ヴィプル・ブリグ(Vipul Bhrigu)(米)


【概略】
141111 brigu[1]-1ヴィプル・ブリグ(Vipul Bhrigu、写真出典)は、インドで生まれ育ち、2003年に渡米し、2009年(推定)、米国・トレド大学で博士号を取得した。2009年4月から米国・ミシガン大学(University of Michigan)・総合がんセンターのテオドラ・ロス研究室のポスドクとして、がんの細胞生物学を研究していた。

2010年、同じ研究室の大学院生・ヘザー・エイムスの実験を妨害した(sabotage:サボタージュ、妨害行為、破壊行為)。その妨害行為が防犯ビデオで記録され、不正研究の裁判で有罪となった。

この事件は、「The Scientist」誌の2010年の科学トップ・スキャンダルの第5位になった(2010年ランキング | 研究倫理)。

  • 国:米国
  • 成長国:インド
  • 男女:男性
  • 生年月日:不明。以下、1980年1月1日生まれとした年齢を(?)付で入れた
  • 現在の年齢:37 (+1)歳?
  • 分野:がん学
  • 最初の不正:2010年(30歳?)
  • 発覚年:2010年(30歳?)
  • 発覚時地位:米国・ミシガン大学(University of Michigan)・ポスドク
  • 発覚:内部告発による防犯ビデオで犯行が記録された
  • 調査:①ミシガン大学。調査期間:不明。②米国・研究公正局。調査期間:不明
  • 不正:研究妨害
  • 不正論文数: 0報
  • 時期:研究キャリアの初期から?
  • 結末:解雇。インドへ帰国。裁判で有罪。損害賠償。罰金

【経歴】
不明点多し。

  • 19xx年:生まれる。以下、1980年1月1日生まれとした年齢を(?)付で入れた
  • 19xx年(xx歳):xx大学を卒業
  • 2003年(23歳?):インドから米国にきた
  • 20xx年(xx歳):オハイオ州のトレド大学(University of Toledo,)のジェームス・トレンペ(James Trempe)研究室で博士号取得
  • 2009年(29歳?)4月:米国・ミシガン大学・総合がんセンター(Comprehensive Cancer Center)のテオドラ・ロス教授(Theodora Ross)のポスドク
  • 2010年(30歳?)4月:不正が発覚する
  • 2010年(30歳?)9月:裁判所の判決で有罪
  • 2010年(30歳?)9月:インドに帰国

【不正発覚の経緯】

この事件は他人の実験を妨害した事件である。以下の記事を主に参考にした。
Research integrity: Sabotage! : Nature News
Lab sabotage deemed research misconduct (with exclusive surveillance video) : Nature News Blog

141111 ames1[1]2009年 ヘザー・エイムス(Heather Ames、写真:Heather Ames)は、ミシガン大学のテオドラ・ロス研究室の大学院生だった。研究は順調に進んでいたが、ここ数か月、以前起こらなかった異常なことが頻発していた。誰かが自分の研究を妨害しているのではないかと疑うようになった。しかし、ヘザーは仲の良い友人でポスドクのヴィプル・ブリグ(Vipul Bhrigu)を疑ったことはなかった。

141111 ross-banner[1]テオドラ・ロス教授(Theodora Ross)写真

2009年12月12日、ヘザー・エイムスは、誰かが実験を妨害していることにハッキリと気がついた。めったに失敗しないルーチン作業のウェスタン・ブロットに、異常なバンドが検出されたのだ。誰かが自分のタンパク質試料に関係のないタンパク質を入れたとしか考えられない。

5日後の2009年12月17日、また、同じ異常が検出された。エイムスは、タンパク質試料に関係のないタンパク質を入れられたのではなく、誰かが、細胞培養容器のフタのラベルを書き換えたために、その培養細胞からタンパク質を調製したウェスタン・ブロットに、異常なバンドが検出されたのだと、はっきり認識した。それで、エイムスは、細胞培養容器のフタにラベルを書くとともに、細胞培養容器の底にもラベルを書いた。

そうこうしているうちに、次の異常が現れた。混入するはずのないタンパク質がタンパク質試料に混入していたのだ。そのために、ウェスタン・ブロットに異常なバンドが現れるという事態に遭遇した。

それが2回も起こったので、フィアンセのいる近くの実験室でウェスタン・ブロットをしたら、そこでは異常が見つからなかった。

研究室内の誰かが異常なことをしている。しかし、証拠はない。犯人と思える人も見当たらない。友人に相談すると、「妄想だよ」と一蹴された。

1411112010年1月24日のウェスタン・ブロット写真:右半分下部の大きく黒い領域はヘザーの試料にはもともと含まれていないタンパク質だった。出典

ロス研究室は小さな研究室で、テオドラ・ロス教授以下、数人の学生・院生、ポスドクのヴィプル・ブリグ、9年目の研究室マネージャーであるカテリーヌ・オラヴェッツ=ウィルソン(Katherine Oravecz-Wilson)が主要構成メンバーだった。

2010年2月28日(日曜日)、ヘザー・エイムスは、再び、別の実験妨害に出くわした。

培養細胞の培養液を交換しようとしたら、細胞が弱っていて培養器から剥げ落ちた。つまり、細胞が死にかけていた。これは、誰かが培養液に毒物を入れたために起こったに違いない。

培養液を取り出して、電灯に透かして見ると、ウィスキーに水を注いだ時にできる透明な渦が、赤い培養液中にできていた。臭いをかぐと、アルコールの臭いがした。本来の培養液にアルコールは入っていないので臭うはずはない。それどころか、アルコールは細胞に毒である。エイムスは、今までの異常な出来事は、自分が間違えたのではなく、誰かが妨害していたことを確信し、その証拠を得たと思った。今度こそハッキリできると思った。

141111 細胞培養液2010年2月。エタノール(細胞毒)を加えられた細胞培養液。出典

実験室から、日曜日で自宅にいたロス教授に、すぐに電話し、「実験妨害の証拠をつかんだ」伝えた。ロス教授は実験室にきて、培養液の臭いをかぎ、アルコール臭がしたので、おかしいことを認めてくれた。

しかし、ロス教授は、研究室の誰かが妨害するなんて前代未聞の事態をにわかに信じることができなかった。捜査することを最初はためらった。エイムスが自分の研究がうまく進まないのを誰かのせいにしているのではないかと数人に相談した。しかし、エイムスが何度も捜査してほしいと言うので、ロス教授は、ようやく問題を取り上げることにした。

ロス教授は大学の法律サービス担当副所長のレイ・ハッチンソン、所長のパトリシア・ワードに相談した。2人とも、このようなケースは初めてだった。何回か会って対応を相談したが、その間に、2回ほど培養液にアルコールが入れられた。

培養液エタノール事件の9日後の2010年3月9日 パトリシア・ワードはキャンパス警察に連絡した。キャンパス警察は直ちに始動した。

キャンパス警察は、まず、ヘザー・エイムスにインタビューを2回行い、ポリグラフも行なった。キャンパス警察はエイムスが嘘をついていないと判定した。

約1か月後の2010年4月18日(日曜日)午前4時、キャンパス警察は、実験室内の2か所に隠しカメラを設置した。この日は日曜日だが、エイムスは朝から午後5時まで実験室で研究をした。

翌日の2010年4月19日(月曜日)、午前10時15分、エイムスは、培養液にアルコールが入れられたことを発見した。

ロス教授とキャンパス警察は隠しカメラの映像を巻き戻し、チェックした。すると、ナント、月曜日の午前9:00、ヴィプル・ブリグ(Vipul Bhrigu)が実験室に入ってきて、カメラに背を向けて、46秒間、エイムスの冷蔵庫でなにか工作をしているようすが撮影されていた。動画では、彼が何をしたかを明確にはわからなかった。

【動画】出典

キャンパス警察は、ブリグをキャンパス警察本部に連行し、質問した。

ブリグは「実験室に隠しカメラがインストールされていた」と聞いて、血の気が引き、コップ一杯の水を求めた。そして、自分が「培養細胞にエタノールを散布し、培養液に雑菌を混入させていた」と告白した。彼は2月以来、エイムスの仕事を妨害したと述べたが、12月と1月の事件への関与は否定した。

2010年9月某日 ミシガン州ウォッシュトノー郡裁判所のハインズ裁判官(Elizabeth Pollard Hines)は、被告・ヴィプル・ブリグに、試薬・試料に対して約8,800ドル(約88万円)の弁償、600ドル(約6万円)の裁判費用・罰金、半年の執行猶予、40時間の社会奉仕を命じた。

しかし、10月に予定される次の審問で、検察は、ブリグの給料、エイムスの支給金の半分、エイムスの実験回復を手伝うテクニシャンの給料、研究室の試薬の4分の1の弁償として7万2千ドル(約720万円)を請求する予定だった。

2010年10月の審問前に、米国滞在のビザ(有職が条件)の有効期限が切れるため、ブリグは妻とともにインドに帰国した。

2011年4月27日時点、器物損壊で3万ドル(約300万円)の弁償を課されたていた。その内、2万ドル(約200万円)は弁償されていた。
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★【関連の話】

2010年6月 ロス教授は、ミシガン大学ではブリグが有罪となり、ブリグ事件が一段落したので、ブリグの大学院時代の指導教員であるトレド大学のジェームス・トレンペ教授に電話で事件を伝えた。

トレンペ教授は、ブリグの実験妨害にショックを受けたようだった。

しかし、ナント、ショックを受けた理由がもう1つあった。

実は、トレド大学はブリグを再雇用していたのである。ブリグはミシガン大学のロス教授の研究室を辞める理由として、実験妨害のことは何も話さず、ロス教授とウマが合わないからだとトレンペ教授に嘘をついていたのである。もちろん、トレンペ教授はブリグをすぐにクビにした。

【不正の内容】

この事件は、米国・研究公正局が調査に入っているので、NIHグラントのデータベース(NIH Research Portfolio Online Reporting Tools :RePORT) でテオドラ・ロス教授(Theodora Ross)のグラントを調べた。

テオドラ・ロス教授(Theodora Ross)はNIHグラント(R01 CA098730-05)を受給していた。
タイトル:Huntingtin-interacting protein-1(HIP1) 1 and the promotion of neopasia、
2008年の受給額:26万5,965ドル

それで、米国・研究公正局が調査に入ったのだ。

2011年4月29日の米国・研究公正局の報告書によれば、ブリグの不正行為は以下の通り(NOT-OD-11-070: Findings of Research Misconduct)。

ブリグは、

  • ① 5つの免疫沈殿/ウェスタン・ブロットの実験試料を故意にいじくった。
  • ② 実験が失敗するように4枚の細胞培養皿のラベルを書き換えた。
  • ③ 同僚の実験が失敗するように、同僚の細胞培養液に培養細胞が死ぬエタノールを加えた。

これらの行為は、研究界では許されない行為である。また、実験妨害はデータ改ざんにつながる行為とみなされ、研究公正局が調査に入った。

実験妨害は数か月にわたっていたので、ブリグの本当の悪業は多岐にわたり、量も多いだろうが、証拠があり、かつ、ブリグが認めた行為は上記だけということなのだろう。

しかし、このような実験妨害が起こると、研究室にあるすべての試薬・細胞・機器・装置がどこまでが汚染・操作されたか容易に判定できない。テオドラ・ロス研究室は、機器・装置を再チェック・整備したが、しかし、試薬や細胞のチェックは困難で時間がかかる。ほとんど廃棄しないと、研究結果は信頼できない。半年以上、実験は中断された。

【撤回論文】
2014年11月6日現在、撤回論文はない。

【事件の深堀】

なんで、同じ研究室の人の実験を妨害したのだろう?

「競争相手は、同じ研究室ではなく、世界中の他の研究室である。同じ研究室の人たちは自分への協力者である」と考えるのが、通常だと思う。同じ研究室の人の実験を妨害しても、本人には何の得にもならない。

ということは、動機は狂気だろうか? なら、ブリグはエイムスに恋愛感情(行為)を抱いて、そのもつれ? ブリグは既婚者だが、妻は妊娠していたとある。エイムスはフィアンセがいる。色恋沙汰の話は表面には出てこない。

【白楽の感想】

《1》実験妨害の頻度

他人の実験試料を破壊して実験を妨害する行為(sabotage:サボタージュ、妨害行為、破壊行為)が研究者の事件として扱われたことは珍しい。

実は、白楽は、他人の実験を妨害する行為は、研究ネカトの総数よりもズット多いと思っている。日本を含め、世界中で事件が起こっているハズだ。ただ、証拠をつかむことが難しいので、ウヤムヤニになっていた(いる)だけだ。

白楽は教員の立場で、異常と思える学生・院生にも少数ながら遭遇している。今回の事件に似たケースで言えば以下のケースだろう。

研究室に所属していた学生・院生が研究室を去る1~2か月前から、こちらの指示を無視して、研究記録を持ち帰り、残さない。許可なく研究試料・データを廃棄した。白楽は、これを研究妨害行為だと思う。これらはウッカリではなく、休日や夜間、研究室に誰もいないときに行なう。異常に気がついて学生・院生本人に連絡しても、応対しない、研究室に来ない。白楽の研究室でさえ、そういう学生・院生が数人いたので、全国的には、かなり多いのではないだろうか?

《2》実験妨害の対策

ある時期、日本の研究室のポットに毒物を入れる事件が多発した。これは、混入毒物が証拠として残るので事件性が明確だが、ブリグ事件のように細胞や試料をいじられると、判定が難しい。本人の不注意や研究が下手なのを他人のせいにしていると、多くの教授は思うだろう。

ただ、日本でポット毒物事件が起こった当時、研究室の試薬管理がうるさくなった。試薬庫を購入させられ、試薬庫に鍵をかけるとか、薬品の量を記録するという管理だ。

白楽は、こういう対策に大きな疑問を感じたし、今も感じる。

ブリグは、エイムスにとって同じ研究室の仲の良い同僚である。そういう人が起こす事件に、上記の対策が役に立たないことがどうしてわからないのだろうか? 研究者の事件では、日本の大学・官僚は、事件の実体とはかけ離れた的外れな対策をする場合がとても多い。

実験室の出入りをカードキーにし、入退出を記録する。これは既に多くの大学の研究室や企業研究所では行われている。24時間、実験室内を監視カメラで記録するのはどれほど普及しているだろうか?

しかし、結局、研究室仲間を信じられなければ、その研究室での研究は成り立たない。研究仲間は、実験設備・試料・試薬の共有だけでなく、データ・知識・スキルの共有もあり、学問的議論もし、私生活でも深く付き合う濃密な世界なのだ。信頼がなければ、研究チームはとっても無理だ。

《3》実験妨害は研究ネカト?

米国・研究公正局がこの実験妨害事件を扱った。ナンカ違和感がある。研究公正局は研究ネカトしか扱わない。実験妨害は研究ネカトではない。では、どういう範疇かというと、実験妨害によってデータが変わるので、「改ざん」だという。これは無理がある。ノースカロライナ大学・哲学科のラスムッセン(Rasmussen LM.)も、2014年6月の論文で問題視している。

白楽も、実験妨害を研究ネカトに分類するのは無理が大きいと思う。「無理が通れば道理が引っ込む」。研究ネカトの定義を変えて、研究妨害を新たに加えるべきでしょう。研究ネカトボ。

★主要情報源:
① ◎ 2010年9月29日のブレンダン・メーラー(Brendan Maher)の「Nature News」記事:Research integrity: Sabotage! : Nature News
② ◎ 2011年4月27日のブレンダン・メーラー(Brendan Maher)の「Nature News Blog」記事:Lab sabotage deemed research misconduct (with exclusive surveillance video) : Nature News Blog
③ 2011年4月29日の米国・研究公正局の報告書:NOT-OD-11-070: Findings of Research Misconduct
④ 2017年1月287日のテオドラ・ロス(Theodora Ross)の「New York Times」記事:A Crime in the Cancer Lab – The New York Times 保存済