盗博VP:カール=テオドール・グッテンベルク(Karl-Theodor Guttenberg)(ドイツ)


2017年1月18日掲載。

ワンポイント:人気のある政治家でドイツ国防相。2007年(35歳)に法学の博士号を取得したが、2011年(39歳)、盗博がバレ、博士号がはく奪された。国防相を辞任し、議員も辞職し、政治家を廃業した。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.盗用解析
7.白楽の感想
8.主要情報源
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●1.【概略】

カール=テオドール・グッテンベルク(Karl-Theodor Guttenberg、写真出典)はドイツの国防相で、2007年にバイロイト大学(Universität Bayreuth、英語:University of Bayreuth)で法学の博士号を取得した。なお、グッテンベルクの正式な名前は、Karl-Theodor Maria Nikolaus Johann Jacob Philipp Franz Joseph Sylvester Buhl-Freiherr von und zu Guttenbergと長が~い。

2011年2月16日(39歳)、南ドイツ新聞が「グッテンベルク国防相の博士論文は盗用だった」と発表した。

2011年2月23日(39歳)、バイロイト大学は2008年にグッテンベルクに授与した博士号をはく奪した。この時、グッテンベルクはドイツ国防相だった。盗博発覚後13日目の3月1日、国防相を辞任した。ドイツ連邦議会議員も辞職し、政治家を廃業した。

グッテンベルク事件は後に発足する盗博サイト「ヴロニプラーク・ウィキ(VroniPlag Wiki)」を確立する基盤になった。→ 1‐4‐10.ヴロニプラーク・ウィキ(VroniPlag Wiki)

バイロイト大学(Universität Bayreuth)。写真出典

  • 不正:盗博(盗用博士論文)
  • 国:ドイツ
  • 成長国:ドイツ
  • 研究博士号(PhD)取得年月日:2007年(35歳)
  • 博士論文タイトル: Verfassung und Verfassungsvertrag. Konstitutionelle Entwicklungsstufen in den USA und der EU (憲法と条約。米国とEU の憲法の発展段階)
  • 盗博発覚年:2011年2月16日(39歳)
  • 研究博士号(PhD)取得大学:バイロイト大学
  • 分野:法学
  • 論文審査員: Peter Häberle
  • 盗用ページ率:393 ページ中の371ページ  (94.4 %)
  • 盗用文字率:10,421 行を盗用 (63.8 %)
  • 研究博士号(PhD)はく奪状況:2011年2月23日(39歳)、はく奪
  • 男女:男性
  • 生年月日:1971年12月5日
  • 現在の年齢:45 歳?
  • 発覚時地位:ドイツの国防相
  • ステップ1(発覚):第一次追及者はドイツ・ブレーメン大学のフィシャー‐レスカノ・教授
  • ステップ2(メディア):南ドイツ新聞、グッテンプラーク・ウィキ(GuttenPlag Wiki)
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①バイロイト大学・調査委員会
  • 結末:博士号はく奪。国防相辞任。ドイツ連邦議会議員も辞職。政治家を廃業。
出典:The borrowings of Freiherr von und zu Googleberg | Ziko’s Blog (Bundeswehr-Fotos,CC-BY-SA)

●2.【経歴と経過】

  • 1971年12月5日:ドイツ・ミュンヘンの裕福な貴族の家に生まれる。グッテンベルグ家が1482年に所有したグッテンベルグ城に居住(写真出典
  • 2000年2月(28歳):ステファニーと結婚
  • 2002年(30歳):ドイツ連邦議会議員に初当選
  • 2007年(35歳):バイロイト大学(Universität Bayreuth)で法学・博士号取得
  • 2009年2月(37歳):経済相就任。ドイツの史上最年少
  • 2009年10月(37歳):国防相就任。ドイツの史上最年少
  • 2011年2月16日(39歳):盗博が発覚
  • 2011年2月23日(39歳):バイロイト大学が博士号をはく奪
  • 2011年3月1日(39歳):国防相を辞任した。ドイツ連邦議会議員も辞職し、政治家を廃業した。

●3.【動画】

《動画1》ドイツ語「ドイツ連邦下院でグッテンベルク国防相の盗博を非難するユルゲン・トリッティン(Jürgen Trittin)(Jürgen Trittin zerpflückt zu Guttenberg mit Thomas Mann)」6分53秒
2011/02/23 にflashbertzがアップロード

《動画2》ドイツ語「ドイツ連邦下院で盗用問題に答えるグッテンベルク国防相(Plagiatsaffäre: Rede von Karl Theodor zu Guttenberg in der aktuellen Stunde im Deutschen Bundestag)」
2011/02/23 にhausmitteilungenがアップロード

●4.【日本語の解説】

日本語の記事は多数ある。

★20xx年xx月xx日:高橋容子「カール=テオドール・ツー・グッテンベルク 」

出典 →カール=テオドール・ツー・グッテンベルク – ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト保存版

正式にはFreiherr von und zu という男爵位が姓に付く。先祖は12世紀にまで遡り、フランケンヴァルトのグッテンベルク村(現クルムバッハ)を居城にした。家系はブルー・ブラッド間の結婚で繋がり、例えば母方のエルツ伯爵家はクロアチアに城を持っていたオーストリア系貴族。王侯貴族のハプスブルク家とも遠戚にあたる。

政治とも縁が深い。17世紀の先祖の1人はヴュルツブルクの領主司教、大伯父はヒトラー暗殺未遂事件の実行メンバー、祖父はキージンガーCDU政権(1966~69)の首相府長官だった。妻シュテファニーの実家であるビスマルク=シェーンハウゼン伯爵家からは、近代ドイツ建国の父オットー・フォン・ビスマルクが出ている。

これでは政治に背を向けるほうが難しい。法学と政治学を学び、23才から家族経営の投資会社グッテンベルクに加入、後に取締役として高い利潤を上げてきた。その一方で、28才の時にCSUに入党。2年後の2002年に一族の地クルムバッハから連邦議員に当選し、その7年後にはグロス前経済相の後任として内閣入りするスピード出世を遂げた。

メルケル首相(中央)とグッテンベルク(右)、2008年1月1日:Karl-Theodor zu Guttenberg – Wikipedia

★2011年3月4日:熊谷 徹「グッテンベルク・最大の試練」

出典 → グッテンベルク・最大の試練 – ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト (保存版

ドイツで最も人気の高かった政治家、カール=テオドール・ツー・グッテンベルク国防大臣の華々しい経歴に黒い影が落ちた。グッテンベルク氏は2006年に書いた学位論文に他人の文章を多数使いながら、引用の事実を脚注として明記していなかった。彼は2月21日に「重大な過ち」を犯したことを認め、バイロイト大学から授与されたドクターの称号を返却したのである。

彼の論文盗用問題に関するインターネットのフォーラムGuttenPlag Wikiは、「393ページの内270ページに、出典が明記されていない文章がある」と主張している。これまでいくつかの試練を難なく乗り越えてきたグッテンベルク大臣だが、今回は自らの責任を認めざるを得なかった。

なぜ無断引用がこれほど大きな問題になったのか。それは、グッテンベルク氏がキリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首はおろか、メルケル首相をもしのぐ人気を持つ政界のスターだったからである。貴族の血筋、39歳の若さ、裕福な家庭、ハンサムで細身のスタイル、とんとん拍子の出世、オペル救済問題で示した地位に固執しない潔さ。庶民の心をくすぐる資質と、ドイツには珍しいカリスマ性を持った政治家だ。普段、政治には全く興味を示さない若いドイツ人たちも、「グッテンベルク」の名前を聞くと強い関心を示し「ぜひ、首相になってほしい」などと言っていた。

ロバート・ゲーツ米国・国防長官(左)とグッテンベルク(右)。ペンタゴン。2009年。出典:Karl-Theodor zu Guttenberg – Wikipedia

★2011年3月18日:熊谷 徹「グッテンベルク・落ちた偶像」

出典 → グッテンベルク・落ちた偶像 – ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト (保存版

裕福な貴族の家庭に生まれた彼は「あまり苦労をせずに、比較的大きな成果を得る」、つまり要領よく生きる男であることを自認していた。

彼は1つのテーマの細部にこだわり、時間を掛けてこつこつと仕事をするのが不得意だった。1993年にバイロイト大学で法律を学び始めたが、第1次国家試験の成績は「befriedigend(可)」と冴えなかった。

グッテンベルク氏は第2次国家試験も、司法修習も受けていない。これでは弁護士として働くことはできない。職業資格ゼロというのは、貴族の家庭では不名誉である。

この欠点をカバーするには、博士論文を書くのが手っ取り早い。グッテンベルク氏は、そのために7年も掛けてコピー&ペーストで論文を書き、ドクターの称号を手にしたのだ。ここにも「あまり苦労をせずに、比較的大きな成果を得る」という彼の人生哲学がにじみ出ている。

ブレーメン大学の教授が最初に盗用の疑いを指摘した時、彼は「ばかげたことだ」と疑惑を一蹴した。その発言は2週間でどんどん弱まり、最後は責任を認めざるを得なくなった。

特に引用先を明らかにして博士論文を書き、ドクターの称号を取った市民たちからは、国防相や議員の座にしがみつくグッテンベルク氏の態度に対して、怒りの声が強まった。

人々は、この貴族が「真面目さ、真剣さ、潔さ」という資質を欠いていたことに気付いたのである。その意味でグッテンベルク氏に辞職以外の道はなかった。

今回のスキャンダルは、ドイツ政界の人材不足をも象徴している。英語で言うポリティシャン(政治屋)は多いが、真に国家の将来を考えるステーツマン(政治家)が不足しているのだ。

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★発覚の経緯

盗博とは直接の関係はないが、グッテンベルクの生活状況を知る上の情報を記す。グッテンベルクの妻・ステファニー(1976年生まれ)は鉄血宰相オットー・ビスマルクの4代目である(グッテンベルクとその妻:写真出典、)。
140605 Karl-Theodor_Freiherr_von_und_zu_Guttenberg_cropped[1] 140607 Stephanie_zu_Guttenberg-2010[1]

2011年2月12日(39歳)、ドイツ・ブレーメン大学のフィシャー‐レスカノ・教授(Fisher-Lescano)が、ドイツのグッテンベルク国防相の博士論文のレビューを書いているうちに、グッテンベルクの博士論文中に引用しないで他人の文章を流用している部分を発見した。

グッテンベルクは2007年、ドイツのバイロイト大学から博士号を授与されていた。

フィシャー‐レスカノ・教授(Fisher-Lescano)は、人気政治家である国防相の博士論文の盗用疑惑をどこに相談しようか迷った末、ドイツの代表的新聞の1つ南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)に連絡した。

2011年2月16日(39歳)、4日後、南ドイツ新聞は「グッテンベルク国防相の博士論文は盗用だった」と公表し、ドイツ政界は騒然となった(Plagiatsvorwurf gegen Verteidigungsminister – Guttenberg soll bei Doktorarbeit abgeschrieben haben – Politik – Süddeutsche.de)。

グッテンベルクは「大きな間違をしたが、盗用はしていない」と主張した。

2011年2月23日(39歳)、しかし、発覚1週間後、バイロイト大学はグッテンベルクの博士号を取り消した。発覚後1週間とは、動きが素早い。

人気の独国防相に論文盗用疑惑、辞任要求強まる 」(YOMIURI ONLINE(読売新聞)(保存済)
【ベルリン=三好範英】ドイツで現在最も人気がある政治家で、メルケル首相の後継とも目されているグッテンベルク国防相(39)(キリスト教社会同盟=CSU)の博士論文に盗用と疑われる箇所が多数あることが分かり、野党などからは辞任を求める声が強まっている。

 独各メディアによると、盗用疑惑は国防相が2007年にバイロイト大学から博士号を取得した際の論文で持ち上がった。

 米国と欧州連合(EU)の憲法の発展をテーマとする475ページの論文の中で、有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ」掲載の寄稿論文など計15文献の記述が、脚注などに適切な表示をすることなしに引用されていた。1ページ半にわたりほぼ原文通りに引用されている箇所もあった。
(2011年2月19日21時37分 読売新聞)

ウィキペディアでは以下のようだ。

グッテンベルク(正式には、カール=テオドール・フライヘア・フォン・ウント・ツー・グッテンベルク、ドイツ語: Karl-Theodor Freiherr von und zu Guttenberg, 1971年12月5日‐)は、ドイツの政治家。所属政党はキリスト教社会同盟(CSU)。2009年2月よりアンゲラ・メルケル内閣で経済・科学技術相を、同年10月より国防相を務めたが、博士論文盗用が明るみに出て2011年3月に辞任した。(カール=テオドール・ツー・グッテンベルク – Wikipedia

★事件後の人生

2011年3月1日(39歳)、グッテンベルクは盗用事件発覚後13日目に国防相、そして、ドイツ連邦議会議員も辞職し、政治家を廃業した。

その後、公衆の前にでることなく、米国で静かに過ごした。この間、執筆活動をしていた。

2011年9月(39歳)、盗博発覚9か月後、米国・ワシントンD.C.の民間シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」に所属した。

2011年12月(39歳)、EUアドバイザーを務めた。

2014年春(42歳)、米国・ニューヨークにコンサルタント・投資会社「Spitzberg Partners LLC 」を設立し、国際政治や安全保障のアドバイスと投資分析を提供している。

●6.【盗用解析】

グッテンベルク事件では、「ウィキ (Wiki)」システムを使ったクラウドソーシングのサイト「グッテンプラーク・ウィキ(GuttenPlag Wiki)」(ドイツ語)が情報収集・分析に重要な役割を果たした。

博士論文(写真出典は【主要情報源】④)のタイトルは、「Verfassung und Verfassungsvertrag. Konstitutionelle Entwicklungsstufen in den USA und der EU (憲法と条約。米国とEU の憲法の発展段階)」である。

135文献から1,218か所も盗用していた。393 ページ中の371ページ に盗用があった (94.4 %=盗用ページ率)。行数では10,421 行を盗用していた (63.8 %≒盗用文字率)。

盗用分析図は以下の5色のバーコードである。博士論文は393ページの長文なので、左から右に、論文全体の解析作業と盗用の程度を5色のバーコードで示している。

以下のサイトに、博士論文の章とページごと盗用程度が赤色で示してある。赤色のページをクリックすると、盗用文章(左)と被盗用文章が左右に併記されている。
→ Übersicht zu den Plagiaten in der Doktorarbeit von K.T.z.Guttenberg

★イラスト表示

以下はページ毎に色分けしたイラスト表示である。色は135被盗用文献を色分けし、示してある。
→ 出典:http://www.moonofalabama.org/images3/zG-big.pngダウンロードする際はファイルが大きいことに注意する(3.4 MB)。
→ 出典:GuttenPlag Wiki/English | GuttenPlag Wiki | Fandom powered by Wikia

●7.【白楽の感想】

《1》特殊なケース?

ヴェロニカ・サスと同じように、名門の生まれ育ちで、裕福で、家系に有力政治家がいる。「同じように」と書いたが、グッテンベルクの出自はヴェロニカ・サスをはるかに超えている。

30歳で連邦議員に当選し、37歳で経済相としてドイツ史上最年少の閣僚になり、将来は首相になると予想されていた。

ヴェロニカ・サスの記事でも書いたが、そういう人だと、「論文の盗用はイケマセン」と言っても、盗用防止に有効な気がしない。どうするとよいのか?

ヴェロニカ・サスの記事で書いたので、参照してください。
→ 盗博VP1:ヴェロニカ・サス(Veronica Saß)(ドイツ)

●8.【主要情報源】

① グッテンプラーク・ウィキ(GuttenPlag Wiki)(ドイツ語)
② ウィキペディア英語版:Causa Guttenberg – Wikipedia
③ ウィキペディア日本語版:カール=テオドール・ツー・グッテンベルク – Wikipedia
④ グッテンベルクの博士論文のウィキペディア・ドイツ語版:Verfassung und Verfassungsvertrag – Wikipedia
⑤ カール=テオドール・グッテンベルク(Karl-Theodor Guttenberg)の画像 | Getty Images:Karl Theodor Guttenberg ストックフォトと画像 | Getty Images
⑥ 具体的に示さないが、たくさんの新聞記事、たくさんの写真がウェブ上にある。
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

https://de.wikipedia.org/wiki/Karl-Theodor_zu_Guttenberg

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