/2026年10月5日(月)掲載/
本日の10月5日夕方(日本時間)、2026年のノーベル生理学・医学賞の受賞者が発表される。2019年は英国オックスフォード大学・教授のラトクリフ(65歳)が受賞した。ところが、受賞1年後の2020年10月(66歳)、ラトクリフの「2006年のCancer Research」論文に画像の使い回し疑惑が指摘された。学術誌が「懸念表明」を発行したのは4年半後の2025年6月(71歳)で、撤回ではなかった。レオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)はこの対応を酷評し、15報を撤回したノーベル賞共同受賞者のグレッグ・セメンザ(Gregg Semenza)教授との落差を指摘した。なお、オックスフォード大学はネカト調査をしていない(白楽の推定)。
〈AI使用:記事はAnthropic Claude Sonnet 5.5を使用した〉
目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
【付記】ピーター・ラトクリフの生年月日は1954年5月14日と公表されている⑥⑦。本稿では、年月日が判明している場合はその日の満年齢を、年のみが判明している場合はその年に到達する年齢(西暦年-1954)を、年月日の末尾に括弧書きで示した。
【注意】本稿執筆時点(2026年10月)で、オックスフォード大学や学術誌が、ラトクリフの研究不正を「認定」したという公式発表は確認できていない。学術誌が出したのは「懸念表明」であり、撤回でも訂正でもない。また、画像を重複させた「実行者」が誰かは、公表された資料からはわからず、ラトクリフは4人の著者のうち第3著者である。本稿では「研究不正疑惑」として扱う。なお、問題の2006年論文以外の論文に関する記述は、「より良い科学のために(For Better Science)」の記事②③に依拠している。
●1.【概略】
本件は、2019年10月7日(65歳)にノーベル生理学・医学賞を受賞した英国オックスフォード大学(University of Oxford)のピーター・ラトクリフ(Peter Ratcliffe、写真by Casa Rosada (Argentina Presidency of the Nation) 出典, CC BY 2.5 AR, via Wikimedia Commons)が共著者に名を連ねる「2006年のCancer Research」論文をめぐる、画像の重複・使い回し疑惑事件である①④。
ラトクリフは、細胞が酸素濃度を感知して適応する分子機構(低酸素誘導因子(HIF)経路)の解明で、2019年10月7日(65歳)、米国のハーバード大学(Harvard University)のウィリアム・ケリン(William Kaelin)教授、米国のジョンズ・ホプキンズ大学(Johns Hopkins University)のグレッグ・セメンザ(Gregg Semenza)教授とともにノーベル賞を受賞した⑥⑧。
問題の「2006年のCancer Research」論文は、ヘレン・J・ノウルズ(Helen J. Knowles)、デイヴィッド・R・モール(David R. Mole)、ラトクリフ、エイドリアン・L・ハリス(Adrian L. Harris)の4人による論文で、ハリスが最後著者(連絡著者)である④。
2020年10月(66歳)、パブピア(PubPeer)で、図2の画像に、露出条件を変えただけの同一ブロット画像の使い回しがあると指摘された⑤。ハリスは2020年(66歳)に「生データが見つからない」と回答して再実験を約束し、2021年3月(66歳)には「再実験で元の結論は確認された」と報告したが、論文は訂正されなかった②③。
学術誌が「懸念表明(Expression of Concern)」を発行したのは、指摘から4年半以上経過した2025年6月2日(71歳)である。内容は、図2Aと図2Bで同一のβ-チューブリンのウェスタンブロット画像が異なる露出条件で使われていたという1点の確認にとどまり、撤回でも訂正でもなかった①。
2025年6月6日(71歳)、「より良い科学のために(For Better Science)」のレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)が、この通知を「恥ずべき通知」と酷評し、15報を撤回したセメンザとの落差を指摘した①。
ラトクリフには、この「2006年のCancer Research」論文以外にも、複数の共著論文でデータ異常がパブピアで指摘されている。ただし、「より良い科学のために(For Better Science)」によれば、それらの多くは、訂正や再実験で対応済みである②。
本件は、(1)ノーベル賞受賞者の共著論文でも画像の使い回しが起こり、生データが見つからなくなっていた点、(2)指摘から学術誌の対応(それも懸念表明という限定的な対応)まで4年半以上かかった点、(3)撤回論文15報のセメンザとの落差という点で、研究公正上、示唆に富む事例である。
●2.【発覚・調査の経緯】
《1》研究人生
ピーター・ラトクリフ(Peter Ratcliffe、Peter J. Ratcliffe、Peter John Ratcliffe、写真by Casa Rosada (Argentina Presidency of the Nation) 出典, CC BY 2.5 AR, via Wikimedia Commons)は、1954年5月14日、英国ランカシャー州モアカム(Morecambe)で生まれた⑥⑦。
1965~1972年(11~18歳)にランカスター・ロイヤル・グラマースクール(Lancaster Royal Grammar School)で学び、1972年(18歳)にケンブリッジ大学(University of Cambridge)のゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ(Gonville & Caius College)に入学した⑦。
1978年(24歳)に聖バーソロミュー医学学校(St Bartholomew’s Medical School)を修了して医師となり、1987年(33歳)にケンブリッジ大学で医師資格(MD)を取得した⑥⑦。専門は腎臓学である。
ピーター・ジョン・ラトクリフ(Peter John Ratcliffe、写真出典)
1989年(35歳)にオックスフォード大学のナッフィールド医学部門に研究室を設立した。1992年(38歳)に同大学講師、1996年(42歳)に正教授となり、2003~2016年(49~62歳)はナッフィールド臨床医学教授(Nuffield Professor of Clinical Medicine)を務めた⑥⑦。
2002年(48歳)に英国王立協会(Royal Society)フェローに選出された。2012年(58歳)にルードウィッヒがん研究所(Ludwig Institute for Cancer Research)のメンバーとなり、2014年1月(59歳)の新年叙勲でナイト爵位を授与された⑥⑦。
2016年(62歳)にはフランシス・クリック研究所(Francis Crick Institute)の臨床研究部長(Clinical Research Director)に就任し、同年、ラスカー賞をケリン、セメンザとともに受賞した⑦。
研究分野は、細胞の酸素感知機構である。VHLタンパク質がHIFに結合する仕組み、HIFを水酸化するPHD酵素、エリスロポエチン産生の制御などを解明し、貧血や腎不全の治療法開発に道を開いた。この功績で、2019年10月7日(65歳)にノーベル生理学・医学賞を受賞した⑦⑧。
共著者のエイドリアン・L・ハリス(Adrian L. Harris)は、オックスフォード大学の腫瘍学者で、キャンサー・リサーチUK(Cancer Research UK、CRUK)の引退教授である。シュナイダーは、ハリスを「ラトクリフのオックスフォードの同僚」と記している①。
《2》研究不正疑惑の発覚と調査
2006年3月1日(51歳)、問題の「2006年のCancer Research」論文が出版された④。キャンサー・リサーチUKとウェルカム・トラスト(Wellcome Trust)の助成を受けた研究である①。
- Normoxic stabilization of hypoxia-inducible factor-1alpha by modulation of the labile iron pool in differentiating U937 macrophages: effect of natural resistance-associated macrophage protein 1.
Knowles HJ, Mole DR, Ratcliffe PJ, Harris AL.
Cancer Res. 2006 Mar 1;66(5):2600-7. doi: 10.1158/0008-5472.CAN-05-2351.
2020年10月(66歳)、この論文の画像が、パブピア上で匿名の指摘者から不正ではないかと指摘された(次節で問題点を示す)①⑤。
これに対し、最後著者のハリスは、2020年(66歳)、「複数のゲルを異なる露出条件で混在させた誤り」と説明し、実験の生データは見つからないと回答して、実験を繰り返すことを約束した②③。ラトクリフ自身は、この論文の疑義について「ハリスが調査中」と回答していた③。
2021年3月(66歳)、ハリスは「再実験の結果、元の結論は確認された」と報告したとされる。しかし、論文本体は訂正されなかった②③。
2023年6月30日(69歳)、「より良い科学のために(For Better Science)」は、パブピアの記録を基に、ラトクリフが共著者の不正疑惑論文をまとめて報じた②。
2024年10月11日(70歳)、「より良い科学のために(For Better Science)」は、ハリスの研究室から出た複数の論文の図表の問題を報じた③。
2025年6月2日(71歳)、学術誌「Cancer Research」は、指摘から4年半以上を経て、ようやく「懸念表明」を発行した。全文は次のとおりである①。
“The editors are publishing this note to alert readers to concerns about this article. The authors informed the journal that in Fig. 2, different exposures of the same β-tubulin Western blot are used for THP1 cells in Fig. 2A and B.”
(訳:編集部は、本論文に関する懸念について読者に注意を促すため、この注記を公表する。著者らは学術誌に対し、図2において、THP1細胞について、図2Aと図2Bで同一のβ-チューブリンのウェスタンブロット画像が、異なる露出条件で使われていることを伝えてきた。)
2025年6月6日(71歳)、シュナイダーは「より良い科学のために(For Better Science)」の連載記事「シュナイダー・ショーツ(Schneider Shorts)」で、この懸念表明を取り上げた①。シュナイダーは次のように酷評した。
“this shameful notice is indeed very worthy of the Nobel laureate Ratcliffe”
(訳:この恥ずべき通知は、まさにノーベル賞受賞者ラトクリフにふさわしい)
本稿執筆時点(2026年10月)で、懸念表明以降の進展(訂正・撤回)や、オックスフォード大学の調査の有無・結果は確認できていない。
《3》研究不正疑惑の具体的内容
問題となった「2006年のCancer Research」論文の書誌情報を以下に再掲する。
- Normoxic stabilization of hypoxia-inducible factor-1alpha by modulation of the labile iron pool in differentiating U937 macrophages: effect of natural resistance-associated macrophage protein 1.
Knowles HJ, Mole DR, Ratcliffe PJ, Harris AL.
Cancer Res. 2006 Mar 1;66(5):2600-7. doi: 10.1158/0008-5472.CAN-05-2351. PMID: 16510578④
パブピアでは、以下の疑義が指摘された⑤。
(a)図2Aと図2Bで、同じβ-チューブリン(β-tubulin)バンド画像を、露出条件を変えて重複使用している(図出典:https://pubpeer.com/publications/59D384126BD8F65533528534EE1B10)。

(b)図2Bで、異なる処理群のはずのTHP1とU937のHIF-1α(Fe)のバンド画像を重複使用している(図出典:同上)。

学術誌が懸念表明で認めたのは、(a)のβ-チューブリンの1点のみである。(b)のHIF-1αのバンド重複は、懸念表明の中で明示的には言及されていない。また、この対応はあくまで「懸念表明」であり、論文の撤回(retraction)や訂正(correction)ではない①。
なお、画像を重複させた「実行者」が誰なのかは、公表された資料からはわからない。ラトクリフは第3著者である。
ラトクリフの他の共著論文
「より良い科学のために(For Better Science)」の2023年6月30日(69歳)の記事は、ラトクリフが共著者の他の論文についても、パブピアの指摘を次のように紹介している②。
- Michailidou et al.(2015年の学術誌『Diabetes』論文):画像処理の過程でHIF-2αの画像が上下反転して使われていた。2021年(67歳)に訂正が発行された。第一著者は「不注意による誤り」と説明している。
- Clifford et al.(2001年の学術誌『Human Molecular Genetics』論文):図2Bで画像の不注意な重複があった。2021年3月(66歳)に正誤表(corrigendum)が発行され、著者らは誤りを謝罪した。
- Grosfeld et al.(2007年の学術誌『Journal of Biological Chemistry』論文「Interaction of hydroxylated collagen IV with the von Hippel-Lindau tumor suppressor」):
- 指摘:論文の図に画像の改変があると、パブピアで指摘された。
- ラトクリフらの回答:図の改変を認めて謝罪した。ただし、パブピアに添付した生データは結果の正しさを明確に示していると主張し、公表された図に「不必要な変更」が入っていたことを残念だと述べた。つまり、「結論は正しいが、図には不必要な加工があった」という立場である。
- 回答の原文:”We accept this and apologise that these manipulations must have occurred during construction of the figure.[…] The raw data (attached earlier) clearly shows the integrity of the scientific result and so again we are disappointed to find these unnecessary changes in the published figure. We apologize for these errors.”
- 2021年(67歳):ラトクリフと共著者のノーマ・マソン(Norma Masson)は、問題となった実験をやり直し、同じ結果が得られたと報告した。
- Cockman et al.(2000年の学術誌『Journal of Biological Chemistry』論文):陽性対照のバンド画像が複数のゲルに使い回されていた。ラトクリフは「図示のための意図的な処理」と説明した。
「より良い科学のために(For Better Science)」は、ラトクリフが「パブピア上で常に返答し、対応策を明言してきた」と評している②。2006年論文は、この中で、対応が著しく遅れた例外的な案件ということになる。
最後著者ハリスの研究室の他の論文
「より良い科学のために(For Better Science)」の2024年10月11日(70歳)の記事は、ハリスの研究室の論文についても、次の問題を報じている③。
- Generali et al.(2007年論文):2006年のノウルズらの論文と同一の画像が流用されている。
- ハリスの元博士研究員コウコウラキス(Koukourakis)との長年の共同研究による複数の論文で、図表の重複使用が指摘されている。
- Kong et al.(2014年論文):異なる実験条件を示すはずのゲルバンド画像が、複数の図に現れているとの指摘。2020年12月(66歳)、釈明として「該当するブロット(生データ)が見つからない」との回答があった。
《4》共同受賞者セメンザとの対比
シュナイダーは、今回の懸念表明を、同じ2019年(65歳)のノーベル賞共同受賞者であるセメンザと対比させて論じた①。
“Thing is, Semenza had to retract 11 papers already […], while Ratcliffe weasels out with such Expressions of Concern.”
(訳:実際のところ、セメンザはすでに11報の論文を撤回せざるを得なかった。一方、ラトクリフはこうした懸念表明で言い逃れをしている。)
セメンザは、2020年10月(66歳)にネカトハンター(研究不正探偵)のクレア・フランシス(Clare Francis)による指摘を端緒に、2026年9月(72歳)時点で、パブピア上で80報の論文が問題視され、撤回監視(Retraction Watch)のデータベースで15報が撤回されている⑨⑩。シュナイダーの記事の時点である2025年6月(71歳)の11報から、さらに増えている。
セメンザ事件の詳細は、白楽のブログのグレッグ・セメンザ(Gregg Semenza)(米)ノーベル賞受賞者を参照⑪。
●3.【本件から学ぶ研究不正】
《1》画像の使い回し
露出条件を変えただけの同一画像の使い回しは、画像を並べれば、昔の論文でも、見つかる。パブピアの指摘者は、2006年の論文を、14年後の2020年に指摘した。
一方、ハリスは、2020年には「生データが見つからない」と回答した。論文の画像を裏づける生データ(元のゲル・ブロット画像)は、論文ごとに確実に保管し、紐付けておく必要がある。生データがなければ、「誤りだった」ことを自分で証明することも、疑惑を晴らすこともできない。
《2》共著者が複数
共著者が複数いる論文では、疑義への対応責任が曖昧になりやすい。本件では、連絡著者のハリスが対応窓口となり、ラトクリフは「ハリスが調査中」と回答していた③。
ところが、その後の進展は乏しく、学術誌の対応は4年半以上もかかった。しかも、その対応は撤回でも訂正でもなく「懸念表明」で、認めたのは画像重複の疑義のうち1点だけだった。これでは、学術記録の健全さが損なわれたままなのは明白で、もみ消し・不正の疑惑が残る対処だと思う。
《3》誰が、何をどうすべきだったか?
第一に、最後著者(連絡著者)のハリスは、2020年の指摘の時点で、生データの所在を確認し、誤りであればただちに訂正を学術誌に申請すべきだった。再実験で結論が確認されたのなら、その結果を付した訂正を出す道もあった。
共著者のラトクリフも、自分の名前がある論文の疑義を連絡著者任せにせず、訂正を働きかけることが望ましかった。ラトクリフは、他の論文では訂正や再実験による確認を行なっていた②のだから、同様の対応をすべきだった。
第二に、学術誌『Cancer Research』は、2020年の指摘の時点で、著者に生データの提出を求め、調査し、結果を公表すべきだった。指摘から懸念表明まで4年半以上かかったのは長すぎる。懸念表明の内容も、指摘された疑義の一部にとどまる。
第三に、オックスフォード大学は、ノーベル賞受賞者の共著論文に画像の問題が指摘されている以上、調査の有無と結果を公表すべきである。本稿執筆時点で、調査の有無も結果も確認できていない。
●4.【2026年版:ノーベル賞受賞者・候補者の不正(含・疑惑・うわさ)】
ここは 明日公開予定の記事 → 白楽の卓見・浅見32 【2026年版:ノーベル賞受賞者・候補者の不正(含・疑惑・うわさ)】
https://haklak.com/page_view_32.html
●5.【白楽の感想】
《1》「懸念表明」という中途半端な対応
撤回でも訂正でもない「懸念表明」は、読者に問題の存在を知らせつつ、論文自体は文献データベースに残り、引用され続けることを許す、という中途半端な措置である。
パブピアの指摘は、β-チューブリンとHIF-1αの2点だったが、学術誌が認めたのはβ-チューブリンの1点のみで、残る1点は有耶無耶のまま4年半が過ぎた①⑤。
指摘されたすべての論点に正面から向き合わず、一部だけを認めて幕引きを図る対応は、かなり卑怯な印象を受ける。このスタイルは、日本の大学・研究機関の不正調査でも、ときどき(頻繁に?)見られるが、ネカト調査委員会がネカトを容認する姿勢を示しているので、非常に問題である。
研究不正に対し、一切の例外や寛容を認めず、厳格に処分・対応するゼロ・トレランス(Zero Tolerance)方式で対処する国や大学・研究機関もある。
科学という場は厳密な正確さを追及する場である。その厳密な正確さを脅かす研究不正の対処では、ゼロ・トレランス(Zero Tolerance)が基本だと思う。
《2》共著者間の説明責任
注目したいのは、ラトクリフと、連絡著者ハリスの対応の落差である。「より良い科学のために(For Better Science)」によれば、ラトクリフは他の論文の疑義には、パブピア上で返答し、訂正や再実験による確認を行なってきた②。
ところが、ハリスが連絡著者の2006年論文は、対応が著しく遅れた。この遅れは、ラトクリフ個人の不誠実さというより、連絡著者であるハリス研究室側の対応の鈍さに起因した可能性が高いと白楽は推察した。
日本でも、複数の研究室にまたがる共著論文で疑義が指摘されると、「連絡著者ではないから」「自分のデータではないから」と対応が滞ることが多い。
これではいけない。共著者全員が基本として、自分の担当部分の説明責任を負う原則を徹底する必要がある。
早い話、そのためには共著者全員が対応せざるを得ないように、共著者全員に応分の処分を科すように規則を定めるべきだ。原理は以下である。
ネカト者処分の白楽原則:「受益割合と同じ割合で不正の責任を負う」・・・論文著者は全員、著者としての利益を得るので、その論文に不正が見つかれば、不正者として責任がある。その割合は受益の割合と同じ割合にすべきである。
《3》セメンザ事案との安易な同一視への留保
シュナイダーがセメンザと対比したのは分かりやすいが、やや無理があると思う。
セメンザは、パブピアで80報が問題視され、15報が撤回されており⑩、白楽のブログ⑪では画像操作が研究室内で常態化していた可能性を指摘した。
一方、ラトクリフは、現時点で確認できる範囲では、共著論文数件の画像問題にとどまり、規模・深刻度はセメンザと同列には論じられない(この点はシュナイダーの論点と異なる)。
ただし、「ノーベル賞受賞者だから」という理由で、通常より甘い基準で疑惑が処理されていないか、という問題提起自体は正当だと思う。なお、画像の使い回しは「改ざん」に当たると白楽は思うが、公式には調査機関の判断が優先する。
ーーーーーー
ノーベル賞受賞者でも、共著論文の画像の問題から免れるわけではない。むしろ、地位の高さゆえに、学術誌や大学の対応が及び腰になりがちだとすれば、それこそが研究公正上の問題である。「懸念表明」という限定的な対応で幕引きを図る姿勢を、研究者コミュニティは注視し続ける必要がある。
ーーーーーー
●6.【補助記述】
《1》事件早見表
- 国:英国
- 成長国:英国
- 医師免許取得:聖バーソロミュー医学学校、1978年(24歳)
- 研究博士号(PhD)取得:確認できていない。医師資格(MD)はケンブリッジ大学、1987年(33歳)
- 男女:男性
- 生年月日:1954年5月14日
- 現在の年齢:72歳
- 分野:腎臓学・低酸素生物学(HIF、VHL、PHD酵素)
- 不正疑惑論文発表:2000~2015年(46~61歳)に出版された5論文にパブピア等で指摘(うち、2006年の論文が懸念表明の対象)
- 不正疑惑論文発表時の地位:オックスフォード大学の研究者・教授
- 発覚年:2020年10月(66歳)(2006年論文へのパブピアの指摘)
- 発覚時地位:オックスフォード大学教授、ノーベル賞受賞者(2019年)
- ステップ1(発覚):第一次追及者は、パブピアの匿名の指摘者
- ステップ2(メディア):「より良い科学のために(For Better Science)」(レオニッド・シュナイダー)
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①学術誌『Cancer Research』が2025年6月2日(71歳)に懸念表明。②オックスフォード大学の調査は実施の有無・結果とも不明
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:確認できていない
- 大学の透明性:確認できていない
- 不正:画像の重複・使い回しの疑い(改ざんに当たるかは未判断)
- 不正論文数:懸念表明1本。訂正2本(2021年、シュナイダーの記事による)。撤回は確認できていない
- 時期:研究キャリアの中期(40代後半~50代)の論文
- 職:変化なし(確認できる範囲で)
- 処分:確認できていない
- 対処問題:指摘から懸念表明まで4年半以上。懸念表明は疑義の一部のみ
- 特徴:ノーベル賞受賞者。他の論文の疑義には、パブピア上で返答し、訂正・再現確認をしてきた
- ランキング:研究不正ランキングにはリストされていない(確認できる範囲で)
- 日本人の弟子・友人:不明
《2》学歴・職歴・研究不正歴
- 1954年5月14日(0歳):英国ランカシャー州モアカムで誕生
- 1972年(18歳):ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに入学
- 1978年(24歳):聖バーソロミュー医学学校を修了
- 1987年(33歳):ケンブリッジ大学で医師資格(MD)取得
- 1989年(35歳):オックスフォード大学ナッフィールド医学部門に研究室を設立
- 1992年(38歳):オックスフォード大学・講師
- 1996年(42歳):同・正教授
- 2000年(46歳):Cockman et al.の論文(『Journal of Biological Chemistry』)を出版(後にパブピアで指摘)
- 2001年(47歳):Clifford et al.の論文(『Human Molecular Genetics』)を出版(後に正誤表)
- 2002年(48歳):英国王立協会フェロー
- 2003年(49歳):ナッフィールド臨床医学教授(~2016年)
- 2006年3月1日(51歳):問題の論文(ノウルズら、『Cancer Research』)を出版
- 2007年(53歳):Grosfeld et al.の論文(『Journal of Biological Chemistry』)を出版(後にパブピアで指摘)
- 2012年(58歳):ルードウィッヒがん研究所メンバー
- 2014年1月(59歳):新年叙勲でナイト爵位
- 2015年(61歳):Michailidou et al.の論文(『Diabetes』)を出版(後に訂正)
- 2016年(62歳):フランシス・クリック研究所・臨床研究部長に就任。ラスカー賞受賞
- 2019年10月7日(65歳):ノーベル生理学・医学賞を受賞(ケリン、セメンザと共同)
- 2020年10月(66歳):2006年論文の画像の問題がパブピアで指摘される
- 2020年(66歳):ハリスが「生データが見つからない」と回答し、再実験を約束
- 2021年3月(66歳):ハリスが「再実験で元の結論は確認」と報告。論文の訂正はなし。Clifford et al.の正誤表が発行される
- 2021年(67歳):Michailidou et al.の訂正が発行される。ラトクリフとマソンがGrosfeld et al.の実験をやり直し、同じ結果を報告
- 2023年6月30日(69歳):「より良い科学のために(For Better Science)」がラトクリフのパブピア記録をまとめて報道
- 2024年10月11日(70歳):「より良い科学のために(For Better Science)」がハリスの研究室の論文の問題を報道
- 2025年6月2日(71歳):学術誌が2006年論文に懸念表明を発行
- 2025年6月6日(71歳):シュナイダーが懸念表明を酷評する記事を掲載
- 2026年9月(72歳):セメンザがパブピアで80報、撤回15報
《3》出版論文数・h指数・評価・撤回論文数・疑惑論文数
ラトクリフの撤回論文数は、確認できる範囲で0論文。懸念表明は1論文(2006年論文)、訂正は2論文①②。
データベースに直接リンクしているので、記事閲覧時、リンク先の数値は、記事執筆時の以下の数値より増えている(ことがある)。
★ScholarGPS
ScholarGPSではピーター・ラトクリフ(Peter Ratcliffe、Peter J. Ratcliffe、Peter John Ratcliffe)のデータは、出版論文数は401論文、Predicted citations(予測被引用数)は96,066回、Predicted h-index(予測h指数)は141、だった。Peter J. Ratcliffe | Scholar Profiles and Rankings | ScholarGPS
年次別の出版数と被引用数は以下の通り。
★パブメド(PubMed)
2026年10月4日現在、パブメド(PubMed)で、ピーター・ラトクリフ(Peter Ratcliffe、Peter J. Ratcliffe、Peter John Ratcliffe)の論文を「Peter J. Ratcliffe[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2026年の25年間の192論文がヒットした。
「Ratcliffe PJ[Author]」で検索すると、1982~2026年の45年間の315論文がヒットした。
2026年10月4日現在、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの「Ratcliffe PJ[Author]」論文の撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。
★撤回監視データベース
2026年10月4日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでピーター・ラトクリフ(Peter Ratcliffe、Peter J. Ratcliffe、Peter John Ratcliffe)は、「Ratcliffe」で0論文が撤回されていた。
★パブピア(PubPeer)
2026年10月4日現在、「パブピア(PubPeer)」で、ピーター・ラトクリフ(Peter Ratcliffe、Peter J. Ratcliffe、Peter John Ratcliffe)の論文のコメントを「authors:”Peter J. Ratcliffe”OR authors:”P. J. Ratcliffe”」で検索すると、19論文にコメントがあった。
《4》日本語の記事
本稿執筆時点(2026年10月)で、ラトクリフの研究不正疑惑や、本件の懸念表明を扱った日本語記事は確認できていない。
《5》主要情報源
①2025年6月6日、レオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)、「より良い科学のために(For Better Science)」記事「Schneider Shorts 6.06.2025 – Researchers with High Citation and Publication Counts」
https://forbetterscience.com/2025/06/06/schneider-shorts-6-06-2025-researchers-with-high-citation-and-publication-counts/
②2023年6月30日、レオニッド・シュナイダー、「より良い科学のために(For Better Science)」記事「Schneider Shorts 30.06.2023 – I have almost 100 manpower with me at any time」(ラトクリフのパブピア記録のまとめ)
https://forbetterscience.com/2023/06/30/schneider-shorts-30-06-2023-i-have-almost-100-manpower-with-me-at-any-time/
③2024年10月11日、レオニッド・シュナイダー、「より良い科学のために(For Better Science)」記事「Schneider Shorts 11.10.2024 – Tokens of Scientific Legitimacy」(ハリスに関する部分)
https://forbetterscience.com/2024/10/11/schneider-shorts-11-10-2024-tokens-of-scientific-legitimacy/
④原論文:Knowles HJ, Mole DR, Ratcliffe PJ, Harris AL.「Normoxic stabilization of hypoxia-inducible factor-1alpha by modulation of the labile iron pool in differentiating U937 macrophages: effect of natural resistance-associated macrophage protein 1」Cancer Res. 2006;66(5):2600-7.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16510578/
https://aacrjournals.org/cancerres/article/66/5/2600/527020/
⑤パブピア(PubPeer)、2006年論文のページ、およびラトクリフ関連の検索ページ
https://pubpeer.com/publications/59D384126BD8F65533528534EE1B10
https://pubpeer.com/search?q=Peter+Ratcliffe
⑥ウィキペディア日本語版「ピーター・ラトクリフ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピーター・ラトクリフ
⑦ウィキペディア英語版「Peter J. Ratcliffe」
https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_J._Ratcliffe
⑧ノーベル賞公式サイト「Sir Peter J. Ratcliffe – Facts – 2019」
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2019/ratcliffe/facts/
⑨2024年9月13日、撤回監視(Retraction Watch)記事「Nobel prize-winner tallies two more retractions, bringing total to 13」(セメンザの撤回状況)
https://retractionwatch.com/2024/09/13/nobel-prize-winner-tallies-two-more-retractions-bringing-total-to-13/
⑩セメンザの2026年9月時点のパブピア記録(80報)と撤回監視データベース(15報)
https://pubpeer.com/search?q=Gregg+Semenza
https://retractiondatabase.org/RetractionSearch.aspx (著者:Gregg L Semenza)
⑪白楽のブログ「グレッグ・セメンザ(Gregg Semenza)(米)ノーベル賞受賞者」
https://haklak.com/page_gregg_semenza.html