【注意】「論文を読んで」は、全文翻訳ではありません。ポイントのみの紹介で、白楽の色に染め直してあります。
ロシアの博士論文の盗用指摘サイト「ディザーネット(Dissernet)」の創設者がロシアの盗用博士論文の驚くべき実態を語った。2016年までに5,000件以上の盗用博士論文を見つけたそうだ。ロシアのこの泥沼をどう改革できるのか?
日本人にとって普通の学術システムが外国から「全くマズイ」と見なされた時、日本ではその泥沼をどのように改革できるのか? ロシアの現状から学べないか?
★記事執筆後の情報
①2016年5月22日記事:The thriving Russian black market in dissertations—and the crusaders fighting to expose the country’s fake Ph.D.s.
●【書誌情報】
- 論文名:Fake Academic Degrees in Russia(ロシアのいんちき博士号)
- 著者:Andrei Rostovtsev
- 掲載誌・巻・ページ:Copy, Shake, and Paste
- 発行年月日:2016年3月1日
- ウェブ:http://copy-shake-paste.blogspot.jp/2016/03/fake-academic-degrees-in-russia.html
保存用ウェブ: https://web.archive.org/web/20160405125736/http://copy-shake-paste.blogspot.jp/2016/03/fake-academic-degrees-in-russia.html
★著者
- 著者:アンドレイ・ロストフツェフ(露:Андрей Африканович Ростовцев、英語: Andrei Rostovtsev)。
写真:出典
- 国:ロシア
- 生まれ:1960年3月21日、モスクワ生まれ。現在[showcurrentage month=”3″ day=”21″ year=”1960″ template=”1″]歳
- 学歴:
- 分野:物理学、数学
- 所属・地位:理論実験物理学研究所(ITEP)・素粒子実験室長
- 参考:1‐4‐5.露 ディザーネット(Dissernet) | 研究倫理
●【1.5,000論文以上のインチキ博士論文をロシアで発見】
政治家、実業家、病院の医師、大学の教授、学校の先生が、博士号を取得するのは、それで、早く昇進したいためである。ところが、ロシアではインチキ博士号(fake academic degrees)がまん延している。インチキ博士号は、インチキ博士論文がまん延しているためである。
2013年初頭、ロシアの科学者とジャーナリストが5人集まって、ソーシアル・ネットワーク「ディザーネット(Dissernet)」を設立した。ディザーネットは、インチキ博士論文で博士号を取得したケースを暴いて、一般大衆にインチキ博士論文の実態を知らしめるボランティア組織である。
2016年までに、ディザーネットは、5,000論文以上のインチキ博士論文を見つけた。
インチキ博士論文では、文章の盗用だけではなく、数値データの年号や地域名を変えた論文(経済学、法学、社会学)、別の疾患名や治療法名に変えた論文(医学)などもある。
「ディザーネット(Dissernet)」のウェブサイト(www.dissernet.org、写真はサイトのホームページ)に、1,000論文以上のインチキ博士論文の分析を示してある。
●【2.ロシアの論文盗用スタイル】
盗用は、他人の文章やアイデアを意図的に自分のものであるかのように使う点では同じだが、ロシアの論文盗用スタイルは西欧のスタイルとは異なる。
「西欧スタイル」は、文脈に破たんがないよう、一読して異常を感じないように、盗用した文章を、モザイク状に自分の論文にはめ込む。
「ロシア・スタイル」では、盗用博士論文の著者は、研究を一度もしたことがなく、盗用博士論文の文章を全く見ていない。 盗用“博士論文”は、単に、他人の博士論文の文章をデタラメに編集しただけなのである。
極端なケースでは、博士論文の表紙の著者名を変えただけの場合もあった。しかし、これは極端なケースで、盗用者の研究に合わせて、論文タイトルを変え、それに合うように本文中の単語を変えることが多い。
例えば、下院議員のイゴール・イゴシン(Igor Nikolaevich Igoshin、Игорь Николаевич Игошин、写真出典、現在[showcurrentage month=”12″ day=”11″ year=”1970″ template=”1″]歳)が、2004年に博士号(経済学)を取得した博士論文である。
博士論文タイトルは「Increasing the competitiveness of enterprises by realizing their market potential (a case study of food industry)」である。
ところが、この論文は2002年のナタリア・オルロヴァ(Natalia Orlova)の博士論文「The competitive strength of confectionery enterprises based on market potential」の盗用だった(下線部は盗用論文に使われた単語)。
イゴシンの187ページの博士論文の文章の80%がオルロヴァの博士論文と重複していた。
ただし、論文タイトルの「菓子業界(confectionery enterprises)」を「牛肉食業界(food industry)」に変えたのに合わせ、本文中の単語も次のように変えた。
「黒チョコレート」を「国産牛肉」に、「白チョコレート」を「輸入牛肉」に、「ナッツ・チョコレート」を「骨付き牛肉」に変えたのだ。(参照:①2013 年3月9日のマシャ・リップマン(Masha Lipman)の「New Yorker」記事:
Russia’s Dissertation-Fraud Muckrakers – The New Yorker(保存版)、② Игошин Игорь Николаевич | Вольное сетевое сообщество «Диссернет»、③ Люди шоколадной лажи: cook)。
そして、すべてのデータ、表、図、スペルはそのまま使用することが多い。いくつかの論文では、統計値の年月日を新しい年月日に変えて、研究が最近行われたようにつくろうケースもある。
●【3.盗用検出法】
省略
●【4.分野別】
下図は、ロシアの盗用博士論文を分野ごとの割合にした図である。「ディザーネット(Dissernet)」のデータで、盗用博士論文の総数は5,215報である。
盗用博士論文が多い分野から並べると、経済学が35%、教育学が23%、法学が15%となった。自然科学では盗用博士論文が少ない。どうしてか?
経済学、教育学、法学など人文科学的なことは、人々の日常生活(非学術的な部分)でもある。
人文科学的な日常生活では、ニセ科学や神話を排除する思考が少なく、その価値観が学術界でも働いているためか、人文科学では盗用博士論文が多いのだろう。
自然科学は、人々の日常生活でもあるが、電気にしろ、気候にしろ、ニセ科学や神話を信じて日常生活を送れない。その価値観が学術界でも働いているためか、自然科学では盗用博士論文が少ないのだろう。
また、論文データベースのスコーパス(SCOPUS)で調べると、盗用博士論文の割合が多い分野(経済学、教育学、法学など)は、ロシア研究者の国際的な論文貢献度が低い。逆に、盗用博士論文の割合が少ない分野(自然科学)は、ロシア研究者の国際的な論文貢献度が高い。つまり、両者は反比例している。
そして、経済学や法学の分野では博士論文の3.2%が大規模な盗用をしていた。教育学の分野ではもう少し高い数値の5.0 %だった。
●【5.セクター別】
ロシア科学アカデミー(Russian Academy of Science:RAS)の会員には盗用博士論文が1件も見つかっていない。
2013年の「ロシアNOW」によると、
科学アカデミーの財産は巨大だ。研究者だけでも4万8000人が働く、科学研究所と科学機関436ヶ所を含んでいる。また農業科学アカデミーには学術機関198ヶ所、科学サービス機関300ヶ所以上、医療科学アカデミーには科学教育施設33ヶ所がある(科学アカデミーの研究者たちの今後 | ロシアNOW)。
つまり、ロシア科学アカデミーには4万8000人の研究者がいるのに、1件の盗用博士論文も見つかっていない。立派だ。
小中高の学校長では、131件の博士論文の内、23件が盗用博士論文だった。これは上図で16%だが(白楽が計算すると18%)、教育学の分野では5%なので、小中高の学校長は平均の3倍も研究ネカトをしていたことになる。
大学の学長はどうだろう。学長の博士論文の21%が盗用博士論文だった。学長の分野が教育学だと仮定すると、教育学の平均の4倍以上も研究ネカトをしていたことになる。なお、盗用博士論文の学長の3分の1はモスクワにある大学の学長である。
政治家の盗用博士論文の割合はもっと高い。地方知事の博士論文の29%、下院議員の博士論文の41%が盗用博士論文だった。
つまり、社会的に偉くなるほど、盗用博士論文の割合が増えている。「ズルしないと偉くなれない」社会ということだ。
●【6.博士号授与の腐敗】
ロシアの大規模な盗用博士論文は、学術界の腐敗の結果である。腐敗の結果、博士号を授与しているシステム全体が麻痺してしまった。
主要大学が設立した学術論文協議会の高等証明委員会(Higher Attestation Commission)が博士号を授与するが、この高等証明委員会が博士号授与基準を決める委員会でもある。ところが、ここが腐敗している。
また、博士号申請者は博士号審査の前に論文を学術誌に発表しなければならない。ところが、学術誌編集委員も腐敗しているのである。実際に研究が実施されていなければ、研究論文が出版されるわけがないのは明白なのに、出版できてしまうのである。
さらに、大学が盗用博士論文をビジネス化しているのである。正確に言えば、大学の博士論文委員会が不正を行なっているのである。
ロシアの盗用博士論文は、この3組織、つまり、高等証明委員会、学術誌編集委員、博士論文委員会がそろって、腐敗し、不正を働いている。そして、しばしば、同一人物が、この3組織に同時にコミットしているのである。
●【関連情報】
① アンドレイ・ロストフツェフ(Andrei Rostovtsev)の同趣旨の論文:https://herb.hse.ru/data/2015/09/24/1075563638/HERB_05_view.pdf
② 2015年3月26日のジャック・グロヴ(Jack Grove)の「Times Higher Education」記事: Cheating is rife in Russia, finds student survey | Times Higher Education (THE)(保存版)
ロシアでは盗用博士論文だけが問題になっているのではない。大学ではカニングがまん延している。
学生の7人に1人が試験でカンニングし、25人に1人が金を払ってレポート代行してもらったと告白したのである。
③ 2013年04月15日の日本語ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」:ロシアの教育の場は腐敗の極致? : ウィーン発 『コンフィデンシャル』(保存版)
以下は、上記記事より引用。
ロシアでは論文の盗作は当たり前、学校の成績も先生や教授への賄賂次第というのだ。独雑誌「大学シュピーゲル」4月号を読むと、ロシアの教育システムの腐敗ぶりに驚かされる。
同誌のリード文には、「モスクワ大学とサンクトペテルブルク大学で学生が良い成績を取るためにはガリ勉するだけではなく、担当教授に数枚の紙幣を手渡すだけで時には十分だ」と記述されている。
獣医になるために勉強しているオルガさんは教授を初めて買収した時、「非常に緊張したが、友人によれば、そのようなことは日常茶飯事だ」と聞かされた。オルガさんは教授から良い成績をもらっただけではなく、テストを受験しなくても成績が得られた、と後日証言している。
大学生だけではない。小中学校時代から自分の子供が良い成績を得るため担当教師に賄賂を贈る両親は少なくない。「両親は教師に賄賂を贈り、学生は教授を買収するなど、ロシアの教育システムは腐敗している」というのだ。
ロシア下院(定数450議員)のうち、143議員は博士号を有し、そのうち71人は教授の称号保持者だ。ロシア下院は世界最高峰のインテリ議員の集まりとなるが、「実際は、議員の学力を示すものではなく、学位を買う資金力を証明しているだけだ」というのだ。
驚くべきことは、プーチン大統領の学位論文もカール・テオドル・グッテンベルク独国防相のそれに負けないほどの盗作だったという事実が2006年、米学者によって明らかにされている。
サンクトペテルブルク大学では、成績の値段表が学生の間に行き渡っている。落第した学生のもとに銀行振替用紙が届く。支払えば、落第は免れるというわけだ。3人に1人の学生は成績を買っている。教授の給料は450ユーロから650ユーロだ。それではモスクワでは家賃も払えない。だから教授たちにとって、「ばかな学生は生活に不可欠な収入源」というわけだ。
④ 2013年3月、Serghei GolunovとIvan Kurillaの「PONARS Eurasia」論文:Academic Integrity in Russia Today: The Political and Social Implications of Thesis Falsification and Education Reform | PONARS Eurasia(保存版)
ソビエト連邦時代には学術的盗用は聞いたことがなかったが、2000年代に入って、インターネットの急速な普及とともに、盗用がまん延してきた。2012年11月、研究者集団が、博士論文の研究ネカトに対処する社会活動組織・「ディザーゲート(Dissergate)」を立ち上げた。
その「ディザーゲート(Dissergate)」についての論文である。
【白楽の注】:「ディザーネット(Dissernet)」(1‐4‐5.露 ディザーネット(Dissernet) | 研究倫理 )は2013年1月開始だから、論文出版時には発足していたが、この論文では、「ディザーネット(Dissernet)」についての言及はない。
また、「ディザーゲート(Dissergate)」は2013年夏ごろには活動をやめたらしい。「ディザーネット(Dissernet)」に吸収されたのだろう。
⑤文献追加(2016年6月17日)
The thriving Russian black market in dissertations—and the crusaders fighting to expose the country’s fake Ph.D.s.
●【白楽の感想】
《1》ロシアの盗用博士論文に唖然
日本人にとって普通の学術システムが外国から「全くマズイ」と見なされた時、日本ではその泥沼をどのように改革できるか? ロシアの現状から学べないか? と思って読み始めたが、日本とロシアの落差が大きすぎて、唖然とした。
ロシアの盗用博士論文では、“著者”は、研究を一度もしたことがなく、盗用博士論文の文章を全く見ていない、とある。唖然とした。
学術界が腐敗しきっていることにも、唖然とした。しかし、腐敗がなければ盗用博士論文システムは成立しない。
ロシアでは、改革する機運がどれほど強いのかわからないが、政治家と学術界の上層部が腐敗しきっている現状では、改革者は弾圧され、強い攻撃が加えられるだろう。
プーチン大統領の博士論文も盗用だとなると、プーチン大統領が権力を握っている限り、問題は解決しないだろう。
それでも、何とか欧米レベルの博士論文システムにしようとしている人たちがいる。日本とは別の国ではあるが、改革しようとするロシアの人々に敬意を表したい。
《2》ロシアから学べないか?
ロシアの博士論文システムが腐敗しきっているが、どうするとよいのか? 日本もロシアから学べないか? と思って論文を読み始めた。
しかし、著者のアンドレイ・ロストフツェフは、論文中に文章では答えを示していない。
でも、行動で示している。
ロシアの盗用博士論文の事実を証拠付きで示し、ロシア人の誰もが無料で知ることができる活動を精力的に進めてきた。つまり、「ディザーネット(Dissernet)」活動である。
別途、同じような活動・ヴロニプラーク・ウィキ(VroniPlag Wiki)がドイツにあり、ドイツ語で活動している。
米国では、パブピア(PubPeer)が場を提供し、クラウドソーシングで、全出版論文を対象に英語で活動している。
そして、日本では、11jigenが活動していた。そう、活動は過去形になってしまった。
2016年5月20日現在、日本人研究者の研究ネカトの事実を証拠付きで示すことに特化したサイト(個人・グループ)は存在していない。世界変動展望と片瀬久美子が部分的に活動している程度だ。
どなたか、始めませんかね。