心理学:ヤニック・グリープ(Yannick Griep)(オランダ)

/2026年10月20日(火)掲載/

ヤニック・グリープ(Yannick Griep)は、オランダのラドバウド大学(Radboud University)・準教授で、産業・組織心理学分野の「輝ける新星」だった。2024年11月(36歳?)、実験参加者への謝礼の請求書偽造が発覚し、即時解雇された。これを契機に過去の研究データが調査され、大学調査委員会が捏造・改ざんありと認定した。さらに、編集長を務めていた学術誌『Group & Organization Management』で、自身が共著者の論文の査読プロセスを捏造していたことも発覚し、出版社セージ(SAGE)は2026年7月(38歳?)にグリープの8論文を撤回した。

〈AI使用:記事はAnthropic Claude Sonnet 5を使用した〉


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【付記】ヤニック・グリープの正確な生年月日は公表されていない。本稿では便宜上、2006年10月に大学学部に入学した時点を18歳と仮定し、そこから逆算して1988年1月1日生まれとして、西暦年ごとの年齢を算出した。算出した年齢には末尾に「?」を付し、あくまで目安の推定値であることを示す。実際の年齢とは異なる可能性があることに、あらかじめご留意いただきたい。


●1.【概略】

本件は、研究不正・学術出版不正事件である。

ヤニック・グリープ(Yannick Griep、写真出典)は、オランダのラドバウド大学(Radboud University、ナイメーヘン(Nijmegen))・行動科学研究所(Behavioural Science Institute)の準教授である。

グリープは産業・組織心理学、とりわけ「心理的契約(psychological contract)」の侵害・破棄に関する研究で知られ、約100論文を発表し、学術誌の編集長も務める「輝ける新星」と目されていた(3)。

事件の発端は、研究不正そのものではなく、日常的な経費の不正請求だった。2024年11月(36歳?)、グリープが実験参加者への謝礼支払いに関する請求書(インボイス)を改ざんしていたことが発覚し、ラドバウド大学は請求書詐欺(invoice fraud)を理由に彼を即時解雇した(5, 9)。

ところが、この解雇をきっかけに、元同僚らが彼の研究データの扱い方に以前から抱いていた疑念を大学に正式に申し立て、事態は研究データそのものの捏造・改ざん疑惑へと発展した(1, 2)。

2026年3月(38歳?)、ラドバウド大学・研究公正委員会(CWI, Commissie Wetenschappelijke Integriteit)は、申し立てを「妥当」と認定した。2025年(37歳?)に発表されたある論文では、274人の調査参加者のうち233人分のデータが他の参加者のデータと完全に一致するという、統計的にはほぼ起こり得ない重複パターンが確認され、複数の列が「コピー&ペーストされた上で混ぜ合わされていた」と結論づけた(1, 2)。

この論文は2026年4月(38歳?)、学術誌『Journal of Business Research』によって撤回された(7)。

さらに事態はここで終わらなかった。グリープは2022年(34歳?)から2026年(38歳?)まで、学術誌『Group & Organization Management(GOM)』(セージ(SAGE)刊)の編集長(Editor-in-Chief)を務めていたが、自身が共著者である論文について、査読プロセスそのものを捏造していたことが、共著者や同誌の新編集長らの調査によって明らかになった。

別の編集者に査読を委任したと偽り、実際にはその編集者は論文の存在すら知らず、査読者アカウントも架空のものだったという(6, 9)。この発覚を受けて出版社セージは2026年7月(38歳?)、グリープが共著者に名を連ねる同誌掲載25論文のうち8論文の撤回を発表した(5, 12, 13)。

本件は、以下の3点で、研究公正上、極めて示唆に富む事例である。

  1. 経費不正という「入り口」の不正が、研究データ捏造という「本丸」の発覚につながった点
  2. 研究者個人によるデータの捏造・改ざんにとどまらず、学術誌編集長という立場を悪用した査読プロセス自体の捏造という、二重の意味での学術出版倫理違反が同一人物によって行なわれていた点
  3. ブリュッセル自由大学やカルガリー大学在籍時から同僚の間で懸念が共有されていたにもかかわらず、それが正式な告発や公的な処分に結びつかないまま、彼が次々と新しい所属先・地位を得ていった点

本件の関係を図1にまとめた。出典:本文の情報源(1~9, 11, 12)をもとに作図


●2.【発覚・調査の経緯】

《1》研究人生

ヤニック・グリープは、ベルギー(Belgium)のブリュッセル自由大学(Vrije Universiteit Brussel、VUB)で博士課程に進み、指導教員のティム・ヴァンティルボルグ(Tim Vantilborgh、写真出典)準教授のもとで労働・組織心理学の研究を行なった。

2016年(28歳?)ごろに博士号(Ph.D.)を取得したとみられる(11)。博士号取得後、カナダのカルガリー大学(University of Calgary)心理学部でテニュアトラックの助教授職を得て、2019年(31歳?)ごろまで在籍した(3, 11)。

ところが、ブリュッセル自由大学在籍時代からすでに、共同研究者の間でグリープの研究データの扱い方について懸念が生じていた。

ベルギーの共同研究者らによれば、グリープはデータや実験機器の扱いについて「次第に秘密主義的になっていった」といい、共同プロジェクトのデータ共有を求められても「データを忘れた」「パソコンがクラッシュした」といった説明を繰り返した。

外部パートナーとの合意に反して無断で追加の実験(トラッキング調査)を実施したとされ、さらに、研究室の脳波・脳スキャン装置が行方不明になる事件もあったという。

こうした経緯から、ブリュッセル自由大学の共同研究者らは、グリープがカナダに移る前の2019年(31歳?)、彼との正式な共同研究関係を打ち切った(11, 15)。

カナダのカルガリー大学在籍時にも、研究データの扱い方をめぐって疑問が生じた。複数の情報源によれば、グリープは内部調査を経て、非開示契約(NDA, non-disclosure agreement)のもとで事実上の引責退職に追い込まれた。当時の心理学部門の責任者キース・イェーツ(Keith Yeates)は、具体的なコメントを避けている(3, 11)。

こうした経緯にもかかわらず、グリープは2019年(31歳?)、オランダのラドバウド大学(Radboud University)ナイメーヘン校の行動科学研究所(Behavioural Science Institute)に準教授として着任した。

同大学では、心理的契約の破棄・侵害と従業員の逸脱行動、職場における健康と幸福感、行動の神経生理学的基盤などをテーマに研究を続け、『Journal of Vocational Behavior』『Journal of Occupational and Organizational Psychology』などの編集委員も務めた(10)。論文発表数は約100論文、被引用数は1,500件を超え、h指数は22に達していたと報じられている(正式な数値は本稿執筆時点で未確認、後述5《3》参照)(3)。

同僚の間では、研究者としての活動ぶりだけでなく、大学の記念写真で王衣をまとい玉座に座るなど、目立ちたがりで印象的な人物としても記憶されている(4)。この論文生産数と被引用数は、テニュア(終身在職権)獲得前の準教授としては際立って高く、周囲からは「輝ける新星」と評されていた(3)。

ラドバウド大学在職と並行して、グリープは南アフリカ(South Africa)のノースウエスト大学(North-West University、ポチェフストルーム(Potchefstroom))の特別教授(Extraordinary Professor)の肩書も得ており、同大学で公開講演を行なうなど、国際的に活動の場を広げていた。さらに2022年(34歳?)からは、学術誌『Group & Organization Management(GOM)』(セージ刊)の編集長(Editor-in-Chief)にも就任している(5, 12)(写真出典)。

本件の経緯を図2にまとめた。出典:本文の情報源(1, 2, 5, 6, 9, 11, 12)をもとに作図

《2》研究不正発覚と調査

発覚の直接のきっかけは、研究データの不正ではなく、日常的な経費請求の不正だった。

2024年11月(36歳?)、ラドバウド大学の職員が、グリープが実験参加者への謝礼(約2,500ユーロ、約30万円)の支払いに関して提出した請求書に、フォント(書体)の不整合など改ざんの痕跡があることに気づいた。大学はこれを請求書詐欺(invoice fraud)と認定し、グリープを即時解雇した(5, 9)。

この解雇が引き金となり、ベルギーやカナダの元同僚から以前より共有されていた懸念が改めて表面化した。

2025年6月(37歳?)、元同僚らは、グリープの退職後に彼が扱っていたデータの中に不審な点(不整合)を見つけたとして、ラドバウド大学の研究公正委員会(CWI, Commissie Wetenschappelijke Integriteit)に正式な申し立てを行なった(1, 2)。

研究公正委員会(CWI)は、問題とされた論文が依拠する公開データセット(オープン・サイエンス・フレームワーク(Open Science Framework、OSF)上で公開)を精査し、通常では起こり得ないほど多数の重複データを発見した。

2026年3月16日(38歳?)、研究公正委員会(CWI)はこの申し立てを「妥当」と認定し、グリープが「研究不正行為に関する規範(Netherlands Code of Conduct for Research Integrity)」の複数の原則、具体的にはデータのねつ造(fabrication)および結果の無断改変(unauthorized alteration)の禁止に違反したと結論づけた(1, 2)。

グリープ本人は、データの重複は「意図的な不正ではなく、人的または技術的な誤りだ」と主張し、「私は絶対に、データを捏造したり改ざんしたりしたことはない」と否定したが、検証に必要な生データ(オリジナルデータ)は最後まで提出しなかった(3)。

この調査結果は、オランダの大学協会「ユニバーシティーズ・オブ・ザ・ネザーランズ(Universities of the Netherlands)」のウェブサイト上で公表された(1)。ラドバウド大学は同時に、グリープの在職期間中に発表された他の論文についても、より広範な追加調査を実施する方針を明らかにした(1, 2)。

研究データの不正が確定した後、さらに別の不正が明るみに出た。

グリープが編集長を務めていた学術誌GOMにおいて、2024年(36歳?)に掲載されたある論文の査読プロセスに疑問を持った同僚から連絡を受けた米国のメイン大学(University of Maine)のビリー・オベナウアー準教授(Billy Obenauer、William “Billy” Obenauer、写真出典)が、2026年4月9日(38歳?)、この論文の査読経過を調べ始めた。

その結果、グリープが「利益相反を避けるため、別の編集者に査読を委任した」と説明していたにもかかわらず、実際にはその編集者は論文の存在すら知らず、決定にも一切関与していなかったことが判明した。グリープはワッツアップ(WhatsApp)のメッセージなどを使って虚偽の経過を装い、他の編集者の署名を無断で使用していたという(9)。オベナウアーは同年4月13日(38歳?)、出版社セージに対し論文の撤回を要請した(9)。

これと並行して、グリープの共著者である米国ニューヨーク州立大学バッファロー校(University at Buffalo, State University of New York)のジェームズ・レモイン(James Lemoine)準教授も、独自にグリープの査読プロセスを検証した。

その結果、査読者として名前が挙がっていた人物たちが、実際には学術誌のシステム上に架空のアカウントしか持っていなかったこと、そして最終的にはグリープ自身が査読と出版可否の決定を一人で行なっていたことを突き止めた(6)。

2026年7月8日(38歳?)、研究不正・論文撤回の追跡で知られる撤回監視(Retraction Watch)が、セージが複数論文の撤回作業を進めていることを独自に報じた(5)。

同月14日、セージは正式に、グリープが共著者として名を連ねるGOM誌掲載25論文のうち8論文を撤回すると発表した。撤回対象となった論文は2023年(35歳?)から2025年(37歳?)にかけて発表されたもので、6論文は出版社側の発意により、2論文は共著者側の要請により撤回された。

セージの担当者イザベラ・オースティン(Isabella Austin)は、編集委員会宛の書簡で「元編集長(同時に共著者)によって管理された査読プロセスの客観性が損なわれた」と説明し、「論文の科学的内容そのものについて判断を下したものではない」と付言している(5, 12, 13)。

撤回対象の8論文のうち1論文は26件の被引用があり、他の研究への影響も懸念されている(12)。この撤回により、共著者として名を連ねていた40人前後の研究者が、それぞれ最低1論文を失う結果となった(16)。なお、セージは残り17論文についても調査を継続している(5, 8)。

グリープは現在、ラドバウド大学を離れ、オランダの労働市場政策関連のコンサルティング会社サメルゴ社(Samergo)にシニアアドバイザーとして勤務している(5, 9)。

GOM誌の編集長職は前出のビリー・オベナウアーが引き継ぎ、ニューハンプシャー大学(University of New Hampshire)のポール・ハーヴェイ(Paul Harvey)教授とともに、編集委員の資格基準の明確化、再現研究(replication study)の掲載機会の拡大、透明性の向上とオープンサイエンスの推進といった編集体制の改革に着手している(9)。

《3》研究不正の具体的内容

本件で確定している研究不正・出版不正の具体的内容は、大きく分けて次の二種類である。表1に整理した。

表1.ヤニック・グリープの不正の類型と対象

不正の種類 対象 処分・対応
経費請求書偽造 実験参加者への謝礼請求書1件 ラドバウド大学が即時解雇(2024年11月)
研究データのねつ造・改ざん 『Journal of Business Research』論文1論文、エルゼビア社の別論文1論文 大学CWIがねつ造・改ざんと認定(2026年3月)。両学術誌が撤回(2026年4~5月)
学術誌査読プロセスの捏造 学術誌『Group & Organization Management』掲載25論文中8論文 出版社セージが撤回(2026年7月)。残り17論文は調査継続中

(a)研究データのねつ造・改ざん

問題となった論文の書誌情報は以下のとおりである。

ラドバウド大学・研究公正委員会(CWI)の調査によれば、この論文が依拠する274人の調査参加者データのうち、233人分のデータが他の参加者のものと完全に一致していた。統計的にはほぼ起こり得ない一致パターンであり、複数の変数(列)にわたって、データがコピー&ペーストされたうえで混ぜ合わされていたと判定された(1, 2)。

研究公正委員会(CWI)はこれを、研究不正行為に関する規範における「データのねつ造」および「結果の無断改変」の禁止に対する「極めて重大な違反(very serious violation)」と結論づけた(1)。グリープは意図的な不正を否定し、「人的または技術的な誤り」と主張したが、検証の根拠となる生データは最後まで提出されなかった(1, 3)。

なお、2026年5月(38歳?)には、エルゼビア社がグリープの共著による別の論文についても、データの操作・捏造の訴えを確認したとして撤回している(9)。

(b)学術誌編集長としての査読プロセスの捏造

グリープは2022年(34歳?)から2026年(38歳?)まで、学術誌『Group & Organization Management』(GOM、セージ刊)の編集長を務めており、この間、自身が共著者として名を連ねる論文について、本来であれば利益相反を避けるために別の編集者に査読プロセスを委任しなければならないところ、実際には次のような方法で査読プロセス全体を捏造していたことが判明した(6, 9)。

  • 別の編集者に査読を委任したと偽って報告していたが、実際にはその編集者は論文の存在すら知らず、査読・採否の決定にも一切関与していなかった(9)。
  • ワッツアップ(WhatsApp)のメッセージなどを使って、あたかも他の編集者とやり取りしているかのような虚偽の経過を作出し、他の編集者の署名を無断で使用していた(9)。
  • 査読者として名前の挙がっていた人物の一部は、学術誌のオンラインシステム上に架空のアカウントしか持っておらず、実在の査読が行なわれていなかった(6)。
  • 実際には、論文の査読も出版可否の決定も、グリープ自身が一人で行なっていた(6)。

この結果、セージは2026年7月(38歳?)、グリープが共著者として名を連ねるGOM誌掲載25論文のうち8論文を撤回した。撤回理由はあくまで査読プロセスの客観性の喪失であり、論文の科学的内容そのものについて疑義が確定したものではないとされている(5, 12, 13)。

もっとも、査読を経ていない(あるいは実質的に著者自身が査読した)論文が学術誌に掲載され続けていたという事実は、ピアレビュー制度そのものの信頼性を揺るがす、極めて深刻な問題である。


●3.【本件から学ぶ研究不正】

《1》経費・事務処理の不正は、より深刻な研究不正の「炭鉱のカナリア」となり得る。本件では、研究データそのものの不正ではなく、参加者謝礼の請求書偽造という、事務処理上の不正が発覚の端緒となった。

大学・研究機関は、経費の不正請求や領収書の改ざんといった事案を研究者倫理全般に関わる警告サインとして受け止め、発覚した際には関連する研究活動・データの点検にまで調査範囲を広げる体制を、あらかじめ整えておくべきである。

《2》学術誌編集長という「監視する側」の立場は、悪用されると発見が著しく遅れる。本件でグリープは、査読プロセスを最終的に管理する編集長という地位を悪用し、自身の論文について査読プロセス全体を捏造した。

通常、査読を経た論文は一定の品質管理を経たものとみなされるが、その品質管理者自身が不正を働けば、外部からの発見は極めて困難になる。

出版社は、学術誌の編集長が著者を兼ねる論文について、査読の委任先・査読者の実在性・決定過程を第三者(編集委員会や出版社の担当者)が定期的に監査する仕組みを制度化する必要がある。

《3》誰が、何をどうすべきだったか? 本件を防ぐには、複数の関係者がそれぞれの役割を果たす必要があった。

第一に、ブリュッセル自由大学およびカルガリー大学の関係者は、在籍時に共有していたデータ提供拒否・秘密主義・無断実験といった懸念を、内部の申し合わせや非開示契約による「穏便な処理」で終わらせるのではなく、正式な研究不正の申し立てとして記録し、必要であれば転出先の大学に伝達すべきだった。

第二に、ラドバウド大学は、グリープを準教授として採用する際、また学術誌の編集長という対外的に重要な地位に就くことを了承する際に、前歴機関に対する照会(リファレンスチェック)を徹底し、不正疑惑歴の有無を確認すべきであった。

第三に、出版社セージおよびGOM誌の編集委員会は、編集長自身が著者となる論文の査読プロセスについて、他の編集者への委任が実際に行なわれているかを定期的に検証する体制を、より早い段階から備えておくべきであった。

これらのいずれか一つでも機能していれば、本件の被害はより早期に、より小さい範囲で食い止められた可能性が高い。


●4.【白楽の感想】

《1》「有能な人材」ほど疑われにくいという構造的な問題

本件で印象的なのは、グリープが「輝ける新星」と呼ばれるほどの高い論文生産数と被引用数を誇っていた点である。約100論文、1,500件を超える被引用数という実績は、テニュア取得前の準教授としては際立っており、周囲の目には「優秀で勤勉な研究者」と映っていたはずである。

しかし、本件が示すように、この種の「高すぎる生産性」自体が、データの使い回しや捏造による水増し論文の結果である可能性を、常に一定程度疑ってかかる必要がある。

日本の大学・研究機関でも、若手研究者の業績評価において、論文数や被引用数といった量的指標を無批判に高く評価する傾向があるが、その裏にどのようなデータ管理・査読プロセスがあるのかを合わせて検証する視点が欠けていないか、点検すべきだろう。

また、本件の予防策ではないが、研究者の業績評価の一般論として、研究者の採用・昇進、また、研究助成金の申請書類には、論文の訂正・懸念表明・撤回があったかどうかの記入を義務化すべきである。

《2》「評判の口伝え」に頼った人材流動の危うさ

グリープの事例で特に問題だと感じるのは、ブリュッセルやカルガリーの同僚が抱いていた懸念が、正式な申し立てや記録に残る形にならず、いわば「業界内の噂話」として処理されてしまった点である。

非開示契約(NDA)を結んで穏便に退職させるという対応は、当該機関にとっては目先のトラブルを避ける合理的な選択に見えるかもしれないが、結果として、問題のある研究者が次の職場でまったく同じ問題を繰り返す土壌を作ってしまう。

国際的な研究者の人材市場において、こうした「評判の口伝え」に依存した情報流通の仕組みそのものが、研究公正上の大きな穴になっていることを、本件は改めて浮き彫りにしている。

《3》学術誌編集長の権限に対するチェック機能の不在

編集長が自らの論文の査読プロセスを完全に捏造できてしまったという事実は、学術出版システムの根幹に関わる問題である。通常、学術誌の編集長は査読プロセスの「番人」として位置づけられているが、その番人自身が不正を働いた場合、査読という制度は無力化される。

本件では、たまたま同僚の一人が疑問を持ち、粘り強く調査したことで発覚に至ったが、これは偶然の要素が大きい。学術誌の出版社は、編集長自身が著者となる案件については、外部の第三者機関による査読管理を義務づけるなど、属人的な信頼に依存しない制度設計を急ぐべきである。

《4》発覚の「入り口」が研究不正そのものではなかったことの示唆

本件の発覚の端緒が、研究データの不正ではなく、実験参加者への謝礼の請求書偽造という事務処理上の不正であった点も見過ごせない。もし請求書の偽造が発覚していなければ、グリープの研究データ捏造や査読プロセスの捏造は、さらに長期間にわたって発覚しなかった可能性が高い。

日本の大学・研究機関においても、研究不正の調査は「論文そのものへの疑義」を出発点とすることが多いが、経費執行・倫理審査手続き・データ管理体制といった周辺業務における小さな不正の兆候を見逃さない体制づくりが、結果として研究不正そのものの早期発見につながることを、本件は示している。研究公正システムを再考すべきであろう。

なお、白楽は経費不正について日本と外国の実態を詳しく知らない。しかし、今回、オランダのラドバウド大学は請求書偽造を見つけ、グリープを即時解雇している。日本では、請求書偽造を見つけても解雇しない、と思う。この辺、白楽が知らないだけで、日本と外国の実態を誰か、調べていますよね。

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経費請求書不正の発覚が、研究データ捏造と査読プロセスの完全捏造という、根深い二重の不正をあぶり出した。本件は、研究不正が必ずしも「論文への疑義」という王道からではなく、思わぬ側面から発覚しうることを示す好例であり、日本の大学・研究機関の不正防止体制を点検するうえでも参考にすべき事例である。
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●5.【補助記述】

《1》事件早見表

  • 国:オランダ
  • 成長国:ベルギー
  • 研究博士号(PhD)取得:ブリュッセル自由大学(Vrije Universiteit Brussel、ベルギー)・労働組織心理学、2016年頃(推定28歳?)
  • 男女:男性
  • 生年月日:不明。仮に1988年1月1日とした。2006年10月に大学学部に入学した時を18歳とした
  • 現在の年齢:38歳?
  • 分野:産業・組織心理学(心理的契約論)
  • 不正文書発表:2023~2025年(推定35~37歳?)の3年間
  • 不正文書発表時の地位:ラドバウド大学(オランダ)準教授、学術誌『Group & Organization Management』編集長
  • 発覚年:2024年11月(推定36歳?)(経費請求書偽造の発覚)。研究データ不正の確定は2026年3月(推定38歳?)
  • 発覚時地位:ラドバウド大学準教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は、ベルギー・カナダ在籍時の元同僚、および請求書の不整合に気づいたラドバウド大学職員
  • ステップ2(メディア):Vox(ラドバウド大学マガジン)、撤回監視(Retraction Watch)、より良い科学のために(For Better Science)、Times Higher Education
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ラドバウド大学・研究公正委員会(CWI)。2025年6月~2026年3月16日 ②出版社セージ(査読プロセス不正の調査)。2026年4月~7月
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:あり(大学協会「Universities of the Netherlands」のサイト上で公表)
  • 大学の透明性:研究公正委員会(CWI)がクロ判定(〇)
  • 不正:ねつ造・改ざん・査読プロセスの捏造(加えて経費請求書偽造)
  • 不正論文数:撤回論文は本稿執筆時点で少なくとも9報(『Journal of Business Research』1報、GOM誌8報)
  • 時期:準教授として実績を積んだ研究キャリア中期
  • 職:解雇後は学術界を離れ、コンサルティング会社に勤務
  • 処分:ラドバウド大学から即時解雇
  • 対処問題:①ブリュッセルおよびカルガリーでの懸念が正式な記録に残らず、大学間で共有されなかった。②学術誌編集長という「監視する側」の地位が、査読プロセスの捏造に悪用された。
  • 特徴:大学の記念写真で王衣をまとい玉座に座るなど、目立ちたがりで印象的な人物として同僚に記憶されている
  • ランキング:本稿執筆時点で、国際的な研究不正ランキングへの掲載は確認できていない
  • 日本人の弟子・友人:不明

《2》学歴・職歴・研究不正歴

※ヤニック・グリープの正確な生年月日は公表されていない。以下の年齢は、2006年10月に大学学部に入学した時を18歳と仮定し、1988年1月1日生まれと逆算して算出した、あくまで目安の推定値である。

  • 2006年10月(推定18歳?):ベルギーのルーヴェン・カトリック大学(University of Leuven)の学部に入学。
  • 2012年頃(推定24歳?):ベルギーのブリュッセル自由大学(VUB)で博士課程に進学。
  • 2016年頃(推定28歳?):ブリュッセル自由大学で博士号(Ph.D.、労働・組織心理学)取得。指導教員はティム・ヴァンティルボルグ準教授。
  • 2016年頃(推定28歳?):カナダのカルガリー大学心理学部でテニュアトラックの助教授職に着任。
  • 2019年(推定31歳?):ブリュッセル自由大学の共同研究者らが、データ提供拒否等を理由にグリープとの正式な共同研究関係を打ち切る。
  • 2019年(推定31歳?):カルガリー大学を、データの扱いをめぐる疑義とNDA(非開示契約)のもとで離職。
  • 2019年(推定31歳?):オランダのラドバウド大学ナイメーヘン校・行動科学研究所に準教授として着任。
  • 2022年(推定34歳?):学術誌『Group & Organization Management(GOM)』(セージ刊)の編集長に就任。
  • 2024年11月(推定36歳?):実験参加者への謝礼支払いに関する請求書の改ざんが発覚し、ラドバウド大学が即時解雇。
  • 2025年6月(推定37歳?):元同僚らが、データの取り扱いに関する懸念をラドバウド大学の研究公正委員会(CWI)に正式申し立て。
  • 2026年3月16日(推定38歳?):研究公正委員会(CWI)が申し立てを「妥当」と認定し、データのねつ造・改ざんを結論づける。
  • 2026年3月23日(推定38歳?):ラドバウド大学の調査結果が公表され、追加調査の実施が発表される。
  • 2026年4月9日(推定38歳?):米国のメイン大学のビリー・オベナウアー準教授が、GOM誌掲載論文の査読プロセスの不審点に気づき調査を開始。
  • 2026年4月13日(推定38歳?):オベナウアーがセージに論文撤回を要請。
  • 2026年4月20日(推定38歳?):『Journal of Business Research』が問題論文を撤回。
  • 2026年5月(推定38歳?):エルゼビア社がグリープの別の共著論文を撤回(データ操作・捏造)。
  • 2026年7月8日(推定38歳?):撤回監視が、セージの複数論文撤回の動きをスクープ報道。
  • 2026年7月14日(推定38歳?):セージが、GOM誌掲載の共著25論文のうち8論文の撤回を正式発表。
  • 2026年9月現在(推定38歳?):グリープはラドバウド大学を離れ、コンサルティング会社サメルゴ社(Samergo)のシニアアドバイザーを務める。→ Wat doet Samergo?

《3》出版論文数・h指数・評価・撤回論文数・疑惑論文数

データベースに直接リンクしているので、記事閲覧時、リンク先の数値は、記事執筆時の以下の数値より増えている(ことがある)。

Vox記事によれば、在職中の論文数はおよそ100論文、被引用数は1,500件超、h指数は22と伝えられているが、これは本人プロフィールまたは学術データベースからの引用であり、白楽が独自に検証したものではない。

★ScholarGPS

ScholarGPSには本記事のヤニック・グリープ(Yannick Griep)は、南アフリカ(South Africa)のノースウエスト大学(North-West University、ポチェフストルーム(Potchefstroom))として登録されていなる。専門は疫学となっている。

論文出版と被引用数の年次変化(図出典:Yannick Griep | Scholar Profiles and Rankings | ScholarGPS)

★パブメド(PubMed)

2026年10月19日現在、パブメド(PubMed)で、ヤニック・グリープ(Yannick Griep)の論文を「Yannick Griep[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2014~2023年の10年間の23論文がヒットした。パブメドは心理学分野を一部しかカバーしないので、グリープの全論文数はもっと多いと思われる。

2026年10月19日現在、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。

★撤回監視データベース

2026年10月19日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでヤニック・グリープ(Yannick Griep)を「Griep, Yannick」で検索すると、2023~2025年出版の9論文が2026年に撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2026年10月12日現在、「パブピア(PubPeer)」で、ヤニック・グリープ(Yannick Griep)の論文のコメントを「authors:”Yannick Griep”」で検索すると、12論文にコメントがあった。

《4》日本語の記事

本稿執筆時点(2026年10月)で、本事件を扱った日本語記事は確認できていない。

《5》主要情報源

(1) 2026年3月23日のヴィンセント・デカーテス(Vincent Decates)のVox(ラドバウド大学発行の大学マガジン)記事:Former Radboud University scientist manipulated data: the university launches additional investigation – Vox

(2) 2026年4月2日のスタン・ファン・ペルト(Stan van Pelt)、ケン・ランベーツ(Ken Lambeets)のVox記事:Reconstruction: dismissed psychologist cut, pasted and manipulated research results – Vox

(3) 2026年6月15日のスタン・ファン・ペルトのVox記事:Discredited scientist was a rising star, until his exposure: ‘It’s time people knew so he can’t keep doing it’ – Vox

(4) 2026年6月16日のTUデルフト大学(Delft University of Technology)広報誌デルタ(Delta)記事:Researcher dismissed in Nijmegen had previously raised doubts – Delta

(5) 2026年7月8日のアイヴァン・オランスキー(Ivan Oransky)の撤回監視(Retraction Watch)記事:Exclusive: Sage to retract multiple articles by dismissed rising star for “compromised” peer-review process – Retraction Watch

(6) 2026年7月23日のアンネマリー・ハーヴェルカンプ(Annemarie Haverkamp)のVox記事:Co-author describes how fraudulent Radboud scientist fabricated peer review process – Vox

(7) 2026年4月10日のレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)の「より良い科学のために(For Better Science)」記事:Schneider Shorts 10.04.2026 – Unconventional thinking and pioneering solutions – For Better Science

(8) 2026年7月31日のレオニッド・シュナイダーの「より良い科学のために」記事:Schneider Shorts 31.07.2026 – Stackable micro-credentials – For Better Science

(9) 2026年8月26日のスタン・ファン・ペルトのVox記事:How the fraudulent Radboud researcher’s own journal uncovered his problematic publications and is now cleaning house – Vox

(10) ザ・カンバセーション(The Conversation)のヤニック・グリープのプロフィールページ:Yannick Griep – The Conversation

(11) 2026年6月15日のスタン・ファン・ペルトのVox記事:Concerns about dismissed scientist’s integrity already emerged in Brussels and Calgary – Vox

(12) 2026年7月14日のエイヴリー・オーラル(Avery Orrall)の撤回監視記事:Sage retracts eight papers by former Radboud ‘rising star’ for compromised peer-review process – Retraction Watch

(13) タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(Times Higher Education)記事:Sage retracts eight articles by ‘rising star’ professor Yannick Griep – Times Higher Education

(14) 原論文および撤回notice:Griep Y. et al. “The ripple effect of abusive supervision: A longitudinal examination of psychological contract breach, turnover intentions, and resilience among third parties.” Journal of Business Research, 2025.(エルゼビア刊、2026年4月20日付で撤回):ScienceDirect

(15) 2026年6月19日のレオニッド・シュナイダーの「より良い科学のために」記事:Schneider Shorts 19.06.2026 – Dinner table conversations – For Better Science

(16) 2026年7月15日のオリヴィエ・ハイメル(Olivier Heimel)、ケン・ランベーツのVox記事(オランダ語版):Uitgever trekt acht artikelen van ontslagen Radboudwetenschapper terug – Vox

 

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