ウィリアム・マクブライド(William McBride)(豪)


【概略】
141128 164624-174532bc-ec51-11e3-82c4-4cab92387936[1]ウィリアム・マクブライド(William McBride、写真出典)は、オーストラリア・シドニーのクラウン・ストリート女性病院(Crown Street Women’s Hospital)の産科医だった。

1961年、サリドマイドによる奇形形成を世界で最初に発表し、オーストラリアの奇形児誕生を防いだ。オーストラリアのヒーロ-科学者で、世界的に著名な医師となった。

1962年オーストラリア賞(Australian of the Year)を受賞した。2001年の「20世紀に最も影響力のあった100人のオーストラリア人」にも選ばれた(The most influential Australians – smh.com.au)。

141128 Womens_hospital_albion_street[1]シドニーのクラウン・ストリート女性病院(Crown Street Women’s Hospital)。1893年創立、1983年閉鎖。写真出典

★サリドマイド事件

サリドマイド事件は、日本を含め世界の重大事件なので、状況を把握しておこう(参考:①サリドマイド事件 – 日本の薬害・公害(Akimasa Net)、②Thalidomide)。

141128 NCP14053サリドマイド(Thalidomide)は、1957年、西ドイツのグリュネンタール社が開発した催眠鎮静薬で、西ドイツでは「コンテルガン(contergan)」という名称で発売された。

自然な眠りが得られ、安全性が高いと宣伝され、つわりの時に飲む薬として妊婦にも処方され、世界46か国で販売された。しかし、その頃から奇形の赤ん坊が生まれる頻度が高くなった。写真出典

141128 contergan208_v-TeaserAufmacher[1]欧州では、ドイツ・ハンブルグ大学小児科・講師のウィドゥキント・レンツ(Widukind Lenz)が、ヒーローになった。

ウィドゥキント・レンツは、奇形の赤ん坊が生まれる原因をサリドマイドの服用だと突き止めた。さらに、販売4年後の1961年11月15日、ウィドゥキント・レンツは、妊婦がサリドマイドを服用すると奇形の赤ん坊が生まれると、医薬品会社に警告した。マスコミが報道し、レンツの警告の10日後には欧州各地で販売停止と回収が行われた。写真出典

141128 182米国では、米国連邦政府・FDA(食品医薬品局)の審査官・フランシス・ケルシー(Frances Kelsey、薬理学者、医師、写真出典)がヒロインになった。

彼女は、サリドマイドの安全性に疑問を抱き、米国での販売を認可しなかった。お蔭で、米国では自分で輸入した数名の被害者を出しただけだった。

1962年、ケルシーはケネディ大統領から「顕著な連邦文民功労への大統領賞」が授与された。

オーストラリアでは、シドニーの産科医・ウィリアム・マクブライドがヒーローになったのである。

患者の中に、奇形の赤ん坊が異常に増えたことから、1961年4月、その原因がサリドマイドだと独自に突き止めた。1961年12月16日、著名な医学誌「ランセット」に、サリドマイドによる催奇形性を世界で最初に報告したのである。

報告は、レターの形で論文として採用されなかったが、レターの公表日は、ウィドゥキント・レンツが警告を発した翌月だった。ウィドゥキント・レンツもウィリアム・マクブライドが世界で最初に報告したことを認めている。

  • 医学誌「ランセット」のレター
    McBride,W. G. :Thalidomide and Congenital Abnormalities、Letter to the Editor. The Lancet 2 (December 16, 1961): 1358.

ウィリアム・マクブライドは、この報告で、翌1962年、オーストラリア賞(Australian of the Year)を受賞した。

そして、日本では、ヒーローもヒロインもいなかった。いたのは、悪役と被害者だけだった。

1958年1月、大日本製薬(株)がサリドマイドを製造販売した。レンツの警告は日本にもすぐに伝わったが、厚生省は、レンツの警告に「科学的根拠がない」とし、薬の販売停止と回収はされず、製薬会社はサリドマイドの販売を継続した。

西ドイツの販売停止と回収から10か月も遅れた1962年9月に、ようやく販売停止と回収が行われた。そして、日本での被害者は正式に認定された赤ん坊数で309人に及んだが、実際のサリドマイド被害者数は1,000~1,200人と推定されている。

1961年当時の日本の有力な産科医、産科の大学教授には責任があると思う。

話しをウィリアム・マクブライドに戻す。

1971年、ウィリアム・マクブライドは、オーストラリア賞の賞金と篤志家の支援で、赤ん坊の心身障害の原因を研究する私設の研究所「41財団研究所(Foundation 41)」を創設した。「41」の名称はヒトの通常妊娠期間の40週に1週間を足した数字である。

サリドマイド論文から21年後の1982年、ディベンドックス (Debendox)という医薬品に催奇形性があるという論文を発表した。

ウィリアム・マクブライドは、すでに著名な研究者だったが、発表直後から共著者に不正研究と指弾された。調査委員会は一度、問題なしと結論したが、数年後、メディアに取り上げられ、再調査の結果、1988年11月、ウィリアム・マクブライドにデータ改ざんがあったと判定した。

また、論文発表の11年後の1993年、裁判所でも、データ改ざんがあったと判定された。

  • 国:オーストラリア
  • 成長国:オーストラリア
  • 博士号取得:オーストラリア・シドニー大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1927年5月25日
  • 現在の年齢:89 歳
  • 分野:産科学
  • 最初の不正論文発表:1982年(55歳)
  • 発覚年:1988年(61歳)
  • 発覚時地位:オーストラリアの財団41研究所・医学部門長
  • 発覚:研究助手の内部公益通報
  • 調査:①財団41研究所。1982年■月~不明。調査期間は不明。この時は不正なしと結論。②財団41研究所。1988年7月~1988年11月。調査期間は4か月間。③ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所。■~1993年。調査期間は■か月間。
  • 不正:改ざん。著者性
  • 不正論文数:1報。撤回なし
  • 時期:研究キャリアの初期から?
  • 結末:研究所解雇。医師免許の登録取り消し5年間

★主要情報源:
① ◎1989年のブライアン・マーチン(Brian Martin)の「Thought and Action (The NEA Higher Education Journal), Vol. 5, No. 2, Fall 1989, pp. 95-102」への投稿原稿:Fraud and Australian academics
② ◎1993年2月20日のロバート・ミリケン(Robert Milliken)の「The Independent」記事:‘Thalidomide doctor’ guilty of medical fraud: William McBride, who exposed the danger of one anti-nausea drug, has been disgraced by experiments with another, writes Robert Milliken in Sydney – World – News – The Independent
③ ◎1988年11月12日のジェーン・フォード(Jane Ford)とフランク・レッサー(Frank Lesser)の「New Scientists」記事『Senior drugs researcher resigns in disgrace』:New Scientist – Google ブックス
141128 71k3SJjtTQL[1]④ 未読の書籍(邦訳なし)。1989年出版、ビル・ニコル(Bill Nicol)著『マクブライド:伝説の裏側(McBride: Behind the myth)』:McBride: Behind the myth: Bill Nicol: 9780642129925: Amazon.com: Books
⑤ 上記書籍④の要約:\Nicol, Bill. McBride: Behind the Legend. Crows Nest, NSW: Australian Broadcasting

【経歴】

  • 1927年5月25日:オーストラリアで生まれる
  • 19xx年(歳):オーストラリア・シドニー大学・医学部卒業、医師免許
  • 19xx年(歳):オーストラリア・シドニーのクラウン・ストリート女性病院、産科医に就職
  • 1961年(34歳):サリドマイドによる催奇形性を世界で最初に報告
  • 1971年(44歳):医療団体「41財団研究所(Foundation 41)」を創設
  • 1982年(55歳):不正研究論文を発表
  • 1982年(55歳):不正研究が発覚するが、調査委員会はシロと結論した
  • 1987年(60歳):不正研究がマスメディアで報道される
  • 1988年(61歳)7月:財団41研究所は調査委員会を再度発足させる
  • 1988年(61歳)11月:財団41研究所の調査委員会がマクブライドの1982年論文にデータ改ざんがあったと結論した
  • 1988年(61歳)11月:財団41研究所はマクブライドを解雇
  • 1993年(66歳):ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所がマクブライドがデータ改ざんしたと結論し、医師登録を停止
  • 1998年(71歳):医師登録が回復
  • 2001年(74歳):「20世紀に最も影響力のあった100人のオーストラリア人」に選ばれた

【不正発覚の経緯】

ウィリアム・マクブライド(William McBride)は、1961年、サリドマイドによる奇形形成を世界で最初に発表し、世界的に著名になった。

1971年 ウィリアム・マクブライドは、賞金と寄付金で私設の医療団体「財団41研究所(Foundation 41)」を創設した。

1980年 マクブライドは、財団41研究所の2人の若い研究助手であるフィリップ・バーディとジル・フレンチに研究の指導をしていた。研究課題は、ウサギの胚発生でのスコポラミンの影響だった。

スコポラミン臭化水素(scopolamine hydrobromide、別名、ピリドキシン、ビタミンB6)は、妊婦がつわりで吐き気がする時に飲む薬のディベンドックスと化学的に類似の物質である。ディベンドックス (Debendox、米国では当時ベンデクティンBendectin、現在Diclegis)は、米国のメリル・ダウ社(Merrell Dow)が開発販売している医薬品だった。

1982年、マクブライドは、スコポラミン(=ディベンドックス)が先天的欠損症を引き起こすという論文を発表した。

  • Effects of scopolamine hydrobromide on the development of the chick and rabbit embryo.
    McBride WG, Vardy PH, French J.
    Aust J Biol Sci. 1982;35(2):173-8.

論文は25ページからなり、24羽のウサギが実験に使用されている。8羽は普通に飼育され、8羽はスコポラミンが注射され、残りの8羽は飲料水にスコポラミンを入れる方法で摂取させた(主要情報源③を参考にした。上の論文の要旨と少し異なる) 。

妊娠22週目にウサギを殺し、胎児に奇形形成が起こっているかどうかを検査した。

注射した8羽は奇形がなかったが、飲ませた8羽の内、1羽の胎児の眼、そして、もう1羽の胎児の脳が奇形だった。

フィリップ・バーディ(男性)とジル・フレンチ(女性)は、出版社から論文別刷りを受け取り、自分たちが共著者になっていることを初めて知って、驚いた。共著者になることの打診もなく論文の共著者になっていたからである。

また、論文のデータが自分たちのデータとは異なっていたから、もう一度、驚いた。データは改ざんされ、スコポラミンがウサギの胎児形成に悪い影響を及ぶすという内容になっていたのである。

フィリップ・バーディ(男性)とジル・フレンチ(女性)の元データでは、飲んだウサギは8羽ではなく6羽だった。しかも、胎児は奇形ではなく正常だった。

1982年9月、フィリップ・バーディはマクブライドに抗議したが無視された。ジル・フレンチは、嫌気がさして、財団41研究所を辞めてしまった。

1982年11月、財団41研究所の7人の研究員は、この事態を重く見て、財団41研究所の研究諮問委員会に公益通報した。

研究諮問委員会の最初の会合で、マクブライドはフィリップ・バーディとジル・フレンチに、共著者になることの了解をとらなかったことを認めた。また、査読者から、8羽の内の2羽は高濃度のスコポラミンのために死んでしまうと指摘され、スコポラミンの濃度を「再計算」したと述べた。飲み水容器から水漏れがあって、医薬品の濃度を過剰に予測したと説明した。

以上の説明を受け、研究諮問委員会は、マクブライドに問題はなかったと結論した。

マクブライドに問題なしとした日、フィリップ・バーディは財団41研究所を辞職した。

翌日、公益通報した7人の研究員は、財団41研究所から解雇された。マクブライドの報復に違いないが、汚いことに、解雇の理由は、「研究所の財政難」とされた。

1983年7月、フィリップ・バーディとジル・フレンチは、論文の出版元「Aust J Biol Sci.」の編集長に「論文内容は私たちの実験ノートと異なる。自分たちの名前を共著者から外してほしい」と手紙を書いたが、「Aust J Biol Sci.」からも無視された。

141128 3699764-3x4-200x267[1]月日が経ち、それから4年も経った、1987年暮れ フィリップ・バーディとジル・フレンチは、オーストラリア放送協会(ABC)の医科学記者・ノーマン・シュワン(Norman Swan、写真出典)に事の顛末を聞いてもらった。

ノーマン・シュワンは、小児科医からジャーナリストに転身した人で、後にオーストラリアの傑出した医科学ジャーナリストとして認められた人である。

1987年12月7日 ラジオ番組でノーマン・シュワンはマクブライドを糾弾した。シュワンが事件を掘り起こしたのである。シュワンはこの報道で、1988年ベストドキュメンタリー賞を受賞した(Australian Writers’ Guild Award for best documentary and a Gold Walkley)。
(Norman Swan, “The Man Who Stopped Thalidomide Accused of Fraud”, Sydney Morning Herald, 14 December 1987, pp. 1, 4; Bernard Lagan, Malcolm Brown and Wanda Jamrozik, “Dr McBride’s Rise and Falter: From Fame to Controversy”, Sydney Morning Herald, 19 December 1987, pp. 8-9.)

シュワンの報道に対して、最初、財団41研究所とマクブライドはシュワンの報道内容を否定していた。

1988年7月、しかし、財団41研究所は、マスメディアの圧力に負け、調査委員会を再度、発足させた。

1988年11月2日、財団41研究所は、マクブライドは1982年の論文でデータ改ざんしたと結論した(Harry Gibbs, Robert Porter and Roger Short, Report of Committee of Inquiry concerning Dr. McBride (Sydney: Foundation 41, 1988).)。

マクブライドは財団41研究所のすべての地位・職を解かれた。

寄付で成り立っていた財団41研究所は、この不祥事で寄付が集められなくなり、組織を縮小した。間もなく閉鎖に追い込まれたらしいが、1999年のマクブライドの論文では所属が財団41研究所となっている。1999年は、存在していたことになる。

オーストラリア奇形学会・会長のビル・ウェブスター(Bill Webster)が批判的に述べている。

「私が知っている限り、財団41研究所はロクな研究成果をあげていない。… 率直に言えば、財団41研究所の実績は非常に期待外れだった。彼らは莫大な公金とサポートを得たにもかかわらず、先天的障害の研究ではロクな研究成果をあげていない」(出典:主要情報源⑤)

多数の患者が訴訟を起こし、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所が調査を開始した。

1993年、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所の裁判官・ブライアン・ウォール(Brian Wall)は、調査の結果、マクブライドがデータを改ざんしたと結論した。オーストラリアの医師登録が停止された。

5年後の1998年 医師登録は回復された。

それより11年前の1989年8月12日、シドニーの新聞「Sydney Morning Herald」の記者・ノーマン・シュワンが、「マクブライドは他の研究も自分の研究だと主張(McBride claimed another’s research as his own)」という記事を書いた。

これら一連の記事で、マクブライドは、記者のノーマン・シュワンを名誉棄損と裁判に訴えた。

この裁判は、20年後の2009年3月27日 ニュー・サウス・ウェールス州最高裁判所のヘンリック・ニコラス裁判官(Henric Nicholas)のアドバイスに従い、ようやく示談が成立し、決着した。(2009年3月28日 Michael Pellyの記事:William McBride hails end of affair | The Australian

時に、ウィリアム・マクブライドは81歳だった。

【撤回論文】
パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、ウィリアム・マクブライド(William McBride)を「McBride WG[Author]」として検索すると、1958年~1999年の42年間の52論文がヒットした。

著名な研究者なのに論文数は少ない。

1961年12月16日のサリドマイドによる催奇形性の「ランセット」誌のレターは、レターのためかパブメドのリストに入ってこない。

2014年11月24日現在。撤回論文はない。

【事件の深堀】

【白楽の感想】

《1》 ヒーローは危険

ウィリアム・マクブライドはオーストラリアのヒーローだった。

そういうヒーローは不正をしやすい傾向にある。というのは、ヒーローは周囲があがめるので、周囲も本人も「自分は全知全能で失敗しない」と思いこみやすい。謙虚になれない。誰もが糾弾しにくい。ところが、成功は、本人の能力というよりも、タイミングやウンが良かったという要素が大きい。だから、ノーベル賞受賞者は、研究費も人もすべての研究条件は格段と良いのに、再度、ノーベル賞級の研究をすることはマズない(2度受賞者は少しいる)。

幸運の女神は何度も微笑んでくれない。それで、かつての成功経験と同じパターンを狙い、固執し、墓穴を大きくする。自分の研究スタイルを変えられないのである。人間は、同じ路線でガンバっても大きくは伸びない。別の方向へと変えなければ進歩はない。

同じ路線でガンバって失速した著名な研究者は、野口英世、アレクサンダー・フレミング(ペニシリンの発見者)、江橋節郎(トロポニンの発見者)など、枚挙にいとまがない。

ウィリアム・マクブライドも、同じ路線で失速した。

しかも、ウィリアム・マクブライドの場合、能力は神どころか、人並みだった。人並みは褒め過ぎかもしれない。論文出版数とオーストラリア奇形学会・会長のビル・ウェブスター(Bill Webster)の批判から判断すると、人並み「以下」だったようでもある。

141128 nla[1]絵画出典