ロバート・ガリス(Robert Gullis)(英)

ワンポイント: 27歳の若者がねつ造を白状した38年前の事件

【概略】
unilogo578ロバート・ガリス(Robert Gullis、顔写真未発見)は、英国・バーミンガム大学(University of Birmingham)で研究博士号(PhD)を取得し、ドイツのマックス・プランク・生化学研究所(Max Planck Institute for Biochemistry)のポスドクになった。専門は生化学。

2年間のポスドク終了後、英国に戻ったが、バーミンガム大学時代およびマックス・プランク・生化学研究所時代に出版した論文がほぼすべて架空のデータを記載したものだった。

1977年、27歳の若さで、問い詰められ、データねつ造を白状した。

header_image_sans_rightドイツのマックス・プランク・生化学研究所(Max Planck Institute for Biochemistry)。写真出典

  • 国:英国
  • 成長国:英国
  • 研究博士号(PhD)取得:英国・バーミンガム大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1950年頃。仮に、1950年1月1日とする。
  • 現在の年齢:67 (+1)歳
  • 分野:生化学
  • 最初の不正論文発表:1973年(23歳)
  • 発覚年:1977年(27歳)
  • 発覚時地位:不明
  • 発覚:現場検証
  • 調査:本人の告白
  • 不正:ねつ造
  • 不正論文数:8報。8論文が撤回
  • 時期:研究キャリアの初期から
  • 結末:研究職に就いていない

【経歴と経過】

  • 1950年頃:生まれる。仮に、1950年1月1日とする。
  • 1971年(21歳):英国・アベリストウィス大学(Aberystwyth University)を卒業
  • 1971-1974年(21-24歳):英国・バーミンガム大学(University of Birmingham)・生化学・博士課程大学院。研究室はチャールズ・ロウ上級講師(Charles E. Rowe)。
  • 1974年10月-1976年9月(24-26歳):2年間、ドイツのマックス・プランク・生化学研究所(Max Planck Institute for Biochemistry)・ポスドク。ベルント・ハンプレヒト研究室(Bernd Hamprecht)
  • 1976年9月(26歳):英国に戻る。所属不明。研究職に就いていない?
  • 1977年(27歳):ねつ造を告白

【不正発覚の経緯】

1971-1974年(21-24歳)、英国・バーミンガム大学(University of Birmingham)の博士課程大学院として、チャールズ・ロウ上級講師(Charles E. Rowe)の研究室で神経伝達物質の生化学を研究した。

1973年(23歳)に最初の論文を、ロウ上級講師と共著で出版した。

csm_Hamprecht_f142a290121974年10月(24歳)、研究博士号(PhD)を取得後(英国は早く博士号取得できる?)、ドイツのミュンヘン郊外にあるマックス・プランク・生化学研究所(Max Planck Institute for Biochemistry)のベルント・ハンプレヒト研究室(Bernd Hamprecht、写真出典)のポスドクになった。

バーミンガム大学時代の論文を1975年に3報(全部第1著者で、全部ロウと共著)、1976年に2報(全部ロウと共著)出版した。

一方、 マックス・プランク・生化学研究所で、1975年に1報(5人共著の第1著者)、1976年7月22日号の「Nature」に1報(7人共著の第2著者)出版した。

1976年9月(26歳)、マックス・プランク・生化学研究所の2年間のポスドクを終え、英国に帰国した(所属機関と身分は不明)。

1976年の年末(26歳)、マックス・プランク・生化学研究所のベルント・ハンプレヒト研究室で、「Natureの1976年論文」の共著者が論文結果を追試できないで困っていた。ハンプレヒトはガリスに、研究所に戻ってきて教えてくれないかと、乞うた。

ガリスはマックス・プランク・生化学研究所に戻ったが、ねつ造データなので、追試できるはずもない。最終的には、仕方なしに、「データをねつ造した」と告白したのである。

1977年2月24日(27歳)、ハンプレヒトはガリスとともに、「データをねつ造したので、コレコレの論文は撤回してほしい」と、Nature誌に手紙を書いた。その撤回論文通知は「Nature誌の1977年2月24日号」に掲載された。

この事件後、ロバート・ガリス(Robert Gullis)は研究職には就いていないと思われるが、消息不明である。生きてれば、2015年8月現在65歳なので、それなりの地位を得て社会に貢献してきたと思われる。

Robert Gullis1977年2月24日「The Age」記事:The Age – Google News Archive Search

【不正の内容】

バーミンガム大学の大学院生の時の1975年論文(ガリスの2報目の論文)の書誌情報を以下に示す。その論文のデータ(図表)を見てみよう。なお、この論文は1977年に撤回された。 

以下は、201ページ目の表1である。 表が大きいのでジャーナルでは横になっている。
biochemj00557-0053

つまり、ねつ造データは数値である。ねつ造は数値の全部なのか、一部なのか不明であるが、もし、全部だとするととても頭脳明晰である。

「こういう実験をし、こういう数値になると、そこそこの発見になる」と計算して数値を表に記入したのだろう。

同じ論文から、別のデータを見てみよう。以下は204ページ目である。表4、図2、図3がある。表4は数値で、図2と図3は数値をもとに描いた図なので、数値である。つまり、ねつ造したのは上記と同じような実験値である。
biochemj00557-0056

【論文数と撤回論文】

2015年6月24日現在、パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、ロバート・ガリス(Robert Gullis)の論文を「Gullis RJ[Author]」で検索すると、1973~1977年の10論文がヒットした。

10論文のうちに1論文は論文撤回を通知する論文(文章)である。

2015年7月9日現在、9論文のうち8論文(1973- 1976年)が撤回されている。9論文のうち7論文がチャールズ・ロウと共著で、共著のうち6論文が撤回されている。

【事件の深堀】

★ねつ造の理由

ウイリアム・ブロードとニコラス・ウェイドの『背信の科学者たち』では、ガリスは研究システム(論文の作成とその評価のあり方)に愛想を尽かしてねつ造論文を出版したかのように記述されている。以下、日本語訳を引用しよう。

「大学というのは教育の場であり、博士課程は適切に研究を行う方法を学ぶ場だからです。もし、そこに適切な指導というものが欠けているとすれば、研究機構全体に何か誤りがあるのです」。ガリスは、論文の作成とその評価のあり方については特に手厳しく語っている。「私は自分の仕事に対して正当な評価を受けたことなど一度としてなかった。彼らは業績が上がればそれだけで満足していたし、業績しか求めなかった。彼らは業績を上げると同時に博士号を得るために必死に働く人間をありがたく思っていた」。(ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド(牧野賢治訳): 『背信の科学者たち』、講談社、2006年。文章はウェブ上にない)

しかし、【主要情報源①】などの他の文献ではそういう記述が見当たらない。上記はガリス本人が述べた言葉だろうが、ブロードかウェイドが脚色(ガリスの言葉を選択)したのではないのだろうか?

【主要情報源①】や他の文献からは、ガリスは、問い詰められて、仕方なしに、ねつ造を白状したように思える。

ガリスは、ねつ造した理由を、次のように述べている。

「(論文中の)曲線や数値は単に私が想像したものです。実験結果を記述するというより、私が頭の中で考えた仮説を記述し論文として出版したのです。そのようなことをした理由は、自分の研究アイデアにとても自信があったからで、研究アイデアをそのまま、紙に記述したまでです」。

事実として、ガリスは、23歳の大学院生の最初の論文からねつ造論文を出版している。「論文の作成とその評価のあり方に愛想を尽かして」ねつ造をはじめたとは思えない。研究経験を積んでからというより、研究経験の最初からねつ造している。

そして、27歳で発覚するまで9論文中の8論文がデータねつ造論文である。つまり、ガリスは、ねつ造まみれである。

これは、研究体制の批判とは無関係に、最初から、自分の仮説を記述するのが論文だという研究スタイルを習得してしまったためだと思われる。なお、この研究スタイルは、実験科学では通用しないが、人文科学だったら現在でも通用するだろう。

ガリスは、ねつ造発覚時点で、「この事件の全責任は私にあります。科学界および関係者に陳謝します。大変申しわけありませんでした」と反省と陳謝の言葉を述べている。

【防ぐ方法】

《1》大学院・研究初期

大学院・研究初期で、研究のあり方を習得するときに、研究規範を習得させるべきだ。

ガリスの場合、研究博士号(PhD)を取得した英国・バーミンガム大学の指導教員チャールズ・ロウ上級講師(Charles E. Rowe)が規範をしっかり躾けていれば、「研究上の不正行為」をしない研究人生を過ごしたかもしれない。

【白楽の感想】

《1》頭脳的にとても優秀

20代前半の大学院生がはじめて学ぶ研究分野で、4年間で8論文もねつ造した。

ガリスは、実験作業をそれなりにしたと思われるが、論文の中心的な部分は想像力で書きあげ、その分野の専門家である自分の師(チャールズ・ロウ上級講師)、さらに、世界の先端的研究者である論文読者を4年間もだますことができた。驚異的な頭脳の持ち主だったと思われる。

自分で研究計画を組み立て、妥当な実験値を空想であみ出し、4年間はバレず、8論文に矛盾がない。その研究構築は、頭脳的にとても優秀でなければできないだろう。

方向さえ間違えなければ、大きな仕事をした人かもしれない。

《2》約30年前の研究ネカト

約30年前の研究ネカト事件は、情報量が少なく、実態をつかむのが難しい。しかし、約30年前の研究ネカト事件も、得られる情報で理解する限り、事件の動機・発生状況・内容は現在とほぼ同じようである。

学術界は、約30年前の事件をしっかり学んでおけば、その後の研究ネカト事件をもっと防げただろう。しかし、欧米では、この事件を含め、それ以前の長い年月の間、研究ネカトはとても稀な事件で、極めて特殊で、異常な研究者が起こす異常な事件として処理されていた。学術界は真正面から丁寧に向き合ってこなかった。

ガリスの事件の数年後の1980年代初頭、米国は研究ネカトに正面から対処し始めた。

そして、米国政府は、1989年、政府・健康福祉省に「科学公正局」を発足させ、これが、現在の「研究公正局」(Office of Research Integrity : ORI)になっている。

2005年には、各大学・研究機関に「研究公正官」(RIO:Research Integrity Officer)の配置を義務化した。

2006年にポールマンを刑務所に送って以来、一部の研究ネカトを刑事事件化するようになってきた。

さらに、出版後批判ウェブとして、2010年8月に 「論文撤回監視(Retraction Watch)」、2012年10月に「パブピアー」が稼働している。

試行錯誤しながら、経験・知識・スキルを積み重ね、進化してきたのである。

一方、日本の学術界、政府は、現在も真正面から丁寧に向き合っていない。現在発生している事件からも学ぼうとしていない。ということは、これから30年後も、日本では、同様な研究ネカト事件が頻発するということだ。

【主要情報源】
① 1977年6月2日、マイク・ミュラー(Mike Muller)の「New Scientist」記事:New Scientist – Google ブックス
② 1977年5月14日、「タイム」記事:Science: Violating Nature – TIME
③ Hamblin TJ.の論文(Br Med J (Clin Res Ed). 1981 Dec 19-26;283(6307):1671-4):http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1507475/
④ 記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。