フィリップ・ボア(Philippe Bois)(米)


ワンポイント:2011年に研究公正局から3年間の締め出し処分を受けたが、研究者として生き残れた?

【概略】
boisフィリップ・ボア(Philippe Bois、写真出典)は、フランス育ちで、フランスのパリ第7大学で研究博士号(PhD)を取得し、米国・メンフィスの聖ジュード小児研究病院(St. Jude Children’s Research Hospital)のポスドクになった。専門は生化学だった。

2006年頃?(37歳?)、データ改ざんが発覚した。聖ジュード小児研究病院は調査委員会を設け、調査の結果、ボアの論文にデータ改ざんがあったと結論し、研究公正局に報告した。

2007年5月(38歳?)、ボアは、フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授に研究職を得た。

2011年5月26日(42歳?)、研究所が改ざんと結論してから5年後、研究公正局も改ざんと判定し、3年間の締め出し処分を科した。

2012年3月2日、連邦地方裁判所は、処分プロセスの問題により、研究公正局の3年間の締め出し処分を無効と判定した。従って、締め出し処分は実質9か月強で終わった。

なお、フィリップ・ボアは、一貫して研究ネカトを否定していた。研究公正局から3年間の締め出し処分を受けたが、2012年までは研究者として生き残った珍しいケースである。しかし、2013年以降は論文を発表しておらず、結局、生き残れなかった(ようだ)。

nrm_1405962067-st_jude_childrens_research_hospital_exterior_-_by_peter_barta米国の聖ジュード小児研究病院(St. Jude Children’s Research Hospital)。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:フランス
  • 研究博士号(PhD)取得:フランスのパリ第7大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:不明。仮に1969年1月1日とする
  • 現在の年齢:48歳?
  • 分野:生化学
  • 最初の不正論文発表:2005年(36歳?)
  • 発覚年:2006年?(37歳?)
  • 発覚時地位:聖ジュード小児研究病院・ポスドク
  • 発覚:不明
  • 調査:①聖ジュード小児研究病院・調査委員会。~2006年頃?②研究公正局。~2011年6月14日。③裁判所。~2012年3月2日
  • 不正:改ざん
  • 不正論文数:2報。1報撤回、1報訂正
  • 時期:研究キャリアの初期から
  • 結末:別の研究所に転職

【経歴と経過】
出典:Philippe Bois | LinkedIn保存版

  • 生年月日:不明。仮に1969年1月1日とする
  • 1989年 – 1992年(19-23歳?):フランスのナント大学(University of Nantes)を卒業。生命科学
  • 1991年 – 1998年(22-29歳?):フランスのパリ第7大学(Université Paris 7)で研究博士号(PhD)を取得した
  • 1998年– 2007年(29-38歳?)(全期間ではない?):米国の聖ジュード小児研究病院(St. Jude Children’s Research Hospital)のポスドク
  • 2006年?(37歳?):不正研究が発覚する
  • 2007年5月 – 2011年6月(38-42歳?):米国・フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授
  • 2012年10月 – 2013年10月(43-44歳?):アルガスター社(AlgaStar Inc.)の主任科学官(Chief Science Officer, Director)
  • 2016年3月3日現在(47歳?):研究者として活動していない?

【不正発覚の経緯】

Cleveland1998年– 2007年(29-38歳?)(全期間ではない?)、フィリップ・ボア(Philippe Bois)は、聖ジュード小児研究病院(St. Jude Children’s Research Hospital)のポスドクで、ボスはジョン・クリーブランド(John Cleveland、写真出典)だった。

2005年、クリーブランド研究室で、ボアは、その後問題視された論文を2報(「2005年のJ Cell Biol.」論文と「2005年のMol Cell Biol.」論文)を発表した。

2006年頃(?)、上記論文に研究ネカトが発覚した。発覚の経緯は不明である。

2006年頃(?)、聖ジュード小児研究病院は調査委員会を設け、調査の結果、ボアの論文にデータ改ざんがあったと結論し、研究公正局に報告した。

研究公正局は、聖ジュード小児研究病院の調査を基に、独自の調査を開始した。

2007年5月、聖ジュード小児研究病院のボスのクリーブランドがフロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の教授に栄転した。ボアも招聘され、フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授になった(TSRI – News & Views)。 → (白楽:ボアの研究ネカトが確実なのに、ボスのクリーブランドがボアを招聘するとはヘンな印象だ。ボアの改ざんを認めず、ボアを信用していたということ? 聖ジュード小児研究病院の内紛があって、主流派がクリーブランドをいじめた?)

2011年初頭、研究公正局はボアをクロと判定した。(白楽:2006年頃発覚で、2011年に判定とは。調査に5年もかかって異常だ。裏事情があるに違いない)

ボアは、研究ネカトしていないと主張し、研究公正局の調査結果に納得しなかった。健康福祉省(HHS)の行政不服審査(Departmental Appeals Board)の行政法判事(Administrative Law Judge:ALJ)が結論を下す前に聴聞会を開くよう求めたが、研究公正局は拒否した。

2011年5月、行政法判事(ALJ)は、研究公正局の側について、聴聞会請求棄却の連邦規則「42 CFR 93.504」の(a)(2)、(3)により、聴聞会の開催要求を却下した(42 CFR 93.504 – Grounds for dismissal of a hearing request.)。なお、「ボアは、研究ネカト嫌疑ではないとする事実や証拠品の提供をせず、まともな審議をする姿勢ではなかった」という補強説明もしている。

2011年5月11日、それで、研究公正局の結論が有効になり、研究公正局は、2011年5月26日から3年間の締め出し処分をボアに下した。

2011年6月22日時点、ボアは米国・フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授で、NIHから90万ドルの研究費を獲得し、2つの研究プロジェクトが進行中だったとある。ただ、白楽が、NIHの研究費受給者サイトで検索したがヒットしなかった。(BioTechniques – Scripps researcher barred from federal grants保存版))。

【不正の内容】

★「2005年のJ Cell Biol.」論文

研究公正局は、以下の「2005年のJ Cell Biol.」論文の図1Aを改ざんと認定した。

「2005年のJ Cell Biol.」論文の該当の図1Aを以下に示す(図1Bは無視して下さい)。画像の上段左から2個目が、「Primary tumors」の「ARMS(alveolar rhabdomyosarcoma)」では「FOXO1a」が発現していない(バンドが見えない)。この画像の選択が、論文の結論に都合のよい免疫ブロット像を選択したとされた。

白楽には、図1Aを見ているだけで、改ざんされたことがわからない。元データを見せてくれないと不適切な選択をしたのかどうかわからない。
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★「2005年のMol Cell Biol.」論文

研究公正局は、以下の「2005年のMol Cell Biol.」論文の図4Bを改ざんと認定した。

「2005年のMol Cell Biol.」論文の図4全体を以下に示す。該当の図4Bは上段右の電気泳動像である。VBS3とaVBSを消化酵素のパパイン(papain)で切断した画像である。5列あるバンドの1,3,5列の画像が不正操作された。

白楽には、図4Bを見ているだけでは、どこがどう不正操作されたかわからない。
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【研究者としてボアの生き残り?】

ボアは、2011年5月26日から3年間の締め出し処分を研究公正局から受けた。

AAEAAQAAAAAAAAPMAAAAJDRkOGViNjYxLTAyNjItNDlkNi04YWE2LTI4OGMzZDY2MGViMw2011年6月(42歳?)、米国・フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授を辞職した。

2012年10月 – 2013年10月(43-44歳?)は、アルガスター社(AlgaStar Inc.)の主任科学官(Chief Science Officer, Director)である。

締め出し処分開始の約9か月後の2012年3月、締め出し処分が停止された。この時期の所属は白楽にはわからない。しかし、その7か月後の2012年10月に、アルガスター社の主任科学官についているのだから、研究者として生き残ったように思える。

研究公正局からクロと判定され、締め出し処分を受けた人で、研究者を続けられた人は少数である。米国は研究ネカト者を研究界から排除する方針だから、基本的に研究者を続けることが困難になる。

ボアは、どうして、研究者を続けられたのだろうか?

1つは、フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授の職を維持できたことことがある。聖ジュード小児研究病院(St. Jude Children’s Research Hospital)のポスドク時代のボスであるジョン・クリーブランドがフロリダのスクリプス研究所の教授になっていて、彼が支えてくれたことが大きい。

もう1つは、2011年5月に行政法判事(ALJ)がボアの聴聞会開催請求を却下したが、ボアは、この却下が違法だと連邦地方裁判所に訴えたのだ。

Amy_Berman_Jackson2005年以降、行政法判事(ALJ)は、例外なくそのような聴聞会開催請求を却下してきた。しかし、2012年頃、ワシントンD.C.連邦判事の決定で、このルールが変わった。

2012年3月2日、連邦地方裁判所のエイミー・ジャクソン裁判官(Amy Berman Jackson、写真出典)は、聴聞会開催請求の却下は不適当で、請求された時にボアの聴聞会を開催し、正当な審判をすべきだったと判定した。聴聞会を開催しなかったために、当時の資料が消失してしまい、今さら開催しても正当な審判にならない。

それで、健康福祉省(HHS)はボアとの間に示談交渉した。ボアは研究ネカトしていないと主張しているが、健康福祉省(HHS)(つまり、研究公正局)はボアが研究ネカトをしたとする結論は変えない。ただし、ボアは、今後、再審請求をしない。そして、3年間の締め出し処分を無効とした(①PDF 、②Federal Register, Volume 78 Issue 75 (Thursday, April 18, 2013))。

従って、研究公正局は、2011年5月26日(42歳?)に3年間の締め出し処分を科したが、締め出し処分は示談交渉の成立時点で終り、実質9か月強で終わったことになる。

ボアは、「私は、約7年間、私の名前が研究ネカトのリストから消えるために戦ってきた。私は、ようやく、この問題から離れて、研究者としてのキャリアを進めることができ、とてもうれしい。研究公正局が締め出し処分を停止すると決定したのは、私が研究ネカトをしたとの結論が裁判には耐えられず、処罰〈3年間の締め出し〉は過度で、不当だったという明快なシグナルだと、私は受け取っている」と述べた。

2016年3月3日現在(47歳?)、米国・フロリダのスクリプス研究所の助教授のサイトがヒットするが(Genome Plasticity Laboratory)、これは昔のサイトだろう。次節に示すように2013年以降の論文がない。2013年以降から研究者として活動していないと思われる。

【論文数と撤回論文】

2016年3月3日現在、パブメド(PubMed)で、フィリップ・ボア(Philippe Bois)の論文を「Philippe Bois [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2012年の11年間の19論文がヒットした。2013年以降の論文がない。

2016年3月3日現在、1論文(「2005年のJ Cell Biol.」)が撤回、1論文(「2005年のMol Cell Biol.」)が訂正されている。2論文ともここで問題視した論文である。

撤回論文

訂正論文

【白楽の感想】

《1》お上の判断ミス?

建前は行政側に判断ミスがあったと言わないが、実際は判断ミスがあったのだと感じる。

聖ジュード小児研究病院がボアが研究ネカトしたと結論した。しかし、ボスのクリーブランドは自分の教授栄転時にボアを助教授に招聘している。クリーブランドは聖ジュード小児研究病院の結論を認めていないと受け取れる。ボアは不正をしておらず、ボアを信用していたと思われる。となると、聖ジュード小児研究病院の院内政治抗争でクリーブランドはいじめられたということだ。

研究公正局はその聖ジュード小児研究病院の調査結果を信用してしまった。多分、聖ジュードはいい加減な調査をしたのだろう。それで、研究公正局は結論を出すのに5年もかかった。

結局、研究公正局も改ざんと判定した。しかし、ボアは研究ネカトをしていないと一貫して主張した。研究公正局の改ざんと指摘した2論文のそれぞれの図を見ると、その結論は、少し行き過ぎがあった印象だ。1報は撤回したが、2報目の論文は撤回ではなく、訂正で済んでいる。

ボアが研究ネカトをしていないと一貫して主張し、資料を提出しないなど、調査に非協力的だった。そのことで、研究公正局は感情的なペナルティを加味した印象もある。

また、ボアが聴聞会開催を要求したのに開催しないのも変な印象が残る。このルールはその後変わったとのことだが・・・。

建前ではそう言わないが、実質上、お上がクロと判定したのを、ボアは、ひっくり返した。研究公正局も自分たちの調査がズサンだったと感じていたに違いない。

ボアは、しつこく・賢く攻めて立派です。

大学・研究機関の研究ネカト調査・結論に問題があるケースもそこそこあるだろうが、あまり攻撃されていない。ましてや、研究公正局の調査・結論に問題があるケースもそこそこあるだろうが、とても、珍しい。これらの場合、裁判所で争うことになる。

《2》研究者として生き残る

ボアは、2011年6月(38-42歳?)に、フロリダのスクリプス研究所(Scripps Research Institute in Florida)の助教授を辞め、2012年10月 – 2013年10月はアルガスター社(AlgaStar Inc.)の主任科学官(Chief Science Officer, Director)だった。

2012年3月2日、ボアは、3年間の締め出し処分を実質9か月強で終わらせ、研究者として生き残ったかのように思われた。

しかし、スクリプス研究所の研究を2012年5-6月号に論文発表して以降、論文を発表しておらず、結局、研究者として生き残れなかったようだ。

アルガスター社を2013年10月に退社後、2016年3月3日現在、研究者としては行方不明である。

現在、研究活動していないと思われる。研究ネカト嫌疑に7年間も戦い、ある意味、研究公正局を打ち負かしたのに、研究者として生き残れなかったのだ。

【主要情報源】
① 2011年6月14日、研究公正局のクロ判定の報告:NOT-OD-11-084: Findings of Misconduct in Science/Research Misconduct保存版
② 2011年6月22日のティア・ゴース(Tia Ghose)の「Scientist Magazine」記事:St. Jude postdoc faked images | The Scientist Magazine®保存版
③ 2013年4月18日、健康福祉省(HHS)とフィリップ・ボア(Philippe Bois)の調停合意:Federal Register, Volume 78 Issue 75 (Thursday, April 18, 2013)保存版
④ 2013年4月19日のアイヴァン・オランスキー(Ivan Oransky)の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:Researcher found by ORI to have committed misconduct earns back right to apply for Federal grants – Retraction Watch at Retraction Watch保存版
⑤ 2013年4月22日のジェシー・ジェンキンス(Jesse Jenkins)の「BioTechniques」記事:BioTechniques – New Deal for Researcher Found Guilty of Misconduct保存版
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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