1‐2‐1.なぜいけないのか? 研究不正全体

序論

研究倫理(規範)に違反してなぜいけないのか?

ヒトとしての道にハズれ、不道徳だから。

イヤイヤ、研究倫理の「倫理」は、英語の「モラル(moral)」の意味の「道徳」「善悪」「良心」ではない。研究倫理の「倫理」は、英語の「エシッス(ethics)」で、「エシッス(ethics)」は特定の組織の規範という意味だから、研究倫理は、研究という職業をこなすにあたっての考え方・規則・対処法だ。

そういう研究規範に違反すると、どういう「コマったこと」が生じるのだろう。「コマったこと」が生じるために「いけない」だが、このあたりをしっかり考えている人は、不思議なことに、とても少ない。

多くの人は、「当然、いけない」と決めつけ、正面から理由を考えない。「不正」だから「いけない」というおかしな記述も多い。日本人の好きな(統治者に都合の良い)、「規則は守らなくていはいけない」論理である。

実のところ、「なぜいけないのか?」をしっかり考えないために、「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」の具体策が的ハズレになっている。

「なぜいけないのか?」「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」は3点セットなのである。

日本政府の見解

2005年が日本の政府系「研究規範(倫理)」元年である。

2006年8月8日、文部科学省が基本となる指針「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて」をまとめた。2014年2月、上記の改訂版・「公正な研究活動の推進に向けた「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」の見直し・運用改善について(審議のまとめ)」(2014年2月3日)を発表した。ただし、定義や指針に関して変更はない。

文部科学省のガイドラインで、「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」に該当するのは、「Ⅰ はじめに-検討の背景」の項目4にある。

科学研究における不正行為は、真実の探求を積み重ね、新たな知を創造していく営みである科学の本質に反するものであり、人々の科学への信頼を揺るがし、科学の発展を妨げ、冒涜するものであって、許すことのできないものである。

不正行為は、「科学の本質に反する」とか、「発展を妨げ、冒涜する」など、否定的な語句が表面を滑って、どうも、白楽には腑に落ちてこない。どの点が、どうして「科学の本質に反する」のか? どの点が、どう「冒涜」しているのか? 腑に落ちてこない。唯一、「科学への信頼を揺るがす」が腑に落ちた。

「Ⅱ 不正行為に対する基本的考え方」の「3 不正行為とは何か」には、以下の文章がある。

不正行為とは、研究者倫理に背馳し、上記1、2において、その本質ないし本来の趣旨を歪め、研究者コミュニティの正常な科学的コミュニケーションを妨げる行為に他ならない。

「上記1、2」の部分は長いので省略するが、ここでは、「正常な科学的コミュニケーションを妨げる行為」という記述で、「正常」を妨げるから悪いという論理展開である。

日本の政府系「研究規範(倫理)」は、文部科学省のガイドライン(2006年)が基本なので、他の府省の記述を見ても、「なぜ、どの点が、どうして、いけないのか?」は、「人々の科学への信頼を揺るがす」点以外はナルホドと思う状況にならない。

例えば、政府系の研究助成機関の科学技術振興機構は、「研究に関する不正問題は、科学技術に対する国民の信頼を揺るがし、不信を招く大変憂慮するべきものといわざるを得ません。」(JST 科学技術振興機構 http://www.jst.go.jp/researchintegrity/)、とある。「研究者のみなさまへ~研究活動における不正行為の防止について~(PDF:1,062KB)」、には「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」の記載はない。

つまり、「人々の科学への信頼を揺るがす」のがいけない、と結論して良いだろう。

では、どの程度の不正行為があれば、どの程度の信頼が揺らぐのだろうか? 実測値あるいはシミュレ-ション値は示されていない。信頼が揺らいだ結果、「科学の発展を妨げ」られる論理だと思うが、「科学の発展」はどの程度妨げられるのだろう? 実測値あるいはシミュレ-ション値で示してもらえるとわかりやすいのだが・・・。ありませんね。

★日本学術会議

日本学術会議「声明 科学者の行動規範」(2006年10月3日)

なぜなら、たとえ一人の不正行為であっても、科学者コミュニティ全体、さらには科学という知的営為そのものに対する信頼を大きく損なう恐れがあるからである。

「何がいけないか?」の記述はたくさんあるが、「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」の記述はこれだけである。「信頼を大きく損なう恐れがある」のがいけない。なお、「恐れがある」程度なら、そんなにキリキリしなくてもいいようにも思える。

改訂版「声明 科学者の行動規範-改定版-」(2013年1月15日改定)では、「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」の記述はない。

なぜいけないのか? どんな悪影響があるか?

「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」は、日本政府や日本学術会議の文書にほとんど記載されていないように、日本では推敲する人が皆無に近い。欧米でも少ないが、少しいる。

欧米の論文を参考に白楽自身が考えるしかない。なお、ここで、定義も示さず「悪」や「ズルイ」という語句を使うが、基準は、一般的な意味である。白楽がそう思ったレベルである。

参考論文:NH. Steneck(2006)「Fostering Integrity in Research Definitions, Current Knowledge, and Future Directions」、Science and Engineering Ethics (2006) 12, 53-74。

★「どのくらいの悪影響があるのか?」の大枠

深く考えないで、研究不正による悪影響をリストした。以下に7項目挙げたが、各項目は因果関係がある項目もある。例えば、「2」が原因で「3」「4」という結果が生じる。各項目は独立していないので、本当はもっと整理できる。ただ、整理すると項目が隠れ、見えなくなるので、全部書いた。

  1. 悪い奴(個人・組織)ほど偉くなる、悪い奴ほど得をする
  2. 研究文書・発表の信頼性を下げる
  3. 研究者がお互いの信頼性を下げる
  4. 国・企業・国民が研究・研究者を信頼しなくなる
  5. カネ、モノ、ヒトの無駄が生じる
  6. 社会や個人に有害となる
  7. 特定の国だけでなく、悪影響は世界全体が平均的にこうむる

「1.悪い奴(個人)ほど偉くなる、悪い奴ほど得をする」

研究不正すると、偉くなり、得をする。現実の日本は「ズルイ奴が得をする」。それが良いとは思わないし、改善したいが、人類社会の長い歴史の中で、「ズルイ奴が得をする」のを改善する方策はほぼ出尽くしている。だから、現実は、研究不正するズルイ奴は依然として得をする。ズルイ奴(=悪い奴)ほど偉くなる。だから、研究者はズルをする。

研究者は、研究不正で、個人的収入・研究費・職(就職・昇進・地位・権力)・結婚相手・快楽(名誉・称賛・供応)など研究に関連することから私生活まで、ズルイ行為で不当に得をする。マイナス面は、不正発覚の恐怖と、実際に発覚したとき、不正しなかったレベルより下になる可能性が高いことである。

この場合、どのくらいの悪影響があるだろうか?

★個人が、研究不正をすることで上記の得をすると、

→ ①個人的収入・研究費が増える。このカネは、研究不正しなければ得られないカネで、本来、他の人に回るハズのカネだ。つまり、その地位や昇進に値しない人に払われたお金が、社会として無駄になる。

「どのくらいの悪影響があるだろうか?」。全体の実測値あるいはシミュレ-ション値はないが、個々の研究不正ケースで研究費の額は判明している。例えば、2013年に研究不正が発覚した東京大学・分子細胞生物学研究所の加藤茂明・教授(2012年3月退職)の研究費額は少なくとも18億円だ(加藤茂明 元東大教授、研究不正の背景を語る | 日本の科学と技術)。個人的収入は年収総額として数億円だろう。合計20億円としよう。

個人的収入・研究費の額は研究者によって異なるが、粗いことを承知で、1件、20億円でシミュレ-ションしよう。

研究ネカトは2000年~2009年の10年間に110事件、つまり、毎年11事件発覚している(白楽ロックビル(2011):『科学研究者の事件と倫理』、講談社)。発覚していなが実際には起こっている研究ネカトはこの10倍はあるだろう。加藤茂明・元教授の20億円に11事件X10を掛けると、被害額は毎年2,200億円とシミュレ-ションできる。かなり巨額だ。

→ ②職(就職・昇進・地位・権力)が得やすい。研究不正しなければ得られない就職・昇進・地位・権力で、本来、他の人に回るハズの就職・昇進・地位・権力だ。

「どのくらいの悪影響があるだろうか?」。全体の実測値あるいはシミュレ-ション値はない。毎年11事件X10起こっているとして、就職・昇進・地位・権力は110人が被害をこうむっていると推測できる。教授職を得ていれば、教育される学生、研究者育成される研究室の大学院生なども被害をこうむる。

研究室の大学院生は学問のあり方を、研究室の教員から学ぶから、直接的な被害者になる。大学院生被害者を10人として、11事件X10を掛けると、被害者は毎年1,100人とシミュレ-ションできる。とても多い。ただ、大学院生は教員の指導を鵜呑みにするわけではない。悪影響を受けた度合いの測定は難しい。また、これらの被害を金銭に換算するのも難しい。

金銭で被害額をシミュレ-ションするというより、被害は、大学院生が、ズルして就職・昇進・地位・権力を得られる生き方を取り入れてしまうことだ。取り入れない大学院生でも、腐敗した学術界を目の当たりにし、誠実さや努力という価値観を低下させ、研究者としてのヤル気を低下させる。

適正な人材登用をできない腐敗した学術界との認識が社会に蔓延するという悪影響もある。

→ ③結婚相手・快楽(名誉・称賛・供応)などが得やすい。研究不正しなければ得られない結婚相手・快楽(名誉・称賛・供応)などで、これらも、本来、他の人に回るハズのものだ。

「どのくらいの悪影響があるだろうか?」。全体の実測値あるいはシミュレ-ション値はないし、シミュレ-ションは難しい。

悪い奴ほど偉くなる・得をするプロセス

研究者の世界をご存じない方もいるだろうから、「②職(就職・昇進・地位・権力)が得やすい」について具体的にもう少し書いてみよう。

研究者の研究実力が全く同じ2人(マジメ氏とハイイロ氏)がいたとしよう。まあ、こういう仮定は現実世界では成り立たないけど、仮定の話なので、「あり」としよう。さらに、この2人(マジメ氏とハイイロ氏)は、研究規範(倫理)の行動だけが異なり、他は同じとしよう。

するとどうなるか?

ハイイロ氏は、論文出版を研究人生の最優先事項と考えた。ここまで良し。人間の研究能力はドングリの背比べだから、ズルさこそ人生で成功するコツと考えた。「ねつ造」「改ざん」「盗用」「二重投稿」などの不正基準が曖昧なことをいいことに、不正ギリギリ、あるいは発覚しないように不正をし、大学院生の時から一流学術誌にたくさんの論文を発表してきた。

一方、マジメ氏は、研究規範(倫理)では、いつも、誠実な行動を取っていた。

研究規範(倫理)の行動は違っても、研究の実力が全く同じ2人なので、マジメ氏も、大学院生の時から一流学術誌にたくさんの論文を発表してきただろうか?

マジメ氏は平均的、あるいは、平均より少し多い程度の論文しか発表していない。

論文を多く発表すればするほど、有利な研究職に採用され、採用後も早く昇進し、研究費がより多額にもらえ、賞をよりたくさん受賞し、大学院生もよりたくさん来る。つまり、ハイイロ氏は学術界では異例のスピードで出世し、偉くなった。一方、マジメ氏は平均的だった。

もちろん、「たくさんの論文を発表している」人は、皆、“悪い奴”というわけではない。しかし、もし、研究の実力が同じなら、悪い奴ほど「たくさんの論文を発表する」ことは確実だ。実証データはないので、ハッキリ言う人はあまりいない。

ここまでは仮説である(本当だと思うけど)。

実証的データとして、拙著『科学研究者の事件と倫理』でも、菊地重秋の分析松澤孝明の分析でも、日本は、「教授など地位が高い人が研究不正をする」。一方、米国の研究公正局のデータでは、「対照的に、米国では大学院生・ポスドクなど地位が低い人が研究不正をする」。

なぜなのだろうか?

いままでの分析を踏まえれば、現実の日本は“悪い奴”ほど偉くなっている可能性が高い。その上、日本は「研究不正した研究者の処分が甘い」と言われているので、“悪い奴”が学術界から排除されない。

「教授など地位が高い人が研究不正をする」のは、実は、程度の差こそあれ、若い時から研究不正をして偉くなったためで、長年、ズルさのスキルを磨き、関門を潜り抜け、昇進し、そのまま早く偉くなるからである。という、うがった見方ができる[一般論ではありません]。

誰からも抑制されない地位の教授になり、教授の地位としてそれに見合った権勢を実行する。教授になったから“悪いこと”をするのではなく、若いときからの成功経験のまま、今まで通りの研究規範(倫理観)で行動するから、影響力が大きくなった分、不正の規模が大きくなり、言動に注目を浴び、不正が発覚するのである。

つまり、教授になったから不正をするのではなく、不正をする“悪い奴”だから偉くなったのだ。米国では、研究規範のチェックが日本より優れているので、“悪い奴”は研究キャリアの初期段階で排除される。それで、「日本は教授など地位が高い人が研究不正をし、対照的に、米国では大学院生・ポスドクなど地位が低い人が研究不正をする」説明がつく。

だから、著名教授の不正が発覚し、学長の不正が発覚し、政府委員の不正が発覚するのである。1つのうがった見方である[一般論ではありません]。

もちろん、偉い人は、皆、“悪い奴”というわけではない。

なお、「“悪い奴”ほど偉くなる」のは学術界の特徴ではなく、人間社会の特徴である。とはいえ、“悪いこと”をして偉くなれる度合が大きいと、優れた研究成果をあげる意欲が減退し、大学院生・研究者個人は真面目に学業・研究に取り組まない。学術界は腐敗し、学術研究は衰退する。研究規範(倫理観)が低いために研究は発展しない。

「1.悪い組織(国、企業、大学など)ほど得をする」

組織(国、企業、大学など)も、研究不正で、評判・収入・力を不当に得ることができる。マイナス面は、研究不正が発覚したとき、研究不正しなかったレベルより下になる可能性が高いことである。

この場合、研究不正で、「どのくらいの悪影響があるだろうか?」。全体の実測値あるいはシミュレ-ション値はないし、シミュレ-ションも難しい。

例えば、2014年の小保方事件で理化学研究所はどれだけ評判・収入・力を落としたのだろうか? この場合、評判・収入・力をどう測定できるのか?

民間企業なら売上激減、退職者が増える、倒産などで測定できる。しかし、理化学研究所は、実質的には有力な国立研究所なので、そういう指標では悪影響を測定できない。

出版論文数が減る? 申請特許数が減る? 国からの予算が減る? これらは測定できるけど、白楽には、それが悪影響の中心的な答えのようには思えない。

【白楽の感想】

《1》 根本はなにか

「なぜいけないのか?」「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」は3点セットなのだが、「なぜいけないのか?」を噛み砕いて説明している論文・文書はとても少ない。

論文・文書は、「研究不正は悪い」のは自明のように処理している。根本の議論をしない。どうして、根本の議論をしないのだろう? 「不正」という用語のせいだろうか?