教授はダーシーに求めたが、ダーシーは正当な返事ができなかった。

それで、ハーバード大学医学大学院はダーシーの不正に関する調査委員会を設けた。

morgan1981年10月、NIHも別途、調査委員会を立ち上げた。NIHはペンシルバニア大学医学大学院のハワード・モーガン教授(Haward E. Morgan、写真出典)を委員長に5人の委員からなる調査委員会を設け公式調査を開始した。

1982年3月、NIHのモーガン委員会は調査報告書を公表した。

調査の結果、ダーシーの論文に多量のねつ造を発見したのである。ブラウンワルド教授とクローナーの調査が甘いとも非難したが、実は、「徹底的に調査」したと言っていたブラウンワルド教授とクローナーは、実際は調査していなかったことも明るみに出た。

1966 ‐1970年にダーシーが学部生として在籍したノートルダム大学でも、データねつ造・改ざんをしていたことが発覚した。

白楽が思うに、この記述は、少しヘンである。パブメド(PubMed)で検索すると、1966 ‐1970年に出版したダーシーの論文はない。それに、「学部在学中のデータねつ造・改ざん」って、奇妙な気がする。学部在学中に論文を書くことは通常はない。大学に提出したレポートでのデータねつ造・改ざんだったのだろうか?

閑話休題

NIHは、結局、ダーシーに10年間の研究費申請不可という処分を科した。また、所属していた米国・ハーバード大学医学部の基幹病院であるブリガム・アンド・ウィメンズ病院(Brigham and Women’s Hospital)に助成金122,371ドル(約1,200万円、当時の為替レートは現在と大きく異なるが、1ドル=100円とした)の返還を要求した。研究ネカトで研究費の返還を要求した米国で最初の例である。

なお、ダーシーは、データねつ造に関して、一貫して「記憶にございません」と主張し続けた。

★ハーバード大学医学大学院の調査委員会

ross1981年11月、NIHとは別に、ハーバード大学医学大学院はジョンズ・ホプキンス医学大学院(Johns Hopkins University School of Medicine)・院長のリチャード・ロス(Richard S. Ross、写真出典)を委員長に8人の委員からなる調査委員会を設け調査を開始した。

ダーシーの実験では、放射性物質を注射した犬の心臓組織を分析するのだが、保存してある心臓組織を再分析すると、放射性物質が検出されない心臓組織が出てきた。つまり、実験をまともに行なっていないので、まともなデータがでるわけがない。

さらに、実験では、犬の心臓を摘出してから測定するのだが、心臓が摘出されていないままの犬の埋葬死体も見つかった。

1983年2月、ハーバード大学はダーシーの論文にねつ造があったと発表し、ダーシーの30論文を撤回した。

★エモリー大学の調査委員会

1981年11月、ハーバード大学医学大学院のブラウンワルド教授は、ハーバード大学医学大学院でダーシーのデータねつ造事件が起こったと、エモリー大学医学大学院に伝えた。

ダーシーはハーバード大学医学大学院に来る前の6年間(1974‐1979年、26-31歳)、エモリー大学医学大学院で研究していたのである。

1981年12月3日、ブラウンワルド教授は、エモリー大学医学大学院もダーシーの論文を監査するよう促した。

drjamesglenn_crop1982年2月17日、エモリー大学医学大学院・院長のジェームス・グレン(James F. Glenn、写真出典)は調査委員会を設けた。

1982年6月29日、エモリー大学・委員会は調査を終了した。

1983年2月、エモリー大学はNIHの調査報告書とともに委員会の調査結果を公表した。結局、エモリー大学はダーシーの論文にねつ造があったと発表し、ダーシーの52論文を撤回した。

【論文数と撤回論文】

2015年8月11日現在、パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、ジョン・ダーシー(John Darsee)の論文を「Darsee JR[Author]」で検索すると、1977~1981年の26論文と1983年の論文撤回通知がヒットした。

2015年8月11日現在、1978~1981年の14論文が撤回されている。

最新の1981年論文

最古の1978年論文

ユージン・ブラウンワルド(Eugene Braunwald)と共著の論文は、1981年の6論文があり、うち4論文が撤回されていた。

ロバート・クローナー(Robert Kloner)と共著の論文は、1980年・1981年の9論文があり、うち6論文が撤回されていた。

【事件の深堀】

★ユージン・ブラウンワルド教授(Eugene Braunwald)の論理と組織の論理

ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド(牧野賢治訳) 『背信の科学者たち』には以下の記述がある。245ページの一部をコピーしたが、最後の文章が切れてしまった。次ページ(246ページ)の1行目は「単に無罪放免とされたのである」。

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ユージン・ブラウンワルド教授(Eugene Braunwald)

研究者の事件を扱っていると、「教授は無罪で若い研究者がスケープゴート」という記述がとても多い。これそのように記述された事件のすべてが、本当にそうなのか、評者がそういう見方をとるのかは、ハッキリとはわからない。

ただ、ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイドは、ダーシーの事件を「教授は無罪で若い研究者がスケープゴート」とみている。

ブロードとウェイドの『背信の科学者たち』の原書は1982年出版だが、33年後の2015年でも、多くの場合、「教授は無罪で若い研究者が有罪」という結論は多い。この場合、若い研究者は「スケープゴート」なのかどうか、調査報告書などの資料を見ていてはわからない。事件の調査委員としてナマの現場に踏み込まないとわからないだろう。

それは、それとして、「教授は無罪で若い研究者が有罪」という調査委員会の結論が多いのは、調査体制に組み込まれたメカニズムで、調査体制を変えなければ変わらない仕組みだと思える。

つまり、当時も現在も、当該大学の副学長クラスが調査委員会の委員を任命する。任命者と委員はある意味、利害関係では同じ側に立つ仲間である。100歩譲っても、選任された委員は、任命者に批判的ではないし、反感を抱いてはいない。思想や価値観は共通である。

任命者は、そういう委員を選ぶのである。従って、委員は、心から誠実に調査・審議したとしても、任命者に、つまり副学長、ひいては当該大学、当該大学の有力教授に、好意的な発言・結論をする。どうしてかって? 最初から、そういう委員が選任されているからである。

第3者委員会や外部委員などと、いかにも公平中立な印象を与えた呼び方の委員会を設置する場合もあるが、任命者と委員の関係は同じである。

委員は、任命者の副学長やその大学に不利は発言をすることは、基本的にはありえない。国民の幸福のために研究体制のあるべき姿を模索するということはありえない。とはいえ、「公正な議論がされ、偏らない結論をした」と国民に思わせることは上手である。

日本はこの傾向が欧米に比べとても強い。小保方事件での理化学研究所とその委員会でも同じである。東京大学、大阪大学などの事件でも同じである。

だから、日本は、研究者の事件の抜本的な解決はほとんど望めない。なにか、新しい仕組みを作らないと変わらない。

★ジョン・ダーシー(John Darsee)の初期の論文

32781c8ダーシーの最初の論文は1977年に出版されているが、単名である。2報目も1977年に単名で出版し、3・4報目の1978年の論文も単名である。

つまり、最初から4報目まで単名で論文を出版している。ということは、研究遂行および論文作成のまともな指導者なしに自己流で研究スタイル・論文執筆スタイルを習得したということだろうか?

4論文のうちの無料で閲覧できる1つの論文をみると、研究論文ではなく他の論文へのコメントだ。他の3論文も、ページ数が1~2ページなので、研究論文ではないだろう。そのためか、これらの4論文は撤回されていない。

5番目の1978年論文は以下で、ドナルド・ナッター(Donald O. Nutter)と共著である。

ダーシーがエモリー大学(Emory University)関連病院(Grady Memorial Hospital)の主任研修医の時の研究論文で、ナッター(医師、研究博士号(PhD)なし)は上司(教授?)だったと思われる。

ナッターが研究のあり方や論文の書き方をダーシーにしっかり指導していれば、事件は起こらなかったかもしれない。

【その後の人生】

bildeダーシー(右。左は息子。写真出典)は、この事件で、1983年6月(35歳)、エリス病院を解雇(または辞職)し、1984年には、ニューヨーク州での医療資格を失った。医師として働くことはできない。10年間の研究費申請不可処分を科されたるので、研究者として雇ってくれる大学・研究機関もなかった。

身から出た錆とはいえ、30代半ばに事件で処分され、それまで天才エリートコースを生きてきた医師・大学教員は、その後の人生に胸を張って生きていくのは大変だったろう。

事件後、ニューヨーク州のウェスト・ニャック(West Nyack)で、外科看護師の妻・リンダ・ヒュー(Linda Hughes)と2人の子供と暮らした。

2015年8月現在、67歳、妻リンダ・ヒュー(Linda Hughes)の姓を使ったジョン・ヒュー=ダーシー(John Hughes-Darsee)という名前で、フロガーと科学ライターとして活動している。ツイッターで発信もしている:JR Hughes-Darsee MD(@jdarsee)さん | Twitter

【白楽の感想】

《1》有名な事件

ジョン・ダーシー(John Darsee)事件は、米国が研究倫理に正面から丁寧に取り組み始めた丁度その時期に起こった。それも、ハーバード大学医学大学院という名門中の名門で起こったのだから、米国の学術界、政府、一般社会で大きな関心を呼んだ。たくさんの記事・論文・書籍が出版されている。

34年前のねつ造事件なのに、比較的多くの資料がある。

とはいえ、いまだにデータねつ造事件は後を絶たない。ダーシー事件をしっかり学び、有効な防止策を立てたとは言い難い事実を物語っている。別の視点で見ると、「完璧な研究ネカト防止策」はないということだ。飲酒運転防止と同じで、厳罰化・監視・社会常識など多方面からジワジワ攻めるのが有効だろう。

10FF4[1]
ジョン・ダーシー(John Darsee)、写真出典

【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:John Darsee – Wikipedia, the free encyclopedia
② 1992年論文。Carol Ann Kochan & John M. Budd:The Persistence of Fraud in the Literature: The Darsee Case.
③ 1983年6月14日、ウィリアム・ブロード(William J. Broad)の「NYTimes.com」記事:NOTORIOUS DARSEE CASE SHAKES ASSUMPTIONS ABOUT SCIENCE – NYTimes.com
④ The Darsee Case:www.ccbb.pitt.edu/bbsi/2007/ethics/talk_group1.pdf
⑤ 書籍:1992年。David J. Miller, Michel Hersen、「Research Fraud in the Behavioral and Biomedical Sciences」、John Wiley & Sons, 1992/03/24 – 251 ページ。一部無料閲覧可能
⑥ 書籍: アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳):『科学の罠』、工作舎、1990年。文章はウェブ上にない
⑦ 書籍: ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド(牧野賢治訳): 『背信の科学者たち』、講談社、2006年。文章はウェブ上にない
⑧記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。